第三章 魔の森の王

第24話 人外魔境のミッドヴァルト

 鬱蒼と茂る草木と、どこかひんやりとした肌寒い風。そこかしこに生えている大樹が陽の光を遮り、気温は低く、暗くておぞましい雰囲気が漂っている。

 霧が濃くて前がよく見えない。ここは中央地帯、《ミッドヴァルト》。通称、《魔の森》。


 ありとあらゆる魔物が闊歩し、最近では、すでに死んだはずの魔物までもが屍として彷徨っているらしい。奥に行けば行くほど魔素が濃くなり、並の人間なら数日で衰弱死する。


 迷い込んだら最後、生きて出ることはできないと言われている魔境。

 高位魔物がたくさんいる、非常に危険な地帯だ。魔の森は王国の外れにあり、その入り口付近は、王国に魔物が侵入してくるのを防ぐために、王国兵が常駐している。


 現在、そんな魔の森を探索……否、彷徨っている集団がいた。

 息が苦しくなり、体が震えて思うように動かず、意識が霞む。


 魔の森の東にある《アーガス王国》の兵士たちだ。最初は三十名以上いた、アーガス王国の兵士たちも、魔の森の奥へ進む度に凶暴な魔物たちと戦い、傷付き疲弊し死んでいき、今では精鋭の四人しか残っていない。


 王国兵を率いていた隊長であるマルス、屈強な兵士アラン、頭の回る眼鏡をかけたウィル、そして唯一生き残った若い女兵士エマ。

 隊長であるマルスは、この現状に戸惑い、部下を失ったことを大いに悔いていた。


 魔の森の東側、アーガス王国からこの森に入り、もう随分と進んだはずだ。


「隊長、本当に……この森に人間が――《黒の魔女》がいるのですか?」


 アランが額の汗を拭きながら尋ねてくる。その問いには、ただの人間がこの濃い魔素の中で普通に生活できていることに対する疑念もあった。


「ああ、《黒の魔女》あるいは《魔の森の王》と呼ばれる人物が、このミッドヴァルトにいることは、とある情報網から確定している。彼女に助力を乞うことができれば、北の《カルトガルド公国》との戦にも勝つことができるだろう」


 二年前。魔の森に異分子、魔物でも亜人でもない、ただの人間が紛れ込んだ。


 そして、その人間はやがて《黒の魔女》と呼ばれ、次々と仲間を増やし、魔の森を侵略していき、一年後――《魔の森の王》となった。その人間によって、ミッドヴァルトの北と南が半分以上征服され、中央と東は完全に《魔の森の王》の支配下にある。


 マルスには、その人間に心当たりがあった。でも、まさかという思いのほうが強い。


 およそ半年前から、魔の森の王は、アーガス王国に定期的に食料や物資を要求する代わりに、魔物の侵攻をある程度止めてくれている。

 その点、他国よりもアーガス王国は、魔の森の王と親密な関係にあった。

 なぜ、魔の森の王が、アーガス王国とだけ取引をしてくれるのかは疑問だが……


 マルスたち四人が、前方もよく見えない森の中を歩いていると、急に霧が晴れた。

 そして、強烈な威圧感を放つ、黒い魔物が唐突に目の前に現れる。


「ひっ……! く、《黒騎士》……っ!」


 若い女兵士、エマが息を呑み、尻もちをつきながら短い悲鳴を上げた。


 その魔物は重厚な漆黒の鎧を着ており、背丈は190センチくらいあった。だが、分厚い胴体の上――つまり、首から上がなかった。同じく首から上がない黒い馬、コシュタ・バワーに乗っている。片手で手綱を握り、もう一方の手には兜付きの首をぶら下げていた。


「某の名はホロウ。どうやら巷では《黒騎士》などと呼ばれているそうだがな。さて、主君が治めるこの魔の森に、人間の兵がなんの用だ?」


 聞く者を圧倒する低い声。彼は魔物、《デュラハン》だ。

 デュラハンとは首のない男の姿をした魔物であり、女性の姿も稀に見ることができる。

 この世界では死を予言する不吉な者、人間の魂を刈り取る存在だと認識されていた。


「ぼ、僕たちを殺しに来たのか?」


 眼鏡をかけたウィルが怯えながら尋ねる。


「殺す? 滅相もない。某は正義の魔物。騎士なのだ。他の魔物や亜人と比べて、比較的人間に優しいほうだぞ。お前たちが悪を為すというのならば、話は別だがな」

「ならばホロウ殿、私たちを《黒の魔女》の下に連れて行ってはもらえないだろうか?」


 隊長であるマルスだけが臆することなく、頭を下げてホロウに頼みごとをする。


「……《黒の魔女》? はてさて」

「ん? 《黒の魔女》では通じないのか? では《魔の森の王》だ。先程あなたが口にした主君とは、魔の森の王のことではないのか?」

「ああ、そうか。森の外では、主君はいまだに黒の魔女とも呼ばれているのだったな。その通り、某の主君はこの辺り一帯を支配している魔の森の王である。しかして何用だ?」

「話がしたい」


 マルスの真剣な眼差しを、ホロウの兜を被った首、その目の奥が凝視する。

 ――試されている。己を見定められている、とマルスは感じた。


「……いいだろう。お前たちを主君のもとに連れて行く。だが、その後どうなるかは知らんぞ。お前たちを生かすも殺すも主君次第だ。せいぜい無礼を働かぬようにな」

「分かった」


 このデュラハン――ホロウでさえ、この場にいる四人を瞬殺できるだけの力を備えているだろう。そんな男が慕う者。それも魔物ではなく人間。一体どんな人物なのか。


 ホロウに連れられて道を歩くと、今までの数倍のスピードで進むことができた。まず道に迷うことがない。ましてや他の魔物に襲われることも。なにせ、マルスたちを従えているのは、あの魔物殺しと呼ばれる《黒騎士》なのだ。一時間程歩くと、道が広くなってきた。気温も上がる。そのとき、前方に一つ、人影が見えた。


「よう、ホロウ。人間なんてぞろぞろ引き連れて、一体どこに行くんだ? ボスへの貢ぎ物か? いまさら人間如きの死体なんていらねぇだろ」


 乱暴な言葉遣いで、人間のことを当たり前のように見下す発言をする少女。

 身長は162センチくらいだろうか。剥き出しの筋肉質な体は良く引き締まっている。


 あまり手入れのされていない灰色の髪の毛は短く、毛先が勢いよく跳ねていた。

 顔には、右目の辺りから左頬まで大きな深い斜め傷が走っている。

 男勝りな印象を受けるが、エメラルドのような緑色の瞳は美しかった。


 しかし、ただの少女ではない。彼女は亜人、《ワ―ウルフ》である。

 半人半狼。頭には灰色の髪の毛と繋がるように獣耳が生えている。それだけではなく、両腕両足は狼の毛で覆われており、引き締まった尻からはもふもふの尻尾が生えていた。


「彼等は主君と話がしたいそうだ」

「話だァ? ただの人間風情が、オレたちのボスと対等に会話をするつもりか? お前ら如き下等生物が、ボスに謁見しようと考えるなど……おこがましいぞ!」


 低い声で威嚇しながら、ワ―ウルフの少女がマルスたちを睨み付ける。


 ホロウと違って、この少女は人間を差別しているようだ。いや、それは違うか。人間が彼女のような亜人を差別してきた。人間の中には魔物だけではなく亜人も忌避の対象として見る者が多く、偏見と侮蔑に満ちている。だから彼女のような亜人は人間を嫌うのだ。それがこの世界では当然の反応である。人間と亜人の共存は珍しい。特に貴族が支配している北の国――《カルトガルド公国》では亜人差別が激しいと聞いている。


 彼女のようにプライドの高い亜人は、決して自分より弱い人間に従わない。

 つまり彼女がボスと呼んでいる魔の森の王は、人間の数十倍もの身体能力を持つワ―ウルフよりも強いのだろう。それも魔術戦ではなく肉弾戦において。


「すみません、ワ―ウルフの、えっと……」

「チッ、ウルルだ。ウルル・ラブロック。オレはこの森のワ―ウルフの頭を張っている。その装備、青い軍服に青龍の紋章……アーガス王国兵か。でもなぁ、オレがその気になれば、お前らなんて数秒後には首が飛んでいるぞ」

「力量差は理解しているつもりです。それでもウルルさん、私たちはどうしても、魔の森の王にお伝えしたいことと、お願いしたいことがあるのです」

「は? お願いだぁ? お前ら立場が分かって言ってんのか? 相手は《王》だぞ」


 ウルルの緑色の目が獣のように爛々と輝く。

 ――まただ。この少女にも試されている。


「はい。恐れ多くも、私の命を賭してお願いをしに参りました」

「面白ぇ。オレもついて行くよ。いいよな、ホロウ?」

「どうせやることもないのだろう。何か理由をつけねば主君に会いに行くのも恥ずかしいとは、相変わらずウルルは照れ屋だな。ツンツンしつつも、主君に惚れているくせに」

「う、うるさいっ! 大きなお世話だ!」


 顔を真っ赤にしながら、ウルルが地団駄を踏む。獣耳が勢いよく逆立っていた。


「では、共に参るぞ、ウルル。遅れずについてこい」

「うっせぇ! オレに指図すんな。オレが従うのはボスの命令だけだ」


 なんだかんだで、彼女も一緒についてくる。マルスたちはホロウとウルルの後ろについて再び歩く。すると、数十分でさらに開けた場所に出た。心なしかまた気温が上がる。


「ここは東の大樹だ。ボスはここがお気に入りなんだよ」


 ウルルが感慨深げに呟く。隣ではホロウがコシュタ・バワーから降りていた。

 確かに、奥には驚くほど成長を遂げた、大きな木が根を張って緑を茂らせていた。


「凄く大きな木ですね。それに魔素が濃いはずなのに空気が美味しい。不思議ですね……ひっ、ひぃぃ! あああああ!」


 マルスたちは何気なく足を奥に進めたが、エマが急に大きな悲鳴を上げた。


 青ざめるエマを支えながら、マルスがその視線の先を追うと、そこにはドラゴンがいた。ただでさえドラゴンは希少であるというのに、そのドラゴンは普通のドラゴンの数倍の大きさを誇っていた。しかし、その肉は削ぎ堕ち腐り、もはや骨だけになっている。つまりは死体だ。だが、ただの死体にしてはおかしな点が多い。なんらかの魔術によって骨がコーティングされており、密度と強度がかなり底上げされているのが分かる。


「大丈夫だ、エマ。すでに死んでいる。急に起きて動くわけじゃないんだ。落ち着け」


 体の大きなアランが、エマの肩を軽く叩き、平静を取り戻させる。


「あっ! あそこに何かいます」


 眼鏡をかけたウィルが大樹の上、異常に太くて大きな幹に誰かいるのを見つけた。

 マルスたちはホロウとウルルよりも先に大樹へ近づき、そこにいる人物を確認する。

 そこにいたのは、個性的な三人の少女。


 真ん中にいる少女の身長は165センチくらいだろうか。腰まで伸びた綺麗な黒髪に、愁いを帯びたアメジストのような魔性の紫色の瞳。血を吸ったような鮮やかな赤い模様が刻まれた、闇を思わせる黒い魔術師のローブを着ており、ところどころに刺繍された銀色が輝いていた。大きなとんがり帽子を被りながら、優雅な顔で分厚い本を読んでいる。


 ――美しい。マルスは素直にそう思った。


 彼女が《黒の魔女》もとい《魔の森の王》なのだろう。

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