塩の王様
巨人が真っ白な椅子に腰掛けていた。目の前の柱と思ったものは、巨人の足だったのだ。
「塩の王様ですか?」
ぼくは両手を頬に当てて叫んだ。
「その通りだ」
塩胡椒のような膚の色、白くて長い髪の毛と口ひげ、頭に藍色の格子縞が描かれたバンダナを結び、大きな体には、鮮やかな青の幾何学紋様の縄文服をまとっている。塩の王様は、まるで縄文の王様を巨大にしたような姿だった。
「ぼくは花織ちゃんを助けに来ました」
「知っている」
「花織ちゃんに会わせて下さい」
「なぜ彼女を置き去りにしたのだ?」
塩の王様は、全てを見透かすような瞳でぼくを見つめた。
「そ、それは……」
ぼくは、後ろめたさから、目をふせた。
「お前は自分の意思でここに来たのか?」
「臆病なぼくをダイアンが導いてくれました」
「よかろう。正直に話したな」
王様は厳しい表情で話し続けた。
「お前はあの子との約束を破り、逃げ出した。おまけに、悲しむ彼女の両親に嘘をつき、自分を守ろうとした。ここまで来れたのも、ダイアンが掟を破り、人間の言葉を使って、おまえの背中を押したからだ」
王様は何もかもお見通しだった。ぼくの心臓は破裂しそうになった。
「掟を破ったダイアンはどうなるんですか?」
「普通なら地上へは戻れない」
「ダイアンと別れるなんて嫌です!」
「掟だが、おまえの勇気に免じて、ここに留まるかお前を選ぶかは、ダイアンに委ねよう」
「ダイアン」
ぼくは心細そうにダイアンを見た。
「心配するにゃ、おいらは大輝のところにいるにゃ」
「あ、ありがとう」
ぼくは、ホッとして胸をなで下ろした。
「大輝、よかったな」
言葉はやわらかいが、王様の目は深く鋭かった。
「花織ちゃんを助けてください。塩漬けにしないでください」
ぼくはすがり付くようにいった。
「安心しろ。彼女の罪は赦され、元気に過ごしている」
それを聞いたとたん、ぼくはへなへなと座りこんだ。
「おまえは優しいが、自分の弱さや醜さと向き合う心が弱すぎる。優しさとは勇気が伴うものだ。おまえが自分の弱さと向き合わない限り、彼女には会えないだろう」
「ぼくは何度も嘘をつきました。でも花織ちゃんを見捨てるつもりはありませんでした。本当に助けたかったんです。でも助けることが出来ませんでした」
「おまえの気持ちはよく分かった。だが、おまえは彼女の気持ちを考えたことがあるのか? 暗闇の中で彼女がどれだけ恐怖と悲しみを覚えたか、あの子の身になって考えたことがあるのか?」
王様の言葉の全てが、ぼくの心を貫いた。
あの時、花織ちゃんはどれだけぼくを信じ、待っただろう。そして、ぼくが来なかったとき、どれだけ悲しみ恨んだか。確かに、ぼくは、自分の事ばかり考えていた。花織ちゃんを心配しているようで、優先したのは自分を守ることだった。そんな、情けないぼくの背中を押してくれたのは、こんなに小さなダイアンだった。しかもダイアンは命賭けでぼくを助けてくれた。
「大輝、あの湖に見覚えがあろう」
塩の王様が、目の前の空間に大きな映像を浮かび上がらせた。
緑の丘の谷底に湖があって、湖の中央に大きな渦が巻いていた。湖畔はひまわり畑で埋め尽くされ、赤、青、黄、緑、ピンク……カラフルな家々が……。
「あ、虹のコウモリさんの家があるところだ。でもなんか変。湖が大きくなってるし、谷間の周囲も大きく広がっている。しかもぼくらが着いたときは、渦巻きがあんなに大きくなかった」
ぼくは首を傾げて、映像に見入った。
「地球は愛のエネルギー体なのだ。地球にとって、地上も地下もない。あるのは地球というエネルギーの塊だけだ。あの渦巻きは、この世界と地上世界をつなぐ愛のエネルギーの通り道のようなものだ」
「愛のエネルギーの通り道」
「なぜ、おまえの世界に穴が開いたと思う?」
「学校の先生は、地下水のくみ上げすぎとか、昔、地下に大きなトンネルを掘ってそのままにしたからとか、いってました」
「全て違うな。地上の穴は、人間の心が開けたのだ」
「人間の心が……開けた……」
「さっき、穴は愛のエネルギーの通り道といったね」
「は、はい」
「今の地上は、人の痛みがわからない、自分勝手で目先の利益ばかりを追い求める人間どもで溢れかえっている。心ない振る舞を平気でする人間、思いやりのない人間。なぜ人間は幸せをみんなで分かち合わない? なぜ人間は他人の痛みに無関心なのだ? なぜ人間は利益のためならば、平気で他人の幸せや命までも奪うのか? そういうエゴにまみれた人間どもが地球の負のエネルギーを無限に大きくしている。だから地球は愛のバランスをとるために、シンクホールを開け、エネルギーの流れを良くしているのだ」
塩の王様の大きな顔が、絵本で見た、地獄の閻魔大王のように思えた。
「ぼくには、何も答えることが出来ません。ぼくも、自分のことしか考えていませんでした。それどころか自分を守ろうと何度も嘘をつきました」
「大輝、よく聞くのだ」
厳しかった王様の目が、少しばかり和らいだ。
「はい!」
ぼくは、王様を見上げ、よく通る声で返事した。
「ここに来ることができるのは、思いやりがあり勇気ある人間だけなのだ」
「そ、そんな、ありえません」
王様の思いがけない言葉に、ぼくは戸惑った。
「大輝、おまえは、地球に認められたのだ」
「地球に認められたって、どういうことですか?」
地球に、人間のような意思があるのだろうか。
「おまえは、自分の弱さから逃げ出したが、優しい気持ちに動かされ、命を顧みず勇気を出して此所に来た。だから、地球に認められたのだ。もし、地球がおまえを認めなかったなら、今頃は、異次元トンネルを永遠に彷徨っていたであろう」
「地上はどうなってしまうんでしょうか?」
「それはわたしにもわからない。決めるのは地球であり、地上にいる人間たちだ」
「もし、地上にいる人間たちが、思いやりや勇気に目覚めなかったら、どうなりますか?」
「地上の世界はシンクホールにすべて吸い込まれて消滅し、この世界が地上と入れ替わる」
「お父さん、お母さん、おばあちゃんはどうなりますか?」
「さっきもいったように、それは、わたしにも、お前にも決めることが出来ない。決めるのは地球と、人間、一人、一人の清らかな心なのだよ」
塩の王様は、恐ろしく厳しい表情になった。
「花織ちゃんに会わせて下さい。会って謝りたいです」
「もし、彼女が会うのを拒んだらどうする」
「……」
ぼくは言葉に詰まったけど、王様の話から気づいたことがある。それは、思いやりと勇気は正しく生きるための、心のコンパスということだ。
「ぼくは、花織ちゃんを助けたくてここに来ました。でも会ってくれないのなら、地上に帰ります。帰って、花織ちゃんのお父さんとお母さんに、正直に本当のことを話します」
「大輝、よくぞいってくれた。それが真の思いやりと勇気だ」
塩の王様がはじめて笑顔になった。
「でも、ぼくは、気づくのが遅すぎました」
「気づくことに遅いことはない。生きることは失敗の繰り返しだ。経験から学び生かす者もいれば、ちがう者もいる。だが、おまえは気づき、学んだ。そして今ここに立っている」
「おばあちゃんや、ダイアン、ジャック……みんなの助けや励ましがあったからです」
「みんなが力を貸したのは、おまえが勇気をだして自分の弱さと向き合い、乗り越えようとしたからだ。大輝、胸を張れ」
「は、はい!」
ぼくは、胸をはり、大きな声で返事をした。
「今、地上の大人達の多くが、目先の欲に心を奪われ、醜さや現実から、目を逸らしてばかりだ。もちろん、変わろうとする大人たちもいるようだが、少数派だ。多くの人間は心を誤魔化しながら生きている。そうすれば、もっと優しさや愛から遠ざかるというのにな」
「だから地上は滅びようとしているのですか?」
「自分たちが選択しているのだ」
「何とか変える方法はありませんか?」
「もちろんある。一人でも多くの人間が、目先の利益に価値を見いだすのではなく、自分を幸せにするのと同じように、周囲への思いやりに心を砕くよう意識を変えるのだ」
「ぼくは、みんなを変えます」
「大人のエゴや、親の子への愛情は、お前が思っている以上に根深いのだよ」
「大人のエゴや自分に勝てないかもしれないけど、負けやしません」
「偉いぞ」
「このまま世界中にシンクホールが増え続ければ、食べ物も水もなくなって、多くの人が困ります。病院が壊れたら、病気のおばあちゃんが困るし、家が壊れたら、安心して寝ることも食べることも出来なくなります。弱い立場の人たちが真っ先に辛い目に遭うと思います。そんなのぼくは見たくないし、我慢できません」
その時、宮殿の高い所から、
「大輝くん、ありがとう」
聞き覚えのある、やさしい声が響いた。
「えっ」
ぼくは思わず塩の王様を見上げた。
王様の手の縁に、髪の長い丸顔の女の子が姿をあらわした。
「まさか」
ぼくの胸はうれしさで熱くなった。
王様は少し前屈みになって、ぼくの前にゆっくり手をおろした。
「──」
ぼくは息をのんで見守った。
すると大きな指と指のあいだから女の子が姿をあらわした。
「大輝くん」
真っ赤な幾何学紋様柄の縄文服を着ているけれど、丸い顔に長い髪、紛れもなく花織ちゃんだった。
「花織ちゃん……」
ぼくは、嬉しくて言葉につまった。
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