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5月6日の朝、新條紀子は放火と殺人の罪で送致された。この日の夜、真壁と清宮は三鷹南署へ足を運び、段田に供述調書一式の写しを見せてもらった。そこから想像し、考え込んだ事柄は多い。
紀子について言えば、やはり最後まで警察の追及は及ばなかった。証拠に関しては、カバンの中から絞殺に使用したタオルと宮藤研作の部屋の鍵が見つかった。どちらからも宮藤のDNAと指紋が検出された。
物証に反して、紀子の供述調書は実に内容が少ない。2月20日にいかにして宮藤を絞殺したかを詳細に語っているだけで、凶行に及んだ理由については「受験勉強でムシャクシャしていた」のただ一言があるのみ。宮藤研作との接触については不明。犯行当日にアパートの宮藤の部屋に上がった理由も不明だった。宮藤が暮らしていたアパートと自宅の庭先に火をつけた理由も不明。
紀子自身の口から出た言葉としてはほかに、父の物と取り違えて学校に持って行ってしまったファイルの中に、平成××年4月度の警視庁刑事部各課の事務分掌表が含まれていたという供述がある。これはオフレコで、真壁たちに耳打ちされた。各課の事務分掌表は部外秘。警視庁刑事課員全員の氏名と係が載っている。
紀子はその分掌表を「秘密の資料」だと認識して大事にしまいこみ、「大事な友だち」一人だけに見せたことがあると話した。その「大事な友だち」の氏名は黙秘した。
この話は、桐谷芽衣に対する聴取で追認された。芽衣は昨年夏ごろ、紀子にある資料を見せてもらったことを認めた。資料は名簿のような物だったという。その中にあった清宮祐希の名前を見て、すぐに団地自治会の世帯主一覧表にある名前だと確認した。芽衣の母親は自治会の役員をしており、そういう資料が手近にあったらしい。
芽衣は好奇心から自治会資料の地番をもとに、清宮祐希の住居を確認し、まもなく毎朝姿を見ていた男が警視庁の刑事であると確認した。3月末に警察へのタレ込みを決心した時、清宮に話そうと決めたのはそういう事情からだ。芽衣はそう供述している。
ところで紀子は事件について、核心部分は何ひとつ語っていない。しかし、そこに何があったのかは、周囲の人間がはからずも少しずつ明かす形になった。
新條博巳の事務所に働く弁護士の見習いや事務職に対する聴取で、新條が見知らぬ男からの嫌がらせを受けていたことが分かったのだった。
最初にその嫌がらせあったのは、去年の10月のことだった。
東京地検のエグチを名乗る人物から事務所に電話があり、その電話を女性の事務員が新條に伝えた。電話の内容は『ミハシエリという人物についてお伺いしたいことがある。先生にそう伝えてください』という意味のものだった。声はしゃがれ、無愛想な感じだった。公衆電話から掛けているようだった。
その後、同じ内容の電話が何日か事務所に掛かることがあり、ある時から新條が「知らない人からの電話は切るように」と怒り出すことがあった。男のイソ弁が事情を聞こうとすると、新條は「東京地検のエグチもミハシエリも知らない」と答えた。
この話を耳にした時、真壁は「東京地検のエグチ」が宮藤だと脳裏にひらめいた。「ミハシエリ」はまさしく三橋英理であり、2人の関係を盗聴でつかんだ宮藤が新條を強請っていたのだろう。宮藤と新條の間にどんなやり取りがあったのかは分かる術もないが、ある時から宮藤は標的を紀子に変えた。盗聴したテープを聴かせて脅し、関係を強要する。似たような事件を上野南署の時に経験したことがあった。
三鷹南署を出る。真壁は清宮に、それとなく聞いてみた。
「清宮さん、紀子を尾行してた時にどこかで新條が三橋英理と会ってる姿を見たんじゃないですか?」
宮藤から父親の行状を聞いた紀子は父親の跡を尾けていたのではないか。その紀子を清宮が追っていた。新條は尾行者の影に気づいたが、それは清宮の方だった。だから、告発状が出された。新條自身の醜聞を隠すためだ。
「俺は人の顔を覚えるのが苦手なんだ。もし見てたとしても、覚えちゃいない。刑事は全能じゃないんだ。これが俺の限界だと思ってくれ」
清宮に答えをはぐらかされた気もするが、「刑事が全能じゃない」という言葉には同意できた。そもそも宮藤が三橋英理に眼をつけた理由。なぜ、宮藤は三橋の部屋に盗聴器を仕掛けたのか。これもまた当事者が死亡してしまっている今となっては、これ以上の推測は不可能だった。
5月7日、十係は本庁からの指示で大田区糀谷の町工場で起きた強盗殺人事件に駆り出された。十係はそのまま蒲田南署の特捜本部の住人になってしまったのだった。
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