第2話 先輩と私と小テスト



 単なる小テストだというのに、多くの学生はどこかそわそわしているように見えた。この『愛と死の英米文学』は出席点と2回の小テスト、それと最終試験の3つで成績が決まる。合計で60点を超せば単位認定というわけだ。確か内訳は、出席点が最大15点(小さい紙を帰り際に前に出すだけで、1回1点だ)、小テストが2回で最大20点、最終試験が最大65点と言っていた。今回の小テストは満点でも10点しか響かないのでそう大きなものではないけれど、先輩の出席率はすでに芳しくないから、取れる時に取っておいた方がいいだろう。


「隣接する席には座らないように! 1つ間を空けなさい、よろしいですね?」


「いよいよですね。先輩」


「え? ああ」


 先輩の記憶力に、決まった時間制限などはないが、大きなストレスがかかると忘却に拍車がかかるらしい。また、あの先生の所に行った方がいいかな。けれど、本人が受診しないのに取り巻きが熱心に通うなんておかしな話だ。


 そう、先輩にとって私はただの取り巻きだ。毎日コンビニには来てくれていたから、「アルバイトの女の子」程度の認識はあるだろうけど、事件の関係者だとか先輩の記憶喪失について知っているとか、そういうこと自体を先輩は知らない。



「熱心にすべてを思い出そうとしてはいけません。すべてはタイミングですから。その時が来れば、自然に思い出します。そもそも、思い出すことが幸福かどうかは分かりません。凄惨な事件現場でしたから」



 そうだ。すべて忘れてしまったってかまわない。何度だって私が名乗ってあげればいい。何度だって私が先輩との今をつくればいい。義務感なんかじゃない、これは、私自身の望みだ。


 私は、先輩のことが好きだから。


 けれど、先輩が選びたかったのは彼女であったことも分かっている。もしかしたら、この空席に彼女が座っているのかもしれない。私と先輩の間に、絶対的な壁として彼女は君臨する。それでも。


 崩してみせる。絶対に。


「はじめ!」


 問題に取りかかった。先輩も一瞬遅れて、問題用紙に目を通している。たった三回分の内容だ、そう難しくはない。けれど、あの時小教室で伝えた内容も先輩の頭にはほとんど残っていないだろうから、今回の結果は壊滅的かもしれない。大丈夫、まだ序盤だ。今回を除いて出席回数はあと11回。今日のも出席点に入るから、今後私と一緒なら、先輩は12点は稼げる。後半の小テストと最終試験を合わせて、48点取ればいい。そう難しくない勝負だろう。


 大丈夫、先輩には私がついている。私には先輩がついている。


 すぐに問題を解き終わった私は、先輩の姿を盗み見る。整った顔立ちだ。私がそばにいなければ、ほかの女の子に取られてしまうかもしれない。けれど、先輩のことを理解してあげられる人でないと、共同生活は厳しいはずだ。


 私は先輩のよき理解者だ。冥界へ旅立った彼女はもう、先輩に追いつくことはできない。私が、私だけが、先輩と並走できる。


 教授が近寄った。その瞬間、先輩と教授の目が合い、一瞬凍り付いたような静寂が私を襲った。そして次の瞬間に、


「おえええええっ!!」


 先輩は解答用紙ごと台無しにしてしまった。そしてそのまま呻くように倒れこんだ。


「え、何?」


「おい、大丈夫か!?」


「君、大丈夫か!? 返事をしなさい! だ、だれか保健管理センターの先生を! 至急だ!」


 周りの学生も、教授もざわめく。私は驚かない。かつてないほどの慈しみの笑みを湛えて、先輩に寄り添う。誰も見ていない隙をついて、嘔吐物がこぼれる口に唇を寄せる。


 先輩は、私だけのもの。

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