ジャック

 すると孔雀さんがやってきて、金色の尾羽を大きく開いて、

「アップルパイのお礼だよ」

 くちばしで、花織ちゃんを目撃した金の羽根を引き抜いた。

「ジャック、彼らをよろしくたのむよ」

 孔雀からジャックと名づけられた羽根は、地面にふわり落ちると、金色の光を発しながら、またたくまにスノボーみたいに大きくなった。

「これに乗れば飛べる。塩の王国なんてあっという間さ」

「すげーにゃ」

「まるで空飛ぶスノボーだ」

「アップルパイのお礼だ。お安いもんさ」

 孔雀さんは片目をつむって、小さな笑みをつくった。

「ありがとう!」

「行き先をジャックに伝えれば、目的地まで連れて行ってくれるよ」

「ナビ付きにゃ」

 ぼくは孔雀さんに大きく手を振った。

 孔雀さんが親指を立て、イニャーンと、猫のような笑い声をたてた。

「行くぞ!」

「にゃー」 

 さ、急いでわたしの背に乗ってください。

「ジャック、よろしく」

 羽の先頭の大きな目玉が瞬きする。

「じゃ、行きまっせ」

 足下を見ると、ぼくのスニーカーからあしくびあたりを、羽毛がツルのように絡みついた。まるで安全ベルトみたいだ。

「ダイアン、リュックに入るんだ」

 リュックの紐がググッと肩に食い込む。

「準備オッケーにゃ」

 リュックからダイアンの小さな顔がのぞく。

「いざ塩の王国へ!」

 かけ声と同時に、ジャックが草の上をゆるやかに滑り出す。

「どんどん速くなるにゃ」

「ジャック、飛べ!」

 ジャックは草原を勢いよく加速しながら、飛行機が離陸するように、ふわっと浮き上がり、グンと飛びあがった。

「ヤッホー」

「にゃっほー」

 地面が徐々に遠ざかる。風を切る音が耳元でヒュウヒュウと笛のようにひびく。草原が海のように波打つ。谷間をうねる川がまるで生きた蛇のように見えた。


 数分後、景色が一変した。サラ島の中心に近づいたのだ。

「大輝、下を見るにゃ」

「真っ白だね」

「塩の砂漠にゃ」

「なんか思い出した?」

「うん、何となくにゃ。あの塩は一粒一粒が命の源にゃ」

「え、じゃ生きてるってこと?」

「命の素材、材料ってイメージかにゃ」

「ふーん、そっか」

 ぼくは意味が分からず、あいまいな返事をして沈黙した。

 塩の砂漠が永遠に広がっていた。どこまでいっても真っ白で、ぼくは、ずっとずっと同じ所を飛んでいるような錯覚にとらわれた。

 激しい眠気が襲う。

 うとうとしていると、不意な突風に襲われ、ジャックが左右に大きく揺れた。

「わぁ、なんだ」

 ぼくは、ヤジロベエみたいに手足を駆使し、バランスを保った。

「塩の番人が、我々に気づきました。通行手形をお持ちですか?」

「そ、そんなもの持ってないよ」

「無ければ、無許可進入になるので、塩の嵐に襲われます」

「そんな」

「大輝、油断するにゃ」

「油断もなにも。ぼくは、花織ちゃんを助けに来ただけなのに」

 入道雲がもくもくと湧き上がり、手足を持った巨大な雪だるまのような姿になった。

「あれが塩の番人です」

 ジャックがスピードをゆるめた。

「これから先は塩の王国だ。通行手形を見せなさい」

 塩の番人は大きな黒目でぼくらをにらんだ。

「ぼくたちは、花織ちゃんを捜しに地上からやってきました。通行手形は持っていませんが、どうか、塩の王様に会わせて下さい!」

 ぼくは必死にお願いした。

「通行手形がないだと!」

 塩の番人がそう口走ると、急に横殴りの激しい潮風が吹きはじめた。

 話し合いをする気はさらさらないらしい。

「あっ」

 塩の番人は入道雲に姿を戻し、雲の中から、槍みたいな鋭く長い塩の結晶〈塩槍〉が、無数にぼくらを狙って飛んできた。

「雲の上に逃げましょう」

 ジャックは大きく旋回して、塩槍をうまくかわしながら雲を目指す。

「正面から槍が飛んでくるにゃ! 腰を屈めるにゃ!」

 ぼくは恐怖でパニクり、屈むどころか、激しく腰をひねった。そのとたん、ぼくらは逆さ吊りになり、ジャックは竹とんぼのように勢いよく回転した。

「目が回る!」

「さっき食べたアップルパイが、お腹から飛び出してきそうにゃ」

 ダイアンがリュックに爪を立て必死にしがみつく。

「わあああ!」

 ジャックはブンブン羽を回しながら、無数の塩槍を次々と弾き返し、雲を突き抜けた。

「雲の上にでた!」

 ぼくは、目が回り、ひどい船酔いでもしたような最悪の気分だった。

「もう追いかけて来ないでしょう」

「ジャック、あ、ありがとう」

 ぼくは、へろへろになって、気を失った。


「──」


「塩の王国が見えてきました」

 ジャックの甲高い声が耳に鳴りひびく。

 気がつくと、ぼくは、コウモリのように逆さまになっていた。

「えいっ!」

 気合いで体の位置を元に戻した。

「わああ、すごくきれいだ!」

 雲の裂け目から、真っ白な塩の大地と鏡のような湖が見えた。湖に浮かぶ塩の島に、塩の結晶のように輝く宮殿がそびえている。

 ついにぼくたちは塩の王国に着いたのだ。

「ダイアン、見て! 塩の宮殿だよ」

 返事がない。

「ダイアン!」

 ぼくはリュックの底を大きく揺さぶった。

 ふにゅという柔らかな感触がない。

 顔からサッと血が引く。ぼくは急いでリュックを肩から下ろし、中を覗いた。

「ダイアンがいない」

 リュックをひっくり返した。出てくる物は、懐中電灯、方位磁石、毛布……全部おばあちゃんが入れてくれた物ばかりだ。

「さっきの嵐で振り落とされてしまったんだ」

 急いで捜さないとダイアンが塩漬けになってしまう。

「ジャック、ダイアンがいない」

「なんてこった!」

「ジャック、すぐに引き返すんだ」

(ダイアン! 必ず助けるからね)

 塩の宮殿は目の前だ。

「きみの目玉ナビなら、ダイアンをすぐに見つけることが出来るよね」

「残念ですが、もう時間がありません」

「そんな、まだお昼じゃないか」

「この世界は地上世界より早く時間が過ぎるのです」

 ジャックが空を仰ぎ見た。

「太陽がさっきまでギンギンだったのに、いつの間にか日が傾き、空が赤く染まっている」

(どうすればいいんだ)

 額に汗がにじむ。爪が食い込むほど手を握りしめる。

(おいらのことより、早く花織ちゃんを助けるにゃ)

 空耳なのか、ダイアンの声が聞こえる。胸が熱くなって、目頭から涙が溢れだす。

「急がないと間に合いません。わたしも、あとわずかで塩になってしまいます」

「ど、どうして?」

「孔雀の体から抜けたので、一日しか命が持たないのです」

「じぁ、きみは命賭けでぼくをここまで運んでくれたの」

 ジャックは黙って微笑んだ。

「ああっ、なんてことだ」

 ダイアンもジャックも、命をかえりみず、ぼくをここまで導いてくれたんだ。

 おさえていた感情が一気にあふれ出て、止めようがなかった。

(泣き虫大輝、泣いてる場合じゃないにゃ)

 またダイアンの声だ。

「ぼくは泣き虫なんかじゃない!」

(ダイアン、必ず助けに戻るから)

 ぼくは、泣く泣く、ダイアンの捜索を断念した。

「その意気です。塩の宮殿に急ぎましょう」

「わかったよ!」

 もう破れかぶれだ。どんなことをしてでも、塩の王様のとこへ行ってやる。

「ジャック、塩の宮殿に突進だ!」

「このまま雲の上を飛びましょう。いま降りたら、また塩槍が飛んできます」

「それじゃ、いつまで経っても、宮殿に行けないじゃないか」

「わたしに、良い考えがあります」

「どんな作戦?」

「塩の宮殿の真上に着いたら、真っ逆さまに降りるんです」

「なぁーるほど。それなら雲は、ぼくらに塩槍を飛ばせないね」

「はい。さすがに雲も、宮殿に槍を飛ばせないでしょう」

 ぼくらは入道雲の遙か上空を飛び続けた。雲もぼくらの動きをマークしているのか、動きに合わせて、雲を移動する。

「もう少しで宮殿の真上です……」

 ジャックの声に、心なし張がない。

「ジャック、大丈夫?」

 ぼくは気になり、ジャックの目を覗き込んだ。

「ええ、大丈夫です」

 ジャックは振り返り、ウインクするように、一回だけ軽く瞬きした。

「よかった」

「そろそろ、塩の宮殿に急降下します」

「りょうかい!」

 ジャックはさらに空高く舞い上がり、雲の上で大きく垂直に回転した。

 その時、純白の粉が宙を舞った。

「ジャック、まさか!」

 羽が徐々に塩に変化し、塩粒になって、流れ星のように白い尾をひく。

「やめるんだ、ジャック! 塩になってしまう」

 ジャックは、急加速して雲に突入した。

 ぼくは、下唇をきつく噛み、瞼を固く閉じた。

 激しい風が頬を打つ。耳から鼻に火花が散り、髪の毛が引きちぎれそうだ。お父さんの怒鳴り声や、お母さんのビンタの方がよっぽどましだと思った。

 パッと視界が開ける。

「塩の宮殿だ!」

 宮殿がダイヤモンドのように輝いている。

「作戦成功だ! さすがジャック」

「……」

 足下を見ると、羽が真っ白になっていた。

「ジャック! ジャック!」

 塩の結晶になったジャックは、ぼくを乗せたまま、強い潮風に煽られ、宮殿から湖をはさんだ、塩の浜にふわり着地した。

「返事して」

 ジャックは、塩になって、サラサラと空に舞って消えた。

「ジャック、ジャック!」

 ぼくは、目頭に涙を浮かべ、浜の塩を握りしめた。

 日が暮れかかっていた。

「ダイアンやジャックのおかげで、やっと、ここまで来れたのに」

 塩の宮殿が、湖に浮かぶ塩の島に小さく見える。宮殿の背後には、富士山のような高い山々が、湖を取り囲むように連なっていた。

「せめて宮殿の近くだったら」

 このままじゃ、花織ちゃんも、塩漬けにされてしまう。

「ちくしょう!」

 やけくそになったぼくは、泳げないのに、塩湖に飛び込んだ。

「塩辛い」

 体がプカンと浮かぶ。

(あれ、これなら泳げないぼくでも楽勝だ)

「犬かきGO!」

 ぼくは、水面から頭だけ出して、手で水を掻きながら、足をばたつかせた。

 シャカシャカ、シャカシャカ

 太陽が茜色に染まる。前進しているけど遅すぎる。

「ああ、日が沈む。もうだめだ」

 花織ちゃん、ダイアン、ジャック、みんな、ごめんね。

 ぼくは、力尽き、手足を塩湖に投げ出した。

 空の色が、金色、紅色、紫色……次々と変化する様が、鏡のような湖面に映し出される。

「まるで天空の鏡だ」

 仰向けになって浮かんでみる。

 穏やかな波が揺りかごみたいに心地いい。微かな風の響きが、お母さんの子守歌のように耳元でささやく。絶望のどん底なのに、ぼくの心は安らぎに包まれた。

「わあああ」

 いきなり足首から水の中にグイグイっと引きこまれた。

「た、助けて!」

 大きく開けた口に、塩水がドバッと入る。

 ぼくは足首にからみつくものを死に物狂いで取ろうとした。すると、亀のような生き物が、ぼくの足を掴んでいた。よく見ると河童だった。しかもどこかで見たことがある。

(はなせ!)

 河童を振り払おうと、足と腰を遮二無二うごかした。だけど、河童は、笑みを浮かべながら、ぼくを水の奥深くまで勢いよく引きずりこむ。

(ぼくが死んだら、きっと河童は、ぼくの臍を盗るんだろうな)

 塩水が目や鼻や口、体中に染みこんでくる。塩漬けにされるって、こういうことなんだ。闇がぼくを覆う。痛みも息苦しさも感じなくなった。

 ゆっくり瞼を開けた。光が眩しい。

「ここは地獄? 天国?」

 体を起こし、あたりを見回す。全てが宝石のように輝いている。

 手に付いた白い粒子を舐めた。

「塩辛い。ってことは生きている」

 部屋は野球場のように広く、壁の高さも百メートルは軽く越えている。

「もしかして、塩の宮殿?」

 ぼくはゆっくり立ち、遠くのドアに向かって歩き出した。

「そこから先は行き止まりよ」

 背後から女の人の声がした。振り返ると河童がいた。しかも、ぼくを水底に引き摺り込んだ、あの河童だった。

「どういう意味?」

「よく目を凝らしてみて」

 ぼくは、いわれたとおり目を細めた。床があと少しのとこで、切れていた。

「これは王様の来客用の椅子よ」

「椅子?」

 ぼくは、椅子の端まで歩き、下を覗き込んだ。真下まで三十メートルぐらいあった。急に膝がガクガク震える。

「さ、ここに座って」

 河童がぼくの手をとって、四角い塩のブロックに座らせた。

「あたしはマリア。あなたは?」

「大輝だよ」

「どうして無断で宮殿に入ろうとしたの?」

「ダイアンやジャックと一緒に、花織ちゃんを捜しに来たんです」

「ダイアン? ジャック?」

「猫と孔雀の羽です」

「その二人は何処にいるの?」

「ここに来るまでに、みんな塩になりました」

「まぁ、かわいそうに」

 マリアは、目を潤ませ、丸い目をさらに大きくした。

「みんな、何も悪いことしてないよ。なのにどうして、塩にされるの?」

 ぼくは、マリアを責める気はなかったけど、恨めしそうな目つきをした。

「ごめんなさいね。あたしは何も知らないの」

 マリアはとても気の毒そうにぼくを見つめた。

「じゃ、どうしてぼくをここに連れてきたんだ!」

 ダイアンやジャックのことを思うと、無性に腹が立ってきた。

「長老にいわれたからなの」

「じゃ、長老に会わせて!」

 マリアに詰め寄っているうちに、ぼくは、大勢の河童に取り囲まれていた。

「マリア、ご苦労さま」

 杖をつき、鼻先に丸眼鏡、顎に白い髭の、いかにも長老らしい河童が現れた。

「おまえが河童のボスだな!」

 ぼくは、座っていた塩のブロックを蹴飛ばして、勢いよく立ち上がった。

「いかにも」

 河童の長老が小さくうなずく。

「やい、河童! みんなを返せ! 地球に悪戯するな!」

 ぼくは、鬼のように顔を真っ赤にして、ゲンコツを振り上げた。すると、長老の後ろにひかえていた、大柄で腕っ節の強そうな、河童が前に出てきた。

「人間の子供でも、この小僧は乱暴そうです。早めに胡瓜と一緒に塩漬けにしましょうぜ」

 河童は射すような目でぼくを睨んだ。

 ぼくは、急に怖じ気づき、半歩あとずさりする。

「花織ちゃんを返して。ダイアンとジャックを返して」

 ぼくは、はじめの勢いも吹っ飛んで、小さく叫んだ。

「わっははは」

 大勢の河童たちが、お腹を抱えて笑う。

(どうせぼくは、臆病で嘘つきで卑怯もの)

 ぼくは、情けなくなって自分を恨めしく思った。

「大の大人が、寄ってたかって、大人気ないでしょ!」

 マリアが河童たちをたしなめた。

「王様がお呼びだ。大輝、一緒に来なさい」

 長老は手招きし、手に持った杖でぼくの肩をコツンと叩いた。

 

 気がつくと、ぼくは、透明な塩のブロックが敷き詰められた通路にいた。

「この廊下は一体どこまで続くんだろう」

 壁、柱、通路の全てが透明な塩のブロックで出来ていた。

 天井までの高さは、三〇メートルはありそうだ。通路の両脇には、歴史の絵本でみたことがある、大昔のギリシアの宮殿にあるような、太い円柱の柱が無数に立っていた。

 ぼくは立ち止まり「誰かいませんか!」と声をはり上げた。

〈ダレカイマセンカ ダレカイマセンカ……〉

 声がこだまして、巨大な空間に空しく吸い込まれていく。

 その時、柱の陰に、二つの小さな光が輝いた。

「大輝、待ちくたびれたにゃ」

 柱の陰からダイアンが現れた。

「無事だったんだね」

「よくわからにゃいけど、気がついたら塩の王様のところにいたにゃ」

 ダイアンが嬉しそうにぼくのホッペをぺろぺろ舐める。

「塩の王様がお待ちかねにゃ。こっちにゃ」

 ダイアンが腕からピョンと飛びおり、通路をどんどん走る。

「だ、ダイアン」

 ぼくはダイアンの尻尾を必死で追いかける。

 ダイアンが大きな柱の前で急に立ち止まった。ぼくも慌てて立ち止まる。

「大輝、まっていたぞ」

 天井から大きな声がひびく。ぼくはゆっくり顔を上げた。

「……」

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