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 4月12日の午後、真壁は指定された三鷹駅前の喫茶店で待っていると、時間通りに三鷹南署刑事課強行犯担当の刑事が現れた。

「久しぶりだな」

 段田嘉浩は窓際のテーブル席に座っていた真壁の前に腰を降ろし、コーヒーを2つ注文した。五年前に新宿の歌舞伎町交番で知り合い、何度か同じ現場に出たこともある。ウェイトレスがコーヒーを運んできた後で、段田は声を低くして言った。

「用件は?」

 真壁がアパートの地番を告げる。

 段田は数回瞬きし、「2月の終わりに老人が孤独死したところだな」と即座に答えた。「あれが、何だって?」

「ちょっと私らの方へタレ込みがあって、コロシだと・・・」

 予想した通り、みるみるうちに段田の眼つきがきつくなってくる。所轄で処理した件について、本庁から口出しされて穏やかな気分でいられる者はいない。

「いったい、誰のタレ込みだ?」

「16歳の女子高生」

「寝ぼけてるのか、本庁は」

「まあ、それに近いです。タレ込んできたのは、犯人の同級生で、犯人から打ち明けられたと言ってます」

 段田はコーヒーを口に含むと、少し上体を椅子の背もたれへひいた。じろじろと真壁を見た後、「まあ、君がふざけてるとは思わんがな」と吐き捨てた。

「石油ストーブの一酸化炭素中毒という検証結果に、疑いの余地がなかったかどうか」

「検証は、うちと消防できっちりやったぞ」

「解剖は」

「たしか・・・しなかった。検死代行でウチの刑事課長が視て、その後で大学の先生にも視てもらったが、事件性を疑うような点は何も出なかった。大家に聞いてもガイシャの家族や親戚は把握してなかったから、そのまま通した」段田が真壁の肩を小突いてくる。「その前にこの件、コロシだっていう証拠はあるのか?」

「いえ、俺が個人的に相談してることです」

 その後、渋る段田を説き伏せて、真壁と段田は宮藤研作が住んでいた緑橋緑地近くのアパートに向かった。三鷹台駅前の交番で、たまたま事件当日に当直していた中年の巡査長もつかまえた。

 大家が部屋のドアを開ける。まず表面の塗装がかすれた床が見えた。巡査長が「すぐ終わりますから」と礼を言い、真壁と段田は部屋に上がった。玄関の左手が台所。くすんだステンレスの流し台に、焦げのこびりついたコンロ。奥の和室は六畳程度。窓にはきっちりカーテンが引かれているため、部屋の中はひどく暗い。家具はすべて大家が廃棄したという。巡査長が概要を説明する。

「宮藤さんは布団の中で、うつぶせになって死んでました。上半身はセーター、下半身はパンツのみ。パジャマのズボンが側に畳んでありました」

 段田が口をはさんだ。

「自分でパンツを履こうとしたか、脱いだ後に死んだってことだろう」

「石油ストーブはどこに」

「顔の脇にあった」

「遺体発見時、ドアは開いてたんですか?」

「鍵は掛かってた。外部からの侵入された形跡もない」

「死体の状況は」

「衣服に乱れはなく、目立った外傷も特になかった・・・おい、本庁はウチの事故処理にケチを付けに来たってことか。いい加減、勘弁しろよ」

 段田はのんびり苦笑いを浮かべた。事件の少ない所轄で地域に馴染んでくると、本庁にいる自分とはもはや隅々まで波長が違う感じがした。真壁は巡査長に訊いた。

「財布とか鍵とか、何か盗まれたものは?」

「所在はわかりませんでした」

 部屋の片隅に段ボール箱が山積みにされていた。真壁は大家に言った。

「これは?」

「ああ、それは粗大ゴミに出すものなんです」

「令状は無いですが、開けますよ。いいですか?」

 大家がうなづいた。

 真壁は手近の段ボール箱を開ける。中には本がぎっしり詰まっており、内容は無線、電波機器の専門書やガイドブックのようだった。次に開けた箱には、デスクトップ型のパソコン。三番目に開けた箱には回路や基盤、小さなアンテナが付いた発信器のようなものが十数点あった。

 アパートの管理会社の書類と大家の話を総合すると、宮藤がこのアパートに入居したのは4年前。大手家電メーカーで開発部門に長く勤めていたが、昨今の不景気でリストラ。それを機に離婚。子どもは娘が1人いるような話をしていたが、連絡先は不明。最近はビル清掃のバイトをして生計を立てていた。機械いじりが好きで、あまり人付き合いせず、自室で何か機械をいじっていたという。

 真壁は思うところがあって、部屋の段ボール箱を全て運び出すと、科学捜査研究所に送る手はずを整えた。段田には事故の調書一式のコピーを本庁に送るよう頼んだ。そうしてその日の残りは段ボール箱と一緒に警視庁の隣に立つ警察総合庁舎まで出向き、鑑定依頼書と証拠品預かりの書類の作成で潰れた。

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