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 真壁が初めて桐谷芽衣という少女を見たのは、吉祥寺駅の朝のホームだった。すぐに近づくことはしなかった。最初の2日間は早朝の電車に乗り、本庁へ出る前に駅まで出向いた。東京行きの電車を待っている芽衣を、遠くから観察したのだ。

 芽衣は、目白にある某私立大の付属高等部に通っている。新條紀子も同じ学校だ。教科書が入っているらしいデイパックを肩にかけ、同級生と談笑している芽衣は、明朗でくったくがなかった。優雅な雰囲気もあり、表情はきわめて明るい。 

 それから、芽衣が住んでいる松庵二丁目の自宅にも一度、足を運んだ。清宮が住むマンションは都道をはさんでちょうど反対側にある。都道は、まっすぐに吉祥寺駅へ続いている。清宮はバスには乗らずにたいてい歩くらしいが、歩道を歩いていく刑事の姿を、芽衣は何度か見かけていたのかも知れない。

 しかし、ただそれだけのことだ。真壁は黙々と歩き続ける。時には刑事にタレ込みをした少女のことなど頭にないこともあり、散漫に思い出しては忘れ、また思い出す。初夏だ。風も日差しも、日毎にどんどん暖かくなっていく。わずかしかない個人的な時間を潰して、余計な寄り道をしていた。職業的な思考が、ろくでもないことを考えていた。

 まず、新條紀子が人を殺したというような話を友人の桐谷芽衣に話したという点。親友同士の秘密の打ち明け合いにしても、人殺しの話というのは常軌を逸している。さらに、秘密を打ち明けられた桐谷芽衣が、今になってその告白をバラそうとした理由。

 真壁は律儀に、目白の学校へも足を伸ばした。受験に追われない私学だからか、部活は盛んなようで、学生たちが校門を出る時刻はかなり遅かった。離れたところで芽衣を出てくるのを待ち、またしばらく遠目に観察する。

 素行に問題があるようには見えなかった。駅前のファストフード店で同級生と油を売った後は、ちゃんと家に帰る。数回見た限りでは面識のない刑事に突然話しかけて、友人の秘密をタレ込むような突飛な所業は思い浮かべることが出来なかった。

 次の観察は、新條紀子の番だった。同じ学校にいても、紀子は芽衣と下校時間が違う。紀子は、六時限目が終わるとすぐに校門を出てくる。新宿の予備校へ行くためだ。このまま付属の大学へは進まず、もっと難易度の高い大学を目指しているらしい。

 紀子は、芽衣と違ってかなり暗い感じのする少女だった。体格は普通だが、顔つきに子どもらしさがなく、大人びた神経が覗いている。友達と話すこともない。早足でまっすぐ駅へ急ぐその姿は、まるで何かに追われているような落ち着きの無さだった。ホームで電車を待っている間も、参考書を開いている。《かなり、神経が立ってるな》というのが最初の印象だった。

 何食わぬ顔で一緒に電車に乗り、近くに立ってみてちょっと驚いたのは、手にしている本が参考書のカバーをかけた普通の小説だったことだ。毎日、予備校へは行っているが、ひょっとしたら坐っているだけで身に入っていないのかも知れない。

 ともあれ、新條紀子も、傍目には人を殺すような異常な精神状態は窺えなかった。清宮が言ったように、一応は「普通」だった。服装も普通なら、行動も普通。変わったところはどこにもない。

 目白の学校へ数回足を運んで分かったのは現在、紀子と芽衣の間に交遊はないという感触だった。ある時期は親友であっても、何かのきっかけで、あるいは特に理由もなく、ある時ぷっつり付き合わなくなる。子ども特有の世界だろうか。

 その後、深夜に久我山四丁目の新條の家へこっそりと行ってみた。清宮が数回近所をうろついただけで、正式の告発をしてくるような弁護士の家だから、慎重を期してジャージ姿でランニングをしながら遠目に家の様子をうかがった。見たところ、分譲地らしく他の家とあまり違いが感じられない画一的な普通の住宅だった。

 翌朝、念のために宮藤研作のアパートにも足を運ぼうと思い、真壁は本庁のデスクで警察電話帳を開いた。三鷹南署の刑事課のデスク番号を調べ、直接電話を掛けて確認したところ、知っている声が耳を打ち、面を喰らってしまった。

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