第二章 魔の森の激闘

第16話 処刑宣告と国外追放

 アーガス王国第二王子、ヒツギ・フォン・アーガスの王位継承権を一時的に剥奪。

 その上で、アーガス王城の地下に一ヵ月間監禁する。

 それが、アーガス王国国王、ルーク・フォン・アーガスが決めた沙汰だった。


「あぁ……ぁ……」


 虚ろな目で、檻の外のレンガ模様の壁を見つめる。仄かな灯りが僅かに周囲を照らす。

 一ヵ月間、ヒツギの元を訪れたのは、飯を持ってくる使用人と、モニカとヒルデだけだった。他の者は腫物を扱うように誰も近づこうとはしない。みんな恐れているのだ。


「大丈夫。一人でも、生きていける。大丈夫。一人でも、生きて……」


 地下に監禁されている状態では、朝日が差し込むことなどないが、体内時計で今が早朝だということは分かる。そこへ久方ぶりに複数の足音が近づいてきた。


「よう、ヒツギ。あれから一ヵ月、調子はどうだ?」

「兄……上……」


 茫然と声がしたほうを見ると、檻の向こうに丸々と太ったベントレーの姿があった。


「なんだ、随分とやつれているな。まるで、死人のような目だ。くくっ、はは、《屍術師》にはお似合いだなぁ! そうだろう、ヒツギ」

「………………」


 何も言い返す気力が湧いてこない。


「チッ、だんまりかよ。まぁいいさ。ヒツギ、お前に任務だ」

「……任務? 誰の……」

「お前には、ミッドヴァルト――《魔の森》へ行ってもらう」

「なっ、んだと……誰が、そんなこと……」

「現在、魔の森を治めている、四大吸血鬼の一人、《白銀の真祖》。その真名をルナ・バートリーという。そいつを仕留めてくるのが、お前の仕事だ」


 そんなの無理に決まっている。

 口をついてそう言いかけたが、ギリギリのところでなんとか押し留めた。自分は今、罪人なのだ。罪人には裁きが必要だということだろう。

 しかし、その裁きはあまりにも重すぎた。

 まず《魔の森》に入ることが困難。そしてその奥に進むには命を懸ける必要がある。

 ましてや、その主、吸血鬼――しかも、この世界に四人しかいない《真祖》の一人の討伐命令。それは、その者に死んでこいと言っているのに等しい。


 ルナ・バートリー。十二人の《魔王》の一人、その名が冠するのは《不死王》。


「出発は明後日だ」

「あ、明後日!?」

「安心しろ、護衛を三十名つける」


 そんなもの焼け石に水だ。むしろ、自分の処刑に三十名も巻き込むなんて申し訳ない。

 案の定、そう告げたベントレーは卑しい笑みを浮かべていた。


「これでお前の顔を見るのも最後だ。今日はお前をアーガス王城周辺に連れ出してやる」


 自分より立場の弱い人間には際限なく強気に出る。それがベントレーの気質。


 なぜ人は誰かを支配しようとするのか。強者が栄え、弱者は滅びる。

 暴力と謀略が渦巻く王族や貴族の醜い争い。そんな諍いから遠ざかり鍛錬を積んでいたヒツギ。政治的なやりとりはベントレーのほうが上手。知能では自分が勝るが、実戦経験の差から兄には劣る。ここにきて、王族としての醜悪さでベントレーに負けた。


(……悔しい。昔みたいに、何も感じないわけじゃない)


 でもそれは、自分がまだ諦めていない証拠だ。例え、この先に苦痛と孤独しか待っていなくても。誰にも認められず、誰にも望まれなくても、自分は生きると決めたんだ。


 ベントレーに檻から解放され、ヒツギは一ヵ月ぶりに陽の当たる地上に出た。

 そうして、ヒツギは日々時間を作って見回り、コミュニケーションを取っていた城下町の住人の前に晒される。ベントレーと複数のその従者の最後尾に。


 歩く、歩く、歩き続ける。止まることは許されない。ただ、どこまでも歩き続ける。

 その様相は、まるで市中引き回しのようだった。

 処刑するだけでは飽き足らず、公衆に見せつけるかのような拷問。今まで笑顔で接してくれた住人たちが、ヒツギを咎めるようにじろじろと見ては、ひそひそと何か呟く。どうせそれは非難の声だろう。真摯に受け止めることしかヒツギにはできない。

 目を閉じて、耳を塞ぎ、口を噤むことはできる。何もかも諦めてしまえば、それで終われるのだから。でも、それでも自分は、


「……っ!」


 放心していると、どこからともなく飛んできた石が額に当たり、血が垂れて目に入る。

 今は鮮血を拭うことすら煩わしい。


 赤い視界の中で、今まで自分が守るべきものだと思っていた民が、ヒツギ・フォン・アーガスに剥き出しの怒りをぶつけていた。怒りだけではなく、その中には恐れや忌避もあり、近づいて直接殴るのすら嫌だという思惑も感じられる。


「黒い髪に毒々しい紫色の瞳。何が女のように美しい王子だ! よく見れば何のことはない、ただの気持ち悪い異分子だぜ!」


 ヒツギの髪の色が気に入らない。目の色が気に入らない。肌の色が気に入らない。澄んだ声が気に入らない。理由なんてどうでもいいのだろう。

 最期に目に焼きつける光景としては、最悪のものだった。

 さすがはベントレーだ。人が何をされれば一番傷付くのか、よく理解している。


 暗い、光のない亡霊のような瞳で世界を見れば、そこに映るのはまた虚ろなもの。

 それでも生きた素肌に突き刺さる、恨みや憎しみといった感情の塊。

 体が重い。ひんやりと冷たい感覚が総身をなぞる。


(内心、俺のことを蔑んできたのか。そうかよ。それでも俺は、アーガス王国の民を守りたいと思っていたんだ。捨てられない。やっと得た大切な宝物だから。でも、もう……)


 自分が守るべき民の悲痛な声にも、すでに心が動かない。

 ヒツギは自分の心を守るがために、自分の精神が壊れないように、自分のことだけを考えて、自分の奥底にある大切なものに、カチリと音を立てて鍵をかけた。その扉はもう決して開くことはないのだろう。随分と落ちぶれたものだ。これではベントレーのことを悪くは言えないな。自分がこれ以上傷つかないために、心に鍵をかけ、感情を押し殺して、死んだような目付きで辛うじて生き縋る。惨めだ。それでも泣きじゃくる権利などない。

 なぜなら、ヒツギ・フォン・アーガスは無力でちっぽけな、ただの罪人なのだから。


 明日、ヒツギは大人しくベントレーの命令に従って《魔の森》に行く。

 これ以上、誰かに心配をかけるわけにはいかない。


(誰かって、誰だよ。……ああ、そうか。こんな俺でもまだ慕ってくれる僅かなアーガス王国兵と民草。そしてモニカにヒルデ。妹と先生に迷惑はかけられないな)


 心ここにあらずといった状態で城下町を離れ、ヒツギはアーガス王城の自室に戻った。


「なんで! なんで俺には、何もないんだよっ! 本当に……空っぽだ」


 冷たいベッドに何度も何度も己が拳を振り下ろす。木製の寝具が折れた。

 最低限の準備だけ事務的に整えて、後は泥のように眠る。

 翌日、ベントレーの配下の者に連れられ、ヒツギはアーガス王城を出た。


「兄さん!」


 目尻が赤く腫れたモニカが走り寄ってきた。

 ファンタジー世界の王族らしい装飾華美なドレス。キラキラと輝く眩しい金髪。

 不安そうに見つめる大きな瞳は宝石のようだ。そんな妹に心配はかけられない。


「どこに! 一体、どこに行かれるのですか?」

「任務だよ」

「……任務?」

「ああ、俺にしかできないことなんだ。じゃあな、モニカ。国のことは頼んだよ」


 王国兵に押し留められるモニカの姿を尻目に、ヒツギはこの国を後にした。

 もう二度と、ここに帰ってくることはないだろう。


(さようなら、優しい俺の妹――モニカ・フォン・アーガス)

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