助けたかった幽霊ちゃん

きり抹茶

助けたかった幽霊ちゃん

『およそ一キロ先、猫垣峠ねこがきとうげ入口の交差点を左方向です。その先右方向です。到着予想時刻は午前二時十五分です』


 無機質なカーナビゲーションシステムのアナウンスが車内に響き渡る。

 助手席に乗る俺と運転席でハンドルを握る俺の彼女、紗栄子さえこの二人を乗せたワンボックスカーは全国的にも有名な心霊スポット『旧猫垣峠』に向かっていた。


「ねぇけいくん。今日は幽霊さん出ると思う?」

「さぁな。でも霧は出てないし雰囲気はイマイチだよな」

「そうなんだよねぇ。じゃあ幽霊さんが居なかったら夜景を見て帰ろっか。この近くに展望台があるらしいし」

「お、それはいいな。如何にも普通のデートって感じじゃないか」


 楽しそうに話す紗栄子に相槌を打つ。


 こうして二人で心霊スポット巡りをするのは珍しくなく、週末の深夜になると俺達は必ずと言っていいほど山奥の森林や人気ひとけの無い崖などへ出向いているのだ。

 しかし、俺は山奥に潜む幽霊見物よりも素直にドライブデートをしたいと思っている。怖いのが苦手という訳ではないが、どうやら俺には霊感がないらしく一度たりとも幽霊を見た事がないため、わざわざ深夜に出掛ける必要があるのかと問いたいのが心情なのだ。


 詰まる所、この無意味な山奥ドライブは完全に紗栄子の趣味と言っていい。俺は彼女の付き合いに乗ってあげているイケメン紳士。優しさに溢れる良い男だと思わないかい?


「圭くーん。お化けって本当にいるのかな?」

「何を今更。いるって信じてるからこうやって出掛けてるんだろ?」

「そうなんだけどさぁ。こうも出てくれないとお化けなんて存在しないんじゃないかって思っちゃうよねぇ……」


 紗栄子は前に視線を向けたまま苦笑いをする。


 彼女が最初に幽霊を見たのは五歳の頃だそうだ。

 親戚の家で一人遊んでいると同い年くらいの女の子が突然目の前に現れたそうで、彼女は驚いたが女の子は「一緒に遊ぼう」と言ったので、その日は二人でおままごとや駆けっこ等をして遊んでいたらしい。

 しかし後日その事を母親に話すとそんな女の子は居ないはずと一蹴され、紗栄子の記憶にも女の子の足元が透けていたような気がするという微かな覚えがあったため、あれは幽霊ではないかと結論付けたという。

 にわかに信じ難い話だが、彼女はもう一度その女の子に会いたいらしく、二十歳を過ぎた今でも心霊スポットを駆け巡っているのだ。


 ――例えあの時の女の子が幽霊だったとしても私はもう一度遊びたい。だって楽しかったんだもん。


 紗栄子と出会ってから耳にタコが出来るぐらい聞かされた言葉。理由は馬鹿らしいけど行動力があるから俺は彼女を批判できない。寧ろ尊敬しているし、彼女に惹かれた理由でもある。


『およそ六百メートル先、旧猫垣トンネルです。その先、旧猫垣峠、目的地付近です』


「おお! 圭くんもうすぐ着くみたいだよ!」

「……だな」


 テンションを高めていく紗栄子に対し、俺は欠伸を混じえながら適当な返事をする。

 デートは嬉しいけど、深夜だから眠くて仕方無いのだ。



 本日訪れることになった『旧猫垣峠』はメディアでも取れ上げられる事の多いメジャーな心霊スポットであるだけに実際の事件と紐付けた証言は数多く残されている。

 中でも有名なのが自動車転落事故だ。

 トンネルを抜けた先にある急カーブには弱々しいガードレールしかなく、街灯も無い。そんな地元住民ですら気を付けるという酷道に若い夫婦と幼児一名を乗せた車が深夜、猛スピードでトンネルに突っ込んでカーブを曲がりきれず転落、全員死亡という無残な事故が約二十年前にあったらしい。

 それ以降、深夜にこのカーブを通るとハンドルを乗っ取られて崖に落ちそうになったという証言が相次ぎ、年に一度くらいの頻度で転落事故も発生している。

 その為、旧猫垣峠には事故で亡くなった霊が成仏できずに残っていると言われるようになったのだ。


「ねぇねぇあれじゃない? トンネルって」


 ハイビームによって照らされた景色の奥に旧猫垣トンネルの入口らしき物体が見えた。因みに旧と名前に付くだけあって、現在では『新猫垣トンネル』が新設されたバイパス道路に接続している。

 故にこの旧猫垣峠を通る道路は利用者がほぼ皆無な為、路面の隙間からは雑草が生えている箇所もあり、如何にも心霊スポットであると印象付ける要素となっていた。


「スピード落とすんだぞ」

「もう、分かってるって」


 紗栄子は無事故無違反のセーフティードライバーだから無茶な運転はしないと分かりきっている。だが噂も噂なので面白半分にからかってみたのだ。


「あれ……?」


 ここで予想外の出来事が起きた。紗栄子が異変を察する声を上げるとともにブレーキペダルを踏み込んで車を停止させる。


「どうなってんだこれ……」

「分からない……。でもおかしいよね……」


 異変が起きたのは俺達が乗っている車ではなく、目の前に居座る旧猫垣トンネル。

 この先に紗栄子が待ち侘びていた峠道があるはずなのだが、まさかのまさか。俺達は引き返すことを余儀なくされたのだ。


って情報は無かったはずだぞ」

「うん……。SNSにも昨日行ったって書き込みがあるし、このバリケードの量を考えると……やっぱりおかしい気がする」


 トンネルには無数の金網やフェンスが張り巡らされており、人間が入れる隙間すら無い。しかも一部のフェンスが何故か浮いているように見える。この世界の物理法則を無視しているかのようで、どことなく不気味だ。


「これってもしかして……幻覚、じゃないのか?」

「いやいやそんな訳ないでしょ。大体……」


 言いながら紗栄子は目の前のバリケードに目をやる。そして次第に肩を小刻みに震わせながら続けた。


「――有り得るかもね。幽霊が入るなって言ってくれているのかもしれないし」

「そうだったら有難いことかもな。まあ今日はこれで引き返そうぜ」

「そうね。……久々に怖いかもって思っちゃったよ」


 紗栄子の顔の引きつり具合を見ればどれほど怖がっているのかは一目瞭然だ。今回のは恐らく過去を遡っても一二を争う恐怖度だろう。幽霊には残念ながら会うことは出来なかったが十分な収穫があったのではないだろうか。


 車を後退させようとバックギアに切り替えた紗栄子はそのまま後ろへ振り向く。

 だがその時、彼女の目が一気に見開くのを俺は見逃さなかった。


「紗栄子、どうした?」

「…………あ、あ……あれ……」


 視線を固定させたまま、わなわなと口を震わす紗栄子。

 俺も彼女と同じように後ろを振り向く。瞬間、滝に打たれるかのように全身を冷や汗が襲った。


「うぎゃあああああぁぁぁぁぁ!?」


 自分でもよく分からないような叫び声を上げてしまう。


 有り得ない。俺の目に映るソレは本物なのか。はたまた幻覚なのか、分からない。




 だが……。俺と紗栄子の二人しか乗っていないはずの車の後部座席に何故か小さい女の子がちょこんと座っていたのだ。



「あわわ、ごめんなさいっ! 驚かせるつもりじゃ無かったんです……」


 少女は申し訳なさそうに言った。

 その素振りを見るとごく普通の子供のようで、もしかしたら唯の迷子なのではと錯覚させる程だった。

 しかし真っ白な装束を羽織った姿と足元が半透明である事を確認すると、少女は間違いなくこの世の人間では無いということは分かった。


「おい紗栄子どうする? 早く戻った方が――」

「あ、待ってください!」


 少女に言葉を遮られる。俺は驚いて肩をビクンと跳ね上がらせてしまった。


「私、お化けですけど怖くないですっ! 自分で言うのは変ですけど……私はあなた達を助けたいんです」


 自ら怖くないと宣言するお化けは斬新だなと思いつつ、見た目と反して流暢に喋る少女を見やる。今すぐ危害を加えるような霊ではない事は予想付いたが、それでもこのヤバい状況は何とかしなくてはならない。この子に取り憑かれたり、呪われたりしたら笑い話じゃ済まなくなるからな……。


「あなたは……私達を助けてくれるの?」

「はい! このまま先へ進んだら危険なんです。危険が危ないんですっ!」


 とうとう現れてしまった幽霊をどうやって追い払おうか考える中、紗栄子は少女の話に付き合っていた。こんな緊急事態に何やってるんだよ……。


「紗栄子。幽霊の相手をしてる暇はないだろ」

「圭くんは黙ってて! この子のお話は聞いてあげなきゃ駄目だと思うの」


 彼女の目は真剣だった。

 そうか……。目の前に佇むこの少女の見た目は五歳くらい。紗栄子が会いたいと言っていた女の子と年齢が合致するので、妙な親近感を覚えてしまったのかもしれないな。

 それに、幽霊を見るために今まであちらこちらの山々を駆け巡ってきたのだから、逃げるという選択肢は恐らく彼女には無いのだろう。


「ありがとうございます。その……トンネルへ行けなくしたのも私のせいなんです。前を見てください!」


 言われた通り、前方に振り返る。トンネルを塞いでいたはずのバリケードはいつの間にか跡形もなく消え去っていた。


「うわ、マジかよ……」


 やはりあの奇妙なフェンスは所謂いわゆる心霊現象というヤツだったのだ。不気味過ぎて今更だが鳥肌が立ってきたぞ……。


「ありがとう、幽霊ちゃん。私達を守ってくれたんだね」

「いえいえ、そんなお礼なんて私には勿体無いですぅ……」


 頬を赤く染めて照れ臭そうにするも、妙にかしこまる幼女の霊。


「じゃあ圭くん、帰ろっか」

「え、でもこの子は……」


 この場を立ち去ったとしても幽霊が付いてこないとは限らない。もちろん今すぐ帰りたいと思っているが、その前に後始末が必要だと思うのだ。


「連れて帰ればいいんじゃない? この子可愛いし」

「……はぁ!? お前正気か!?」


 幽霊と同居するなんて不気味にも程がある。捨て子を拾うとかそういう問題じゃ無いんだぞ……。


「本当ですか! 私、お兄さんとお姉さんと一緒に居ていいんですか!」


 一方、紗栄子の言葉を聞いた少女はきらきらと輝かせた笑顔をこちらに向けていた。しかし、本当に生きているみたいに表情が豊かだなこの子は……。


「もちろん! なら今夜は土鍋で幽霊ちゃんのお祝いパーティーをしよう!」

「紗栄子……。お前の行動力は時々間違っている気がするぞ……」


 しかしながら俺の声は彼女に届かず、ウキウキとはしゃぐ少女を乗せた一行は帰途の道を辿るのだった。


「ねぇお兄さん。私もシートベルトした方がいいんですかね?」


 いや、幽霊はしなくていいだろ。身を守る必要が無いんだし。



 ◆



「私、二十年前にあの峠道で死んじゃったんですよね」


 山道を下る車内で少女が話を切り出した。


「お父さんとお母さんが……丁度お兄さんとお姉さんと同じくらいの年齢だったんですけど、車を思いっきり飛ばして走るのが好きで、私は夜遅くに色んな場所に連れて行かれたんです」

「二十年前……ということは君はもしかして……」

「はい、すっかり有名になっちゃいましたよね。旧猫垣峠の転落事故の発端は私達の家族です。そして私のお父さんとお母さんは他の人を道連れにしようと今でも死んだ場所でずっと彷徨っているんですよ」


 カーブを曲がろうとするとハンドルを取られる……。毎年発生する自動車転落事故……。これは偶然や嘘なんかではなく、確実に霊の仕業である、ということか……?


「特に若い男女が乗った車は大嫌いみたいで……。お兄さんとお姉さんもあのトンネルをくぐってたら多分崖から落ちてたと思います……」


 マジか……。幽霊に言われると妙な説得力があって、俺は冷や汗が止まらなかった。


「そうだったんだ……。でも幽霊ちゃんは何で私達を助けてくれたの?」

「それは…………何でですかね?」


 きょとんと首を傾げる少女。


「理由は分からないですけど……多分誰かを助けたら成仏できるって思ったんです。そうすればきっとお父さんとお母さんも私を追うように成仏してくれると思うんですよ」

「なるほど……。でも成仏できてないみたいだけどな」

「そうですね……。えへへ、失敗しちゃいましたね」


 照れ臭そうに笑う少女。しかし俺達はこの子をどうすれば成仏できるのか考える必要があるだろう。いつまでもこの状態にする訳にはいかないし、双方にメリットがあるはずだ。


「成仏、か……」


 前方を見ながら紗栄子がポツリと呟く。そして少しの間を置いて少女に問いかけた。


「お父さんとお母さんと一緒に居て幸せって感じたことある?」

「えっと……」


 少女は言葉を詰まらせていた。俺は紗栄子の意図が分からなかったが、彼女の面持ちは真剣だったのでそのまま見守ることにした。


「きっと人間は幸せを感じなきゃ死ねない生き物だと思うんだ。昔、あなたと同じくらいの見た目をした幽霊と遊んだことがあってね。その時は凄く楽しくて、幽霊も幸せそうな顔をしていたの。でもあれから二度と会うことはなくて……。あの子はきっと成仏できたんだろうなってあなたを見て思ったよ」


 淡々と、過去を思い出すように紗栄子は優しい声音で話した。もしかしたら彼女はあの時の幽霊にはもう会えないと、今までも思っていたのかもしれない。でも幽霊という存在に遭遇したことで紗栄子なりに踏ん切りが付けられたのかもしれないな。


「だから幽霊ちゃん。あなたはきっと家族に対してまだ未練があると思うから、私達が一生懸命頑張って、あなたを幸せにしてあげるね」

「お姉さん……!」


 紗栄子の目はいつにも増して真剣だった。やはり彼女は潔く、そして格好いい。

 俺は若干置いてけぼりにされている感じがするが、少女のために全力を尽くそうと思った。



 ◆



「すみません、何か書く物ってありますか?」


 山を下りて市街地に差し掛かった頃、少女が問いかけてきた。


「えっと、メモ帳とボールペンぐらいしかないけど……」

「全然大丈夫です! ちょっと貸していただけませんか?」


 手紙でも書くのだろうか。そもそも幽霊に字が書けるのだろうか。

 戸惑いながらも取り出したメモ帳とペンを少女に渡す。手が透けて落ちるなんてことはなく、普通に受け取れていた。この子、本当に幽霊なのか……?


「えへへ、お絵かきなんて久しぶりです!」


 少女は楽しそうに何かを書き始める。やがて、書いたソレを俺に差し出してきた。


「お兄さん! これ、読めます?」

「えっと……ん?」


 紙切れにはかろうじて読める文字で『こんにちは』と書いてあった。字が薄いとかそういう問題ではなく、端的に言えば汚い字だったのだ。


「……書くのは年相応なんだな」

「あはは、やっぱりそうなんですね……。喋ることは通りかかる人の言葉を覚えて大分良くなったと思うんですが、書くのは機会が無かったので二十年経っても変わらないんですね……」


 苦笑いを浮かべる少女。なるほど、幽霊は見た目は変わらずとも月日が経てば色々学習していくのか。一つ勉強になったな。


「じゃあ次は絵を描いてみますね!」


 それでも少女は生き生きとした顔をしていた。見ているこちらも楽しくなってしまうような、そんな顔をしていた。



「圭くん。なんか私達、親子みたいだね」


 ルームミラーをチラリと見た紗栄子が一言。俺は「そうかもな」と相槌を打つ。


「私……圭くんとこうやって家族になれたら絶対に幸せだと思うな。休みの日は夜じゃなくて昼間にドライブして、美味しいものを食べて、子供と遊んで、笑って、泣いたりもして……。死ぬまでずっとお付き合いできたら、文句はないよ」

「…………キザなことを言うねぇ」

「ふふ、割と本気だよ? でもプロポーズは圭くんがしてよね。私待ってるから」

「はいはい、そのうちな……」


 欠伸混じりに返事をする。俺は別に話を流したかった訳じゃない。なんというかその……恥ずかしかったのだ。

 紗栄子が俺と家族になりたいと言ってくれたのが素直に嬉しかったし、俺も紗栄子と結婚したいと思っている。でも、俺は彼女みたいに潔い性格じゃないから、中々言葉にすることはできない。きっと向こうもそれは分かっている。だから、大丈夫。


「おっとあそこにコンビニ発見! パーティの買い出しにレッツゴーだよ!」


 テンションが高い紗栄子の顔を見て、俺は安心した。

 そろそろ両親への挨拶回りも行かなくちゃいけないな……。



 ◆



 人通りが少ないとはいえ、足元が透けた装束姿の女の子を連れ出すのは目立ち過ぎるだろうと判断した俺達は、少女を車に残してコンビニの中に入った。


「ねぇ圭くん! まだ日曜なのにもうジ○ンプ売ってるよ!」

「いや、日付的にはもう月曜なんだが……。つか余所見してねぇでさっさと買い出ししようぜ」

「ちぇぇ。圭くんのケチぃー」


 頬を膨らませながら抗議する紗栄子。……可愛い顔しやがって。


「眠いから早くしたいだけだ。それに何鍋にするんだ? 先に決めないと材料も買えないだろ」

「私は寄せ鍋が食べたいでござる」

「なんだその口調は……。というか寄せ鍋は材料が多くて面倒じゃねぇのか?」

「それなら心配ご無用。昨日お隣さんから貰った野菜もあるし、鱈の切り身もまだ冷蔵庫にあったと思うから……。白菜だけ買えばいいんじゃないかな」

「おっと、ここで主婦力を見せてきましたね、紗栄子さん」

「ふっふっふ。伊達に二年間同棲してた訳じゃないからね。もっと私を褒め称えるが良いぞ」


 手を腰に当ててふんぞり返る紗栄子。深夜だからなのか知らんがテンションがおかしくなってるな。


「はいはい。じゃあ俺はビールを――」

「駄目だよ圭くん。お酒なら家にまだあるし、コンビニでビールを買うのは勿体無いよ。ドラッグストアのポイント五倍セールの時に買うのが定石じゃないか!」

「うわ、主婦力が増しておばちゃん力になってるぞそれは」

「ん? 何か言ったかな?」

「…………何も言ってません」


 途中、無駄話を挟むも何とか買い出しを終わらせることに成功した。




「さて、と」


 店を出て、車に荷物を載せようと後部座席のドアを開ける。すると――



「…………いない」



 車内に居たはずの少女が居なくなっていた。


「え、嘘!? 幽霊ちゃんは!?」


 ほぼ同時に気付いた紗栄子はあたふたと慌てていた。

 これが実際の子供であったら大問題だ。警察を呼んで大捜索に至るかもしれない。でも……。


「……幽霊だからな。いつ消えてもおかしくないよな」


 目線を車内に向けたまま小声で呟く。


「あ、圭くん……。メモが残ってるよ……」


 俺の呟きが聞こえたのかは定かではないが、紗栄子が後部座席に向けて指差していた。

 そこには俺が少女に渡したメモ帳とボールペンが転がっていた。開きっぱなしのメモに文字列と絵のようなものが書かれている。

 俺はメモ帳を手に取った。紗栄子は俺の肩に顎を乗せて中身を見ようと覗き込んでくる。


 まず目に入ったのは『こんにちは』という文字。雑だけどあの少女が書いた、幻覚ではない確かな文字だ。

 ページをめくると絵が描いてあったのだが、見た瞬間何かが込み上げてくるような感覚に陥った。


 両端に男女、中央に小さな女の子が笑顔を浮かべながら立っている絵だった。それは如何にも幼稚園児が親子の絵を描いたような見た目であり、お世辞でも上手とは言えないけど間違いなくだろうと感じ取ることができた。そして更にページをめくると読みにくい字で『おにいさん、おねえさん、しあわせになってね』と書いてあった。


「幽霊ちゃん……良かったね……良かったね……」


 紗栄子は涙をこぼしていた。こんな姿を見るのは初めてだ。俺も貰い泣きしそうになってしまう。


「成仏……出来たんだな」

「うん……。私達、幽霊に託されちゃったね」

「そうだな。幸せにならないとあの世から呪われるかもしれないぞ」

「ふふ、それは怖いね」


 耳元に紗栄子の優しい声。


 ――俺は彼女と一生共に居よう。幽霊と出会ったこの日に固く誓うのだった。




======================


 あれから三年の月日が経った現在、俺と紗栄子は新婚生活を送っている。

 因みに俺達が少女の霊と出会って以来、旧猫垣峠の自動車転落事故は発生していないらしい。

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