第4章
[18]
4月20日から、ぽつぽつと事件につながる情報が挙がってきた。梁瀬の身辺を探り続けていた真壁と桜井の班がつかんできたのは、例の高野豆腐の話だった。
事件の10日ほど前、某出版社の女子社員が、仕事の打合せで来社していた梁瀬と短い世間話をした。そのとき、梁瀬は顔色が悪く、腹を下したと言っていた。女子社員が訳を聞くと、冷蔵庫に入れてあった高野豆腐を食べたのだという。しばらく食べる機会がなくて忘れていたものだが、腐っているとは思わなかったし、そのせいであたったのではないだろうと梁瀬は言った。女子社員が「そんなもの、捨てなさいよ」と言うと、梁瀬は「捨てるのは簡単だけどね」と謎めいた返事を返した。
このとき梁瀬が何を言おうとしたのかは想像に任せるしかないが、少なくとも鑑識が大学の研究室に鑑定を依頼した検査結果では、冷蔵庫から回収した高野豆腐はカビの生え始めから少なくとも10日以上は経っているということだった。逆算すれば、梁瀬がそれを食べた時はすでに腐っていた可能性が高い。臭いや味ですぐに分かるだろうに、それを口にして「腐っているとは思わなかった」と他人に言った梁瀬は、よもや単純にそう思って食べたのではない。女の炊いた煮物を前に、なにか思うところがあったのだろう。
「カワイイよな」というのが、その話を聞いた桜井のオチだ。
その他、事件当夜の午後8時10分ごろ、とちの木通り沿いを歩いていた塾帰りの中学生2人が被害者によく似た服装の男を見たという証言も出てきた。男は子安町四丁目の方へ路地を曲がって行ったという。これは午後八時に被害者を見たという八王子駅の駅員の証言と、時間的に符合している。
また、事件発生直後の聞き込みで、男の大声を聞いたと証言した住人の1人が、新たに思い出したことが一つ。2階の枕元で大声を聞いた直後、入り交じった靴音が二つに分かれて、それぞれ反対方向に離れていったようだということだった。
その住人の住まいは、犯行があったと思われる四つ角の北西の角にある。二つに分かれた靴音の一つは北へ、もう一つは南へ走ったということだ。北へ走ったのは被害者であるから、南へ走ったのは
被害者梁瀬陽彦は間違いなく北へ52メートル走っているが、重傷を負って走ったのだから十数秒はかかったはずだった。その間にさらに大声を上げるやも知れず、近隣の住人に目撃されるやも知れない。その危険性を思えば、ホシはなぜガイシャが走ったのと同じ道路を南へ走ったのか。なぜ、四つ角を曲がって東西へ逃げなかったのか。
これは、ホシが凶器を準備して被害者を待ち伏せていたという前提に立てば不自然な逃げ方だった。証言した住人の思い違いかも知れないという判断で、保留になった。
この他に、地どりもカン捜査もめんめんと続いていた。梁瀬の身辺を洗っているカンの四組は梁瀬のタイムスケジュールを追っている。梁瀬が残した手帳やカレンダーから仕事先の受注日と実際に入稿した日、各社との打合せ、各社担当者が仕事の電話を梁瀬に入れた日時を割り出す。そのとき梁瀬が自分で受けたか、留守番電話になっていたか、また友人・知人と飲んでいた時間などを判明した限りで組み立てる。すると、梁瀬が事務所で仕事をしていた時間、プライベートの用事で自宅を空けていた時間がかなりの精度で浮かび上がってくるのだった。
そうして作ったタイムテーブルによれば、事件のあった4月11日は午後6時過ぎから梁瀬が自宅を空けていたこと、締切りが近い仕事に追われずに自宅を空けられるような状態だったこともあらためて確認できた。
そういう日は判明した限りではあまり多くないが、4月4日の夜も同じようなパターンだったことが分かっている。その日も梁瀬は午後6時過ぎから自宅を空け、翌日の午前0時過ぎに帰宅している。留守番電話を聞き、午前1時前に友人の1人に電話している。それ以前の6時間、どこへ行っていたのかは不明だ。
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