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 翌朝、八王子東署の捜査本部は少し人数が減ってスカスカになった。管内で強盗傷害事件が発生したために捜査員が足らなくなり、急きょ捜査本部から4名が抜けて行ったからだった。

 十係の面々は普段通りの白々しい顔だったが、副署長からストーカーの案件を聞かされたらしい刑事課長は血走った眼をしきりに十係の方に向けてきた。

 新條の家を見て来た吉岡が報告を行った。表から見える窓は全てカーテンが閉ざされており、郵便受けに新聞はなかった。車庫には黒い乗用車が1台。玄関のドアには、新装開店を知らせる吉祥寺駅前のパチンコ店のチラシが挟まれたままだった。

「新聞は16日から止められてます。パチンコ店のチラシ配布は16日の午前中。ですから、新條が自宅を空けたのは15日、もしくは16日早朝」

「奥さんと子どもは?」杉村が言った。

「今のところ、所在は不明です」

 家族一同の所在が不明だというのは異常事態だった。真壁は内心で驚いていた。

「弁護士と言ってもやってることは低能だな」桜井が吐き捨てる。「自分たちでおかしいですって周りに言ってるようなもんじゃねえか」

 そこまで来たところで馬場が素早く頭のメモを整理するやいなや、ぐるりと捜査員を見回して「さあ、要点を言うぞ」とまくしたてる。

「新條博巳は梁瀬陽彦、三橋英理の両名に関わる重要参考人として早急に聴取する必要がある。聴取は・・・」

「俺がやる」杉村が手を挙げる。「田淵さん、一緒に来てくれ」

「新條の奥さんと子どもへの聴取は俺と桜井、お前だ。吉岡さん、新條の車のナンバーは確認してますね?」

 吉岡がうなづいた。

「Nシステムで11日から14日における新條の車の行認。残りの捜査員は新條の写真を持って、現場周辺での聞き込み。三橋英理の自宅・携帯電話の通話記録、友人・知人への再度の聞き込み。以上、これらの点を早急に確認すること」

 そうして、その日は弁護士名鑑からコピーした新條博巳の顔写真を手に、真壁は八王子東署の署員と子安町四丁目の周辺を歩き回ったが、大した成果は上げられなかった。

「真壁、ここからはまかせてくれ」吉岡は言った。

 2人は夜中の久我山四丁目の路傍にいた。眼の前に新條博已の自宅が建っている。一見して数週間前に見た時と変わっていないようだが、どの窓も明かりがついていなかった。吉岡は真壁が持っていたカバンを受け取る。カバンには八王子東署の鑑識から分けてもらった指紋採取用のアルミ粉の容器と刷毛が入っていた。真壁は見張りに立つことにした。深夜零時前の住宅街は人通りも無いが、街灯は明るい。

 吉岡はカバンを肩に提げ、フェンスを乗り越えて車庫に入った。新條が残していったベンツのドアの把手、ドアミラー、ウィンドウなど運転手なら手を触れそうな箇所に銀色の粉末を塗りたくった。角度を変えて懐中電灯の光を当て、指紋を見つける。その上にゼラチン用紙を当てて写し取る。

 三橋英里の部屋に遺された第三者の指紋が新條の物かどうか早急に知る必要があった。新條の自家用車から出た指紋なら間違いないということで、馬場が2人に指紋の採取を命じたのだった。開渡係長は「採取方法や場所に問題がある」と言ったが、馬場の剛直に押し切られた。

 背広姿の男が1人、不意に路地に現れた。帰宅を急ぐサラリーマンだろう。真壁は《隠れろ》と吉岡に合図を送った。不審な眼で男が通りすぎる。真壁は無表情で男を睨みつけた。男はそそくさと立ち去り、また振り返ってこちらを見る。真壁は背中で組んだ手で、隠れている吉岡に《OK》と合図した。

 作業は半時間ほど続いた。吉岡は合計20枚の台紙に指紋を取り、銀色の粉を被った車体をハンカチで拭いた。2人は急いでその場を離れ、いくつか路地を曲がってからやっとひと息ついた。

「刑事っていうのはいい加減な商売だ」吉岡が言った。

 その淡々とした吉岡の横顔を見ながら、真壁は少し侘しいものを感じた。新條の指紋。もし当たれば大穴なのに。老兵の胸中にはさざ波も立っていない。真壁自身にも飛び上がるような興奮は無かった。自分の胸が躍らない理由も分からなかった。何が胸にこたえているのか。

「新條の奥さんと子どもはどこにいるって言ってましたっけ?」

「たしか・・・母親は勤め先の高校近くのホテルに下宿。紀子っていう一人娘は板橋の親戚のところへ身を寄せてる。母親の妹だとか」

「新條の車の行方は分かってるんですか?」

「まだ不明」

 頭は冴えすぎて寝不足なのに欠伸も出なかった。今夜はまだ寝られない。吉岡とは吉祥寺の駅前で別れた。八王子東署の鑑識に指紋の台紙を届けるために、真壁は高尾行きの終電に飛び乗った。

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