[20]
真壁はマンションを出た。とりあえず野猿道路まで出るために北へ足を急がせた。その時、背後から声をかけられて振り向いた。
赤ら顔の中年男が眼の前に立っていた。警備会社の制服を着ている。警察学校の生徒と見間違うような初々しい敬礼を真壁に向けた。
「警備保障二等警士、中村伸也、報告いたします。自分は現在、子安町ビルにて日勤および夜勤の警備業務に就いておりますが・・・八王子東署の方ですよね?」
「そうですが、何です?」
「はっ、自分は9日前の14日夜に近くの路上で交通事故を目撃しまして、申告した次第であります」
「交通事故?」
「はっ、事故当夜の午後7時13分ごろ、自分は夜勤をしていたのでありますが、そこの十字路で」警備員は左手にある交差路を指した。「大きな音がしましたので、何事かと駆け寄りますと、黒い乗用車とバイクが接触したのが見えまして」
「わかりました。署の方には私から言っておきます。ごくろうさま」
警備員はすぐ近くのビルへと戻って行った。ちょっとした脱線のおかげで、真壁は混乱して立ち止まった。そこへ今度は、自転車に乗った巡回中の警官に「やあ、捕まりましたな」と長閑な声をかけられた。
その警官の話によると、あの警備員はこの近所では有名人らしかった。叔父が刑事畑の警察官。その叔父にあこがれて、高校卒業と同時に警察官採用試験に臨んだがペーパーで落ちた。以来、採用対象年齢の上限まで毎年試験を受け続けたという。
そういえばと、真壁は思い出した。いつだったか、地どり担当の馬場が聞き込みで、捜査員に声をかえては捜査の話を聞き出そうとする変な警備員に会ったとぼやいていた。
「交通事故の件、把握しているんですか?」真壁は言った。
中年の警官は首をひねった。
「それが分からんのですよ。あの警備員は黒い車とバイクが当たったみたいなことを言っとるんですが、署や交番に通報は無かったんです。まあ軽い接触でケガが無かったら、届けないのもざらですし」
事件の少ない所轄とはもはや隅々まで波長が違うなと感じながら、真壁は機敏に頭を働かせた。14日夜の交通事故。15日未明の失踪。十数メートルしか離れていない現場。これで何も感じなかったら、刑事失格というところだった。
その場で警官と別れ、真壁は野猿道路でタクシーを拾った。署に戻ったのは午後10時過ぎだった。捜査本部が置かれた会議室に入る。電話機の並んだ机に肘をつき、当直が雑誌をめくっていた。《何しに戻ってきたんだ》という目線に片手を振って応え、真壁は電話機1台を手に、刑事に背を向けた。
まず多摩ニュータウンにある開渡係長の自宅に電話を入れた。本人はまだ帰っていなかった。奥さんに用件を伝えた。次いで、清宮の携帯電話にかけたが返事は無く、留守番電話にメッセージを入れた。光が丘の馬場宅にも電話を入れたら、こちらも珍しく留守番電話だった。メッセージに同じ用件を伝えた。
続いて本庁六階の捜査一課へつないだ。電話に出た当直に尋ねた。
「八王子東署から。十係の真壁です。今夜、女の死体がどこからか挙がってないですか」
「コロシの、ですか?」
「いや。身元不明死体とか・・・」
「今のところ、ないです」
「女の変死体が挙がったら、何でもいいから知らせて下さい」
続いて、同じく本庁の鑑識の当直とも話した。
「一課十係の真壁ですが。女性の身元不明死体の照会、どこからか来てませんか」
「いつごろの話だ」
「失踪は15日未明」
2分ほど待たされて、「今のところない」という返事があった。
「念のため、住所氏名年齢を聞いておこう」
真壁は三橋英理という失踪人の氏名と住所を伝えた。年齢は不詳だが、明日の朝には調べがつくと言っておいた。
受話器を置くと、ほとんど入れ替わりに別の電話が鳴った。当直より先に「自分が取ります」と言って、真壁は受話器を掴んだ。相手は開渡係長だった。
「開渡だが」
「真壁です。現場近くで一軒、女性が失踪した家が見つかりました」
「それで・・・」
「事件との関連はともかく、失踪は事実なので、明朝一番に緊急手配と家宅捜索します。午前6時に始めますから、その時間までに本部に出て下さい」
「緊急・・・という根拠は何だ」
「理屈なんか、後でくっつけたらいいでしょうが」思わず受話器に怒鳴った。「とにかく捜索令状を取ります。以上です」
時刻は午後10時15分。時計を見ながら、令状請求書をさっと書いて自分の判子を押す。真壁は「判事の判子をもらってきて下さい」と当直に手渡した。
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