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 真壁は背広の胸ポケットに入れていた携帯端末が震えだしたことに気づいた。自動的に腕時計で時刻を確認する。午後5時16分。相手は三鷹南署の段田だった。背後から聞こえてくる物音がざわざわしている。山カケ(所轄署間の交信が可能な無線方式)の車載無線の声だった。

「久我山三丁目の火事場からだ」段田は言った。「宮藤研作が住んでた部屋が燃えてる。三丁目の31番地。石油臭い」

 真壁は脳裏にピンと来るものがあった。

「おり返し連絡します。車は?」

「三鷹二号」

 真壁は電話を切った。手帳をめくり、新條紀子が通う予備校の番号を探し出して電話をかけた。出来るだけ性急な声を作る。

「そちらの高三コースに、〇〇高等部の新條紀子という生徒がいると思いますが」

「失礼ですが、どちらさまですか」

「親です。紀子がいたら呼んで下さい。実は火事で・・・呼んで下さい!」

「火事・・・?ちょっとお待ちを」

 1分待たされた後、「今夜は欠席しておられますが」という返事があった。

 真壁は続けて懐の手帳で電話番号を確認した。電話先は板橋区前野町にある新條紀子の叔母の家だった。

「こちらは、〇〇ゼミ新宿校ですが。そちらに、新條紀子さんはおられますか?」

 主婦らしい女の声が「予備校ですか?」と聞き返す。

「〇〇ゼミの教務担当です。さっそくですが、本日のクラスに紀子さんが欠席しておられるのですが・・・」

「え・・・」と小さな声が返ってくる。

「風邪でも引かれましたか」

「いえ、そういうことは・・・」

「当校としましては、紀子さんのためにも、なるべく欠席しないでいただきたいので、お電話させていただきました。よろしくお願いいたします」

「はあ、こちらこそ」

 真壁は通話を切った。戸惑い、うろたえた女の声が耳に痛かった。

 続いて《三鷹二号》を呼び出した。真壁は段田に目撃者の有無を尋ねたが、「無い」という返事だった。仮に誰かが現場付近でカバンを下げた女子高生を見たとしても、不審には思わないだろう。現状では、紀子の写真を持って聞き込みする理由も特にない。

「そういえば、女子高生のタレ込みの件はどうなったんだ?」段田が言った。

「実は、犯人は老人をタオルで首を絞めてから部屋の鍵をかけて出たというんですが」

「ええ?」

「話を裏付ける証拠はありませんが」

「ちょっと聞くが・・・」段田は声を潜めた。「そんな話、まさか本庁の全員に通ってるわけじゃないだろう?」

「ええ、知ってるのは私と他三名だけです」

「君が個人的に俺に相談している、ということだな?」

「そうです」

「よし。それなら、話ぐらい聞いてやる」

 真壁はこれまで新條紀子を観察した成果、家族構成などを話した。段田は警察と消防の調書を調べ直し、新條の家族の周辺をそれとなく見てみることを約束した。

 最後に段田はうたぐるように呟いた。

「俺なら、見て見ぬふりをするけどな。子どもの話だぞ・・・」

「私らが見て見ぬふりをしても、破滅する子は破滅する。せめて誰か見ている者がいた方がいい。刑事なんか、本人の孤独には何の足しにもならないでしょうが」

 午後6時10分前、交替の桜井が颯爽とした風情で20階のエレベーターホールに姿を見せた。

「ホテル側から要請があってな」

「どんなです?」

「お勤めは致し方ないが、宿泊客に威圧感を与えない服装でお願いしたいってさ。せめてネクタイ着用は常識ってことよ」

 桜井はニヤニヤ笑いながら、「事務所は動きなし」と最新の状況を報告してきた。こんな時にネクタイがどうしたと戸惑い、真壁は新條にも動きがないことを伝える。上がってきたエレベーターに飛び乗り、備え付けの鏡で首元を見る。着けていたはずのネクタイはいつ外したのか覚えていなかった。背広を探り、スラックスのポケットの中に丸まっていたネクタイを取り出す。エレベーターが1階に着く前に締め直して、フロントに向かった。

 真壁はフロントに新條の氏名と部屋番号を告げ、内線をつないでもらいたいと申し出る。係員は「失礼ですが、どちら様でしょうか」と尋ねた。

「警察です」

 係員は困った表情を見せた。指定した者しか取り次がないよう客から指示されている顔だった。その眼前に、真壁はさっと警察手帳を突き出した。

「急用です。内線で、部屋に上がるからと本人に言ってください」

「ご用件は、何とお伝えすればよろしいでしょうか・・・」

「娘の紀子さんに放火の容疑がかかってると」

 本人は電話に出たようだった。係員は言われた通りに伝え、受話器を置いて「お引取り願いたいとのことです」と言った。

「お手数かけました」

 真壁はその場を離れた。

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