第25話 君臨するは屍の王

 その黒の魔女の体に、文字通り巻き付いている少女がいた。

 もちろん、ただの少女ではない。亜人、《ラミア》である。


 半人半蛇。全長は800センチほどある。ラミア族の中でも比較的大きなほうだ。

 上半身は人間の女性の体で、胸は大きく、下半身は艶めかしい輝きを持つ蛇の尻尾で鱗があった。ウェーブのかかったオレンジ色のロングヘアーは透き通っており、肌は雪のように白く、髪には華やかなヘアピンを、耳には小さなリングのピアスを付けている。淡い桜色の唇に小さな鼻、きらきらと光る目は大きく、睫毛が非常に長い。口元から覗く舌は長く、先端が二つに分かれていた。


 ラミアはピット器官という赤外線感知器官を持っているため、暗闇でも生き物の動きを温度で捉えることができるという。また、下半身が蛇だと一見動きが鈍そうに思えるが、実際は人間よりも移動速度が速いので油断はできない。


「ふーんふふーん♪ ふーんふふーんっ♪」


 機嫌よく鼻歌を歌いながら、ラミアの少女は自分の体――蛇の部分を魔女に巻き付けながら、ブラシのようなもので自身の鱗を磨いていた。服装も少し凝っている。上は二枚の三角形の布を紐で結んだもので大きな胸を隠し、その上から派手なシャツのボタンを全開にして着ている。下は装飾華美なスカートを穿いていた。首には丸い宝玉のようなネックレスを、指には煌めく魔鉱石の埋まった指輪を、腕には豪奢なブレスレットを付けている。


 どうやら綺麗好きで、おしゃれな性格らしい。

 元来、ラミアは多湿な森の中で暮らす種族だ。身体が環境に合っているのだろう。


 その反対側では、また違う少女が太い幹に両足で捕まり、立ったまま何かの獣の肉をもの凄い勢いで食べていた。グチャグチャという汚い咀嚼音がここまで聞こえてくる。

 これも普通の少女ではない。亜人、《ハーピー》である。


 半人半鳥。背は148センチほどしかなく、胸も薄く全体的に幼い印象だ。

 飛行能力に特化しているため、他の亜人と比べて体が小さいのだろう。

 頭と胴体は人間の女性の体で、両腕は赤い翼になっており、両足は太股より下が鱗のある鳥の足になっている。鉤爪のような形状をした足の指の数は四本。ハーピーは手がない代わりに、足を手のように器用に扱うことができる。体温が高く寒さに強いため薄着でいる者が多く、食欲旺盛だと聞いたことがあった。


 上は黒い羽根を縫い合わせたもので胸を隠しているだけで、下はかなり短いホットパンツだ。しかもボタンは外れており、ジッパーが下がってきている。

 二の腕辺りから鳥の翼になっている紅翼の外側、風切羽の部分は灰色から黒のグラデーションを描いていた。艶々とした多色の羽毛は鮮やかに映る。ハーピーの肩や脇回りが剥き出しなのは、翼の構造を考えれば至って当然の帰結である。


 ハーピーの少女の髪は短く、両翼と同じく炎のように赤い朱色の髪だ。白い左頬には群青色のタトゥーが刻まれている。いつの間にか、食べていた肉は跡形もなくなり、骨だけになっていた。興味を失った骨を弾き飛ばし、猛禽類のような鳶色の瞳がこちらに向く。


「ねぇねぇ、ひーくん。なんか、ホロウとウルルが人間を連れて来たよ。食べていい?」

「ダメよ、バーミリオン。何か事情があるのでしょう」


 バーミリオンと呼ばれたハーピーの少女の上の幹に、よく見ればもう一人女がいた。

 特殊な糸で、どうやら黒い服を編んでいるようだ。だが、その女はもう誰がどう見ても普通の人間ではなかった。半人半蜘蛛。亜人、《アラクネ》である。


 亜人差別派ではないマルスにとっても、さすがに少し気味が悪い。

 失礼な話だが、黒光りする大きな昆虫の姿にどうしても生理的嫌悪感を抱いてしまう。


 上半身は人間の女性の体で、ラミアの少女よりもさらに胸が大きい。

 しかし、その下半身は紛れもなく八本足の黒い蜘蛛だ。触肢という人間としての二本の足もあり、蜘蛛の下半身と繋がっている。両腕は人間の皮膚ではなく硬い外骨格で覆われており、顔にある二つの目の他にも下半身に六つの小さな目がある。

 蜘蛛の体である下半身に目を瞑れば、かなりの美女だろう。黒い髪は短く整えられており、サイドが長くて後ろが短い、少し変わった髪型をしていた。

 特殊な下半身ゆえに、背丈は200センチくらいある。


 黒い服を編んでいるアラクネだが、太さが同じなら、鉄よりも硬いと言われるアラクネの《魔鋼糸》は多様な使い道があり、技術があれば衣服を編むこともできるのだ。


「ねぇねぇ、ひーくん。あたしお腹空いた。あの人間……食べていい?」


 黒の魔女は紫色に光る左目に手を当て、物憂げに短いため息を吐く。


「はぁ、ラクラにダメだと言われただろう。同じ質問をするな、バーミリオン・テスタロッサ。名前はかっこいいのに、相変わらずお前は頭が悪いな。まったく、食い意地の張った小鳥だ。元気で無邪気なところは、お前の美点だが……」

「えへへ、ありがとう、ひーくん。じゃあ、食べていい? ねぇ、食べていい?」


 バーミリオンが食い気味に、黒の魔女に尋ねる。完全に捕食者の目をしている。


「バカの相手は面倒だ。ラクラ、こいつを縛り上げておけ」

「はいはい、任せといてー」

「ちょっ、やだぁ……何すんの~! ラクラぁ~下ろしてよぉ~」


 黒の魔女にラクラと呼ばれたアラクネは、指先から特殊な糸を射出し、バーミリオンを捕縛して木の上に吊るした。縛り方が卑猥だ。ラクラというアラクネの趣味だろうか。


 異色の四人を観察していたマルスをよそに、アランが黒の魔女に気安く声をかける。


「お目にかかれて光栄です、《黒の魔女》。いやぁ、噂に違わぬ美しさ! あなたほどの女性は、王都でもなかなか見ることは――」

「俺は男だ」


 よく通る澄んだ中性的な声。しかし、一度耳にすれば、確かに男のものだと分かる。

 その声がマルスの耳に届いたときには、アランの胴体から上が消し飛んでいた。


 派手に真っ赤な血飛沫を上げて、アランの首が容易くもげ、彼方へと吹っ飛ぶ。


 眼鏡をかけたウィルの歯がガチガチ鳴り、体の震えが止まらないのを気にかける余裕すら、マルスにはなかった。誰もが唖然として、言葉が紡げない。


「諸君、ようこそ。我が領地へ。無断で踏み入るとは、どういう要件かな?」


 薄い笑みを浮かべた魔の森の王が、芝居がかった仕草で両手を広げる。


(今しがた、アランの首を跳ねたのはなんだ?)


 影のような黒い刃が音もなく飛んできた。魔術――闇属性の《影魔術》か。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 マルスは魔の森の王を驚愕の表情で見つめる。互いの視線が交差した。


 否、魔の森の王の目に映っていたのは、マルスたちが着ている青い軍服、そこに刻まれた青龍の紋章。その瞳に宿る憎悪の炎は、すべてを焼き尽くさんとするばかりだった。


(人を見る目じゃない。遥かに格下の生物を見下す目だ)


《黒の魔女》――いや、少年の目には深く暗い影が落ちている。彼の瞳を見ていると、まるで闇を覗き込んでいる気分になった。身の毛がよだつ。おぞましい戦慄が駆け抜けた。


 一瞬にして、この場を占める強烈な威圧感。絶対的な強者が纏う支配者のオーラ。彼からはその凄みが漂ってきた。視界が狭まり、恐怖で身がすくみ、動けなくなる。


 これほどまでに、魔の森の王の覇気が恐ろしいとは思ってもいなかった。


 魔の森の王がラミアの少女を体に巻き付けたまま、地上に降りてくる。赤いハーピーの少女、バーミリオンも木の幹から足を離し着地した。その前にホロウが立つ。


 魔女のとんがり帽子が風で飛び、長く透き通るような美しい黒髪が揺れて広がる。


「主君、失礼致しました。彼等はあなたを女性だと思っていたようで。無礼な輩を招き入れた某に罰をお与えください」


 ホロウがない頭を下げるように腰を曲げる。


「別にいいよ。お前たちの行動は、この《低級霊》が監視して、俺に報告しているから」


 マルスが魔力を込めて目を凝らすと、魔の森の王の周りに透明な何かが数匹漂っていた。


(死霊との念話。魔の森の王の正体は……《屍術師》(ネクロマンサー)か)


 マルスの思考がそこに行き着いたとき、こちらの大樹へとまた二人姿を現す者がいた。


「はぁ~あ~い♪ 言われていた薬草を採ってきたわよ~。ちなみにぃ~、フィリシアはさぼってました~」

「しれっと嘘をつくな。お前は何もしていないだろう。働いたのは、この私だ」

「リリスとフィーか」


 リリスと呼ばれた忠誠心のなさそうな女は胸がでかく、柔らかそうな金髪のロングヘアーだ。しかし、彼女もまた人ではない。魔物、《デーモン》。


 身長は172センチくらい。左目の白目の部分が黒い、金色の瞳をしている。そして背中から漆黒の翼が生えており、宙に浮いていた。頭には山羊のような黒い角が二本生えている。身に纏うのはあらゆる肌が剥き出しの妖艶な衣装。そのヘソの下、子宮の辺りに禍々しいハートマークが刻まれており、先端がハートの形をした黒くて細長い尻尾が揺れている。一見ふざけているようで、何を考えているのか分からず、それが逆にミステリアスな雰囲気を漂わせていた。《デーモン》の中でも《サキュバス》と呼ばれる種族。


 もう一人のフィリシアと呼ばれた女は、亜人、《ダークエルフ》。


 耳の長い長寿の種族。背は168センチほど。艶のある褐色の肌に、これまた大きな胸。紫色の短い髪が風に揺れた。宝石のような紫黒色の瞳の左下に妖艶な泣きぼくろがある。潤いのある艶やかな唇が美しい。傍らには特殊な弓――《魔弓》を携えていた。


「ただの人間が、この魔の森になんの用だ?」


 フィリシアの澄んだ目がこちらを見据える。別に人間という種族を馬鹿にしている様子はない。単純な疑問なのだろう。マルスがどう答えようかと逡巡していたところ……

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