[26]
「では、各班。報告はじめ」
開渡係長が夜の捜査会議の開始を告げた。捜査員のどの顔もそれぞれに疲労だけを残した無表情に戻り、単調な報告を耳に刻み込むだけの時間になった。
十係からは3点が報告された。「新條は終日事務所に姿を見せず、自宅も留守」「新條は16日の昼から、新宿の京王プラザホテル20階のスイートルームに宿泊」「新條の自家用車から採取した指紋が、三橋英理の部屋から検出された指紋と一致」これらの報告を聞いた八王子東署の署員たちも息を呑むのが分かった。
所轄の刑事課長が聞き込みの報告に入ろうとした時、珍しく本部に姿を見せた管理官の秦野警視が幹部席から「おい」と顎をしゃくった。
「三橋英理の部屋から出た指紋が、なぜ新條のものと分かった?」
「新條の自家用車の指紋と一致しました」報告者の吉岡が繰り返した。
「車の指紋の採取は令状を取ったんだろうな?」
「いえ」馬場が答える。
「そんな証拠は提示できないぞ!弁護士相手にそんないい加減な証拠を突きつけて、恥を晒す気か!」
「現段階で証拠として本人に提示する気はありません。会って話をすることをできれば、新條には聞きたいことが沢山あります」
「そもそも、人権派の弁護士が通り魔事件とどう関係する?」
今度、口を開いたのは杉村だった。
「新條博巳は事件の重要参考人として早急に聴取する必要があります。私らがいつでも親切に話を聞いてやるのに、自宅・事務所は不在。本来なら正式に身体検査令状を取ってやるものを、勝手に逃げ回ってるのは事実です」
「新條にいったい何の容疑がある?」
「殺人です」
「おい、開渡!」秦野の上ずった声が飛んだ。「今、こいつらが言ったことについて、君は係長として承知しているのか!君の監督責任だぞ!」
「してます」開渡係長が無表情で答えた。「16日早朝から行方をくらました時点で、新條弁護士は本件の重要参考人です」
覚悟を決めたらしい開渡係長に対して、田淵が自席からパチパチと短い拍手を飛ばす。秦野は苦笑を浮かべた。開渡係長は報告を中断させられた刑事課長に向かって「続けてください」と言った。
聞き込みの方では、一つ成果か出た。目撃者が一人出てきたのだ。14日夜の午後8時前、JR八王子駅前の喫茶店の主人が店の前の自動販売機のタバコを補充しようとしていた時、新條によく似た男が「ちょっと待って」と駆け寄った。男は機械に小銭を放り込み、タバコ一個を買っていった。
「確認に使った写真は?」真壁は言った。
「弁護士名鑑のものです。翌朝、チラシの写真で再度確認をとります」
「所轄が知恵つけやがって」
桜井が悪態をついた。その隣で田淵が「お前もつけろよ」と茶化す。
新條がその後、どこかの居酒屋やスナックに立ち寄った形跡はない。梁瀬陽彦とほぼ同じ時刻に駅前にいた新條がそこからレジデンス子安町を目指して同じ方向へ歩いたか車で向かったとしたら、どういうことになるか。
三橋英理が住んでいた302号室に入ったのは、新條か梁瀬か。
「この当たりはデカイぞ!京王プラザの張り込みは2人ひと組。今からアミダ籤!」
馬場の本音は新條を精神的に追い込むことにあるのは容易に想像がついた。それが吉と出るのか凶と出るのか、真壁には分からなかった。しかし所轄にしても、より目標の見える張り込みは気分転換になる。すぐに捜査員たちにアミダ籤が回され、会議室はまた少し沸き立った。
会議の最後に、秦野が「杉村、馬場」と名指しした。「捜査方針に対する君らの認識は非常に問題がある。自重しろ」と付け加えて部屋を出て行った。その背中に向かって馬場は「自重してホシが捕まるならいくらでもしてやる」とぼやいたが、奇妙なことに真壁は心から湧き上がる賛辞を禁じえなかった。
真壁は明日から三橋英里の関係者への聞き込み担当するよう言われた。
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