第40話 妥協点

「おい、ヒツギ! しっかりしろ!」


 タイラントレックス大口に咥えられ、ヒツギは水の底からすくい上げられた。


「……すまない。助かった」


 現状を把握しようと目を凝らすと、バーミリオンとリリスとルナは自前の羽で空を飛んでいたが、他のメンツはタイラントレックスの背に逃げていた。

 ラミアのクイン、重厚な鎧を身に纏っているホロウ、アラクネのラクラは水に弱い。

 フィリシアとウルルは人間と変わらないが、ヒツギが耐えられない《大洪水》に対抗する術など持っているはずもなく。この場はタイラントレックスのおかげで助かった。


 アーガス王国軍の拠点を見ると、そちらのほうは上手く調整されているようで、あまり《大洪水》の影響を受けていなかった。それでも《屍術王》、ヒツギ・ハイフォレストと《放縦帝》、ヒルデガルド・エーベルの周辺は河のようになっている。


 彼女は、その水辺の上に悠然と立っていた。

 アーガス王国のため、彼女を慕う民草のため、不退転の覚悟を背負うヒルデ。

 教え子とはいえ、相手は魔王。危険を承知で挑むが、勝利の果てということか。


「ヒツギ様、わたくしの雷魔術で王国軍を感電死させましょうか?」


 ルナが背中の黒翼を羽ばたかせ、ヒツギの横に並んで進言してくる。


「いや、あれは純水だ。多少は電気が通るだろうが、そこまで感電しない」


 先程の水には、塩類や残留塩素がほぼすべて除去されており、不純物がなかった。


「じゃあ、どうするの~、ヒツギちゃん?」

「ヒルデの固有魔術は《全魔術属性の適応率上昇》。その中でも彼女は、水と闇の魔術の扱いはエキスパートだった。どうやら我が師は、私と相性の悪い相手だったというわけだ」


 リリスの問いに、ヒツギはやれやれとため息を吐きながら微笑した。

 空から《放縦帝》を見下ろす。大きな胸に青い髪のシニヨンヘアー。二十歳半ばになった、ヒルデガルド・エーベルはその美しさを増している。まさに人類救済の女神。


 その姿は戦場に咲き誇る可憐な花のようで、ヒツギは思わず目を奪われてしまう。

 タイラントレックスが皆を背に乗せたまま降下し、水飛沫を上げて着地した。


「(――《テレパシー》。聞こえますか、若様?)」


 前方に見えるヒルデから、声を介さず思考が脳裏に流れ込んでくる。


(……なんだ? 《放縦帝》)

「(そんなお堅い呼び名はやめてくださいよぉ!)」

(じゃあ、先生。どうした? 何か提案でもあるのか?)

「(イエス! で、ぶっちゃけ、若様の今回の目的は、アーガス王国への侵略ではないんですよね。たぶん、あのおデブちゃんがけしかけたのだと思うのですが……)」


(然り。元より俺は撤退するつもりだった。が、奴が俺の神経を逆なでするのでな)

「(では、今日の所は、私に免じて引き下がって頂けないでしょうか)」

(兵士の死体は回収するが、それでも構わないか?)

「(ええ、妥協しましょう。ただ、まだ息のある者だけは見逃してもらえませんか)」


(……分かった。先生の頼みなら仕方がない。尻拭いはこれが最後だぞ)

「(承知致しました。ご慈悲の程感謝致します。王国軍は私が下がらせますので)」


 傍から見ると、魔王の《屍術王》と七聖天帝の《放縦帝》が睨み合っているように見える光景も、実は互いの脳内で和解へと導いていた瞬間であった。

 二人の妥協点が見つかった刹那、魔の森でヒツギの影武者を務めているドロシアから、預けた《王権》を用いて連絡が入る。


【こちら、ドロシア・スミシー。ご主人様、火急耳に入れて頂きたい要件が】

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