[25]
真壁はその日も朝から新條の写真を片手に、現場周辺の聞き込みに回った。連れは八王子東署の署員だった。外は初夏の強い陽射しが降り注いでいた。ひたすら不快な眠気をこらえて、歩くだけの時間ばかりが流れる。
「整形でもしてるな、きっと」
中年の署員が不意にそう言った。真壁は「え?」と聞き返す。
「新條の顔だよ」
「ああ」
事件の捜査線上に新條博已の名前が浮上してから今日で2日。現場周辺からは、新條の顔を目撃した者はまだ現れていなかった。自分たちが本命から外れているような気分に襲われる。そういう弱気を吐き出せない分、大した進展がない焦りが募る。
「奴さんの顔をいっぺん拝んでみたいもんだ」署員は言った。「逢うと、やったかやってないか何となく感触が掴める。お宅は本庁だから、顔見れるだろ?」
「どうですかね。自分は係で一番若いので」
真壁は苦笑を浮かべた。
「まあ、たしかに」署員も同じく作り笑いを返して欠伸をした。
昼頃に聞き込みを切り上げ、まず真壁が向かったのは旗の台の東都大学付属病院だった。特に用事は無かったが、入院棟の地下にある法医学教室を訪ねる。部屋の戸口に立った真壁を出迎えたのは奈緒子だった。非番はこの部屋で息抜きしているという話だった。
書類の山の向こうから開口一番、岡島に「お疲れのようですな」と言われた。
「ちょっと涼みに」
奈緒子が冷えた麦茶とカップ入りのアイスクリームを出した。アイスクリームはよく冷えていた。どういう冷凍庫に入っていたのか。余計なことを考え出す前に、真壁は黙々とスプーンで口に運ぶ。
「アイスクリーム、美味しい?」奈緒子が言った。
「いや、まあ普通だが」
「それは良かった」岡島が言った。「冷凍庫が冷凍庫なもので」
やっぱり。いつ会っても足が地面から3センチ浮いているような法医学者相手に雑談をして時間を潰し、病院を出たのは午後3時半を過ぎた頃だった。杉村から新條の弁護士事務所前で張り込みを頼まれていた。
渋谷駅で電車を降りる。すでに午後4時を過ぎている時刻を気にしながら、真壁は明治通りを神宮前六丁目まで急ぎ足で歩いた。ローヤルファーム法律事務所の前の路傍では、田淵が缶コーヒーを啜りながらスポーツ紙を立ち読みしていた。
田淵は入口を顎でしゃくってみせた。
「先生のご尊顔を拝するに至らず。事務員曰く、クライアントを何軒か回っていて、事務所に戻る時間がないとか」
「連絡も付かず、ですか?」
「先生は携帯電話をお持ちじゃないそうで」
そんなバカなことがあるか。真壁は呆れた表情を浮かべた。
「土産は2つ。まずはこれ」
田淵はポケットからチラシを1枚出して見せた。A4判のチラシには『ガンビアの子どもたちへノートと鉛筆を送ろう』とあり、援助団体や協賛団体が並んだ下には、難民キャンプを視察している日本人数人の写真が載っていた。
「ほら、この日焼けした御仁が新條博巳。弁護士名鑑の写真とはえらい違い」
写真の中で、難民の子どもを抱いてにこやかに笑っている開襟シャツの男は、逞しく日焼けした腕の筋肉が印象的だった。弁護士名鑑で見た平板な四〇男の顔とは対照的に、存外にスポーツマンタイプのようだった。
「それから、主任と一緒に事務所に入ったとき・・・」
「何か言われなかったんですか?」
「平静なもんよ。主任が男のイソ弁つかまえて『先生に至急教えていただきたいことがあるんですが。いやぁ、お出かけですか』とか何とか言って粘ってたら、後ろから女の事務員が受話器持って『京王プラザからお電話です』ときた。今度は間違いないぞ」
田淵は引き揚げた。一足先に杉村が行った京王プラザに脚を運ぶつもりなのだろう。
真壁は近くのコンビニでA4判のチラシを捜査本部にファックスで送り、電話で再度の地取りを行うよう開渡係長に言った。そして、新條が現れるのを待つ。5階建てのビルを眺める。三橋英理の勤め先は3階の貿易会社。新條の弁護士事務所は4階。2人の接点は考えられなくはない。
その時、ビルの前にヴァンが停まった。車体に書かれた清掃会社のロゴに眼をやる。どこかで見覚えがあった。突然、真壁は眼の裏にじりじりと焼け付くような焦燥を覚えた。手帳を取り出し、夢中でページをめくる。あるページを見つけ、しばし呆然とした。
宮藤研作の勤め先であるビル清掃会社だった。
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