第7章

[31]

 事件に動きはなかった。十係は相変わらず新條博巳に対する京王プラザと事務所の張り込みを続けた。三鷹南署からの連絡もなかった。

 段田の声を聞いたのは5月2日の夜だった。真壁が奈緒子と冨樫の2人と六本木のダイニングバーで飲んでいた時、連絡を入れてきた段田の電話はこう言った。

「現場で新條紀子を押さえた」

 その夜、段田の一報で久我山の現場に駆けつけた時、真壁が見たのは消防の放水が垂れ続ける焼け跡だった。燃えたのは家の庭先だった。4月の初めに見たころ、バンジーが半分ほど植えられていた花壇はもう元の形を留めていなかった。灯油を撒いたらしい。風が強かったため、火の回りは早かったという。

 新條紀子は消防車が駆けつけた時、燃える花壇の前に立っていた。消防に「私が燃やしました」と言ったという。そして続いてやってきた警察にも同じように言い、ポケットからマッチを出してみせた。

 三鷹南署に連行される途中も、その後も紀子はしごく平静で静かだったらしい。署員の問いには応えず、「私が燃やした」という言葉だけ繰り返した。あとは悄然としていた。

 真壁が燃えた現場を見た後に三鷹南署へ足を運んだとき、紀子はすでに取調室に入っていた。あくまでお客さまの真壁は取調の邪魔はせず、受付前のベンチに腰を下ろした。

 それから間もなく、署の玄関に中年の男女が駆け込んできた。紀子の叔母夫妻だろう。当直の署員にせき立てられて、どこかの部屋に姿を消す。

 清宮の連絡を待ちながら、真壁は黙りこくっていた。自分がちらりと関わっただけの女子高生のタレ込みが、こんな結末を迎えたことに当惑していた。

 午前零時前、段田が1階に姿を見せた。2人は誰もいない刑事部屋で少し話をした。

「吐いた」段田は言った。「調べは明日もやる。紀子は今、留置場へ移した」

「叔母の夫妻が来ていたようですが」

「話にならん。2人ともそろって『信じられない』、『何かの間違いだ』の一点ばり」

「質問には答えないのですか」

「うむ。気が動転して答えられんのか、答えたくないから何も言わんのか、よく分からん」

「紀子の様子は」

「少なくとも興奮してる様子はない。かといって冷静かというと、ちょっと違うな。むしろ放心してる感じだ」

「犯行は認めましたか」

「ああ。火をつけた一部始終はな。だが動機となると、いっさい何も言わん」

 真壁は漠然と考えた。心を閉ざした故の形だけの自供。自分がやったとあっさり認めることでそれ以上の追及を拒絶する。決して心のうちを明かさずに法廷に立ち、そのまま刑務所に消えていく。そういう犯罪者たちが現に何割かはいる。

「明日一日、ゆっくり話してみるが、ポイントは親子関係という気がしたな。どうだ?」

「そう思います」

「叔母夫婦によると、紀子の両親は教育に熱心で、一人娘の紀子は名門校に進学するのが至上命令となってた。今回の放火はそういう親子の反目が生み出した結果だろう?」

「おそらく」

「他に何かないか?」

「友だち」

「タレ込みしたという、友だちか」

「最後の最後にした方がいいかも知れませんが、どうしても紀子の壁が崩れないようなら、ひと言、持ち出してみて下さい」

「そんなに大事な友だちか」

「分かりませんが、そういう気がします」

「名前は」

「桐谷芽衣。同じ高校で、去年まで一緒のクラスだったと聞いてます」

 段田はメモをした。

「他にはないか」

「実は桐谷芽衣が最初にタレ込んだのは、同僚の清宮なんですが、そのとき芽衣は面識のない清宮を本庁の刑事だと正確に知った上で接触してきたのです。本庁の名簿がどこからか洩れたと考えてますが、その点について、ちょっと紀子にほのめかしてくれますか」

「信じられん話だ」段田はうなずいた。「そうか、君がガキのタレ込みに乗った本当の理由はそれだな。これで、やっと合点がいった」

 その時、スーツのポケットに入れている受令機と携帯端末が鳴り出した。自動的に腕時計に眼を落とす。午前0時半。《清宮はどうした》そう思いながら、真壁は電話に出た。相手は開渡係長だった。その声を聞いた途端、真壁は眼を見開いた。

「新條博巳が自殺した」

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