第6章

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 真壁は新宿の京王プラザホテルに向かった。電車の車窓から差し込む陽射しで背中が暑かった。ホテルに入ると、いったん1階ロビーの喫茶店に顔を出した。数杯のコーヒーで何時間も粘っていた八王子東署の捜査員からは「特異動向なし」という話だった。

 エレベーターで20階に向かう。新條が宿泊する部屋がその階にあった。エレベーターホールで、真壁は吉岡と張り番を交替した。京王プラザに限らずホテルは出入り口が多い。確実に宿泊者の出入りを見張るには、宿泊階のエレベーター前しかなかった。

 静まり返ったホールで早朝から6時間、新條の部屋を見張っていた吉岡は「全然動かないなぁ」とため息を吐いた。こう薬の臭いをぷんぷんさせている。

「午前7時半に朝刊を回収。8時にルームサービスの朝食1人分。9時にクリーニングの受け取り。テレビの音はなし。話し声もなし。フロント経由の伝言や郵便もなし。訪問者なし。仕事関係の連絡は外線電話を使ってるな」

 吉岡は引き返した。真壁はホールの片隅に立った。このまま午後6時まで張り込みする。静まり返ったホテルの客室階は空調設備のかすかな唸りしか聞こえない。真壁は通路に向けた耳だけを働かせながら、手帳を開いた。当面の懸案に関係なくとも、捜査の最中にそれとは別に頭に浮かんでくる事柄は念のために時間が許す範囲で調べてみる。今はそうした事柄を検討する時間だった。

 昼間は三橋英理の友人の一人に会った。氏名は菅原愛美。年齢は三橋と同じ25歳。三橋とは小学校以来の付き合いだという。

 真壁は菅原の勤め先に近い麻布十番のカフェで聴取した。菅原は注文したカフェラテをひと口含んでから話し始めた。

「・・・半年ぐらい前だったと思うんですけど、小学校六年生の時に担任だった女の先生が白血病で急に死んだって他の同級生から聞いて、葬儀の日程を英里に伝えたんです。英里はその先生をとても慕ってたんです。先生も英里のこと、本当にかわいがっていましたから。実は、英里の家はあまり・・・」

 菅原は不意に口を噤んでしまった。同席の八王子東署員が言った。

「英里さんの家がどうかしたんですか?」

 菅原は真壁にちらりと視線を送ってきた。

「刑事さんたちはもう知ってるんですか?」

「何をですか?」真壁は思わず苛立った声を出した。

「英里の家は貧しかったんです。ご両親は離婚されて、英里がたしか・・・小学校四年生の頃だったと思います。それからお母さんがお一人で英里を育ててたんです。だからその先生がよく放課後、時間を取って英里に勉強を教えたり、夜遅くまで付き合ったりしてたんです。英里のお母さんはお仕事で帰ってこられるのが遅くて」

 話が担任の葬儀に及んだ。葬儀は担任の故郷である大阪で執り行われた。葬儀の通夜で2人が会った時、三橋は左手の薬指に指輪をしていた。菅原が訳を聞くと、三橋は結婚を考えている男がいると答えたという。八王子東署員が質問する。

「三橋さんは結婚相手のことをどう仰っていましたか?」

「どうって・・・2人ともその時は通夜でしたから、結婚の話をするのもどうか思って話は終わりました」

「葬儀の後、三橋さんとは会われたんですか?」

「いいえ。2人とも仕事がありますし・・・」

「三橋さんの結婚相手がどんな人かは?」

「知りません」

「三橋さんがストーカーに付きまとわれていたことは知ってますか?」

「英里がストーカーに?いいえ、初めて知りました」

 菅原が驚いた表情を見せた。三橋英里の母親と同じ反応だった。

 真壁は念のため「三橋さんの周辺で見かけた顔はありませんか?」と聞いて新條博已と梁瀬陽彦の顔写真を見せたが、菅原は心当たりがないと答えた。三橋英里に指輪を送った相手。新たな男の影の出現だった。

 個人的に頭を痛める問題はまだあった。聞き込みの最中に、真壁は科捜研から電話を受けた。宮藤研作のアパートに放置された段ボール箱の中に盗聴器があり、三橋英理の部屋から見つかった盗聴器と同じ造りだという。

 単純に考えてみれば、宮藤が三橋の部屋を盗聴していたということか。2人はどこで面識を持ったのか。三橋の勤め先に宮藤が清掃員として入っていた場合は十分に考えられる。ビル清掃会社に確認を取ってみる価値はあるかもしれない。そう幾重にも自分の脳裏に刻み付けると、真壁は初めに予想もしなかった疲労感を覚えた。

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