[28]
その日は土曜日だったが、捜査に休日は無かった。
真壁は午前9時に八王子東署を出た。そういえば桐谷芽衣と新條紀子の学校も土曜日は授業があったなと思いながら、まず向かった先は宮藤研作が生前最後に勤めていたビル清掃会社だった。
ビル清掃会社は上板橋一丁目の川越街道沿いに4階建ての本社を持っていた。受付で応対に出た事務員に警察手帳を示し、適当な嘘を並べて捜査に必要な書類を持ってきてほしいと告げた。半時間ほど受付に立って待った後、真壁は出勤簿や住所録と人員配置表のコピーをカバンに入れて会社をあとにした。
三橋英里の周辺捜査に向かう電車の中で、真壁はビル清掃会社から貰った資料にざっと眼を通した。当たる時は当たる。宮藤は数回、三橋の勤務先で清掃を担当していた。宮藤が三橋のストーカーだったかはともかく、2人の接点はたしかに存在した。
日中は八王子東署員と合流して三橋の関係先で聞き込みを行った。依然として消息が不明のままである三橋の行方やストーカーについて当たりは無いまま、真壁は京王プラザで新條の動向を監視するために新宿に向かった。
監視の交代までまだ時間があった。真壁は新宿三丁目の新宿通りに並んだ家電量販店の路地を少しうろうろし、目当ての名画座の看板をようやく見つける。地下に降りて入場券を買った。聞いたことも無い古い洋画の2本立てがかかっていた。
二百人ほど入れる館内には、黒い頭が5つか6つ散らばっている。その中に1つ、深く垂れた頭を見つける。真壁は急いで背後の席に座り、前の座席の肩を揺すって「おい」と声を殺した。「こんなところで寝るな」
「ああ、来たか・・・」
男は初台の小さな出版社に勤める情報屋だった。以前に真壁が新宿西署で巡査をしていた時、酔っ払って路上で寝ていたこの男を何度か叩き起こしたことがある。その時もらった名刺では名前に山岡とあったが、本名かどうかは調べたことがない。
山岡は酒臭い息を吐いていた。片手にはカップ酒。真壁はうんざりしながら聞いた。
「それで、首尾は?」
「バアさんどもの口の軽さといったら、まあひどい。俺はもう怖くなっちゃって」
「いいから早く話せ」
山岡には三橋英里の両親が離婚していた件について調査を依頼していた。山岡いわく大した苦労は無かったらしい。三橋英里の母親が以前に暮らしていた家の近所を数件回った結果、離婚相手の苗字を掴んだ。ミヤタかミヤフジだったという。
「その別れたミヤフジとの間に子どもはいなかったのか?」
「娘が1人いて、その子は母親が引き取ったそうで」
「その一人娘の名前は?」
「エリコだかエリだか、そんな名前です」
脳裏に浮かんだ名前は一つだった。真壁は「書くんじゃないぞ」と低い声を出した。
「分かってますよ」
別れ際に、真壁は山岡の上着のポケットに一万円札をねじ込んだ。
「これで旨いものでも食え」
真壁は映画館を出た。
宮藤研作と三橋英里が実の父娘だった。傍証ではあるが、宮藤が三橋の部屋を盗聴していたストーカーである可能性が一番高い。真壁はそう思った。2人の部屋に遺された盗聴器が同じ構造をしている件もある。子どもの頃に離別した実の娘に対していろいろ思うところがあったのか。部屋を盗聴しようと思い立った理由は不明だが、宮藤が三橋に接触しようとしていたのではないか。
しかし、だから―?
ホテルに向かう道すがら、不意に真壁は白けたような気分になった。宮藤が三橋を盗聴していたかもしれないという話はどこまでも自分自身の不健全な想像に過ぎない。誰が梁瀬陽彦を八王子の路地で撲殺したのかという本命の事件の真相から離れているような気がした。
午後4時半。真壁は京王プラザの20階に出向いた。エレベーターホールの片隅に立った田淵と張り込みを交代した。田淵いわく相変わらず新條に特に動向が無いという。張り込みは午後6時まで。あとはひたすら忍耐の時間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます