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《子安町四丁目通り魔殺人事件捜査本部》
八王子東署の会議室の外に看板が掲げられていた。まだ墨も乾いていない出来立てのように見える。署長や刑事課長以下、所轄の刑事課と第二機動捜査隊、鑑識併せて十数名がすでに部屋に入っていた。十係の8人は三々五々、署へやって来た。
一番乗りは田淵だった。中野に住んでいるホステス宅から来たらしい。続いて、本庁から出向いた開渡係長と真壁。四番目が馬場。眼の下にくまを作ってウィスキーの臭いを漂わせている。五番目が、寝起きの鈍い面をした清宮と吉岡。六番目が杉村。船橋在住の桜井がビリになった。
会議室に現れたどの顔は、一様に憮然としていた。今回の事件は発生からすでに34時間も経っている。現場も残っていない。ガイシャもすでに法医学教室の冷蔵庫。まずは所轄や機捜の捜査報告書、実況見分調書や検証調書、死体検案書などを延々と読み聞かされ、数十枚の現場写真を拝ませてもらう。そのためにわざわざ足を運んできたようなものだった。
本来なら顔ぐらい出すべき本庁の捜査一課長と管理官の姿もなかった。本庁を代表して開渡係長が「どうも」という素っ気ない一言を吐き、すぐに形式ぬきの本題に入った。
所轄の刑事課長が「では、現場の状況から・・・」と言いかけると、ちょっと酔いが醒めたらしい馬場が初っぱなから横柄に遮った。
「まずガイシャの身元説明」
顔に憮然とした表情を浮かべ、刑事課長が黒板に四つ切りの顔写真を貼り出した。瓜実顔の女性的な印象の2枚目だが、首は太く、肩の線もがっしりしている。口髭をたくわえた口許はすねたように歪み、表情はあいまいだ。
「氏名、梁瀬陽彦。年齢、34歳。フリーライター。自宅兼事務所は、新宿区高田馬場2-5-2-201。独身」
「第一発見者の住所、氏名、職業は」馬場が続けた。
「氏名、本間泰和。万町119-2-2-303。商社勤務」
「次、本間の供述調書を」
刑事課長が読み上げた調書によると、本間某は4月11日午後11時ごろ、帰宅途中の子安町四丁目十八番の路上で男が1人ふらふらした足取りで走ってくるのに出合った。男は本間を見るなり、「助けてくれ」と叫び、さらに5メートルほど走って倒れた。本間が近づいてみると、男は頭や顔から血を流していた。本間は急いで携帯端末から110番通報したという。
八王子駅南口の交番から駆けつけた巡査が、午後11時12分に現場で倒れている被害者を確認した。すぐに無線で救急車を要請すると同時に、傷害事件として署へ通報した。
巡査の現認では、被害者はうつ伏せに倒れていた。顔面と後頭部から右耳介部にかけて打撲と見られる創傷があった。「大丈夫ですか、どうしましたか」という問いかけに応答はなく、意識不明の状態だった。
被害者の身なりはスラックスとポロシャツにローファーの軽装。服装に乱れはなし。カバン等の手荷物はなく、スラックスのポケットに財布と携帯端末。財布の中は現金が6万7000円の紙幣と硬貨が526円、クレジットカード3枚が入っていた。ほかにハンカチとポケットティッシュが一つずつ。
真壁の隣で、田淵が手を挙げた。
「被害者の状況についての供述は、それだけですか」
「というと・・・」
「服装のどこが濡れていたとか、髪の乱れ方、アルコールの臭いの有無」
「いや、今読み上げただけです」
現場検証の責任者が作成した調書に添付された鑑識撮影の写真には番号が付してあり、枚数は60枚近くあった。写真を取りに立った杉村から、写真を1枚ずつ仲間に順送りに渡していく。1番という番号のついた写真には、被害者の倒れていた位置と体位がチョークの線で路上に描かれたものが写っていた。被害者はただちに病院に運ばれたために、姿はない。
写真を見ている間に、鑑識が報告書を読み上げていた。血痕は、被害者が倒れた場所から南へ52メートルにわたって点々と続いていた。血痕の起点となっている場所はすなわち、被害者が最初に襲われた場所と見られる。写真で見ると、ちょうど縦と横の通りの交差点に当たる。
その交差点から被害者が倒れた場所まで、自分の流した血痕を踏んだ被害者の革靴を除いては有効な靴痕跡は採取できなかった。事件発生時の1時間ぐらい前まで雨が降っていたことによる。被害者が交差点を曲がってきたのか。それとも直進してきたのか。それも靴痕跡で確かめられなかった。ほかにホシの特定につながるような遺留品、毛髪、皮膚片、衣服片その他も見つからなかった。
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