第2話 VS常勝無敗の剣士

 ここは、とある地下闘技場。

 常人とは住む世界が違う、化物たちが命を懸けて戦うところだ。

 あらゆる武術を修めた猛者たちによる、血で血を洗う死闘が行われる。

 たった一度の敗北が、死に繋がる戦い。

 試合の開始が迫るにつれて、高森柩は沸々と闘志を滾らせていく。


 今日の対戦相手は、あの《雷神》――上泉景久かみいずみかげひさだ。

 試合前、選手準備室の影で、柩を雇っているセコンドがこんな話をしていた。


「今日の相手は、あの上泉景久ですよ。柩で勝てますかね?」


 不安そうなサポーターの声に、汚い濁声でセコンドが答える。


「素質で劣る柩でも、ドーピングさえすれば問題ない。『調整』はすでに済ませてある」

「で、でも、あの薬は一時的に身体能力を高める代わりに、酷い頭痛に苦しんだり、血管が破裂する可能性もある、寿命を大きく削る危険なものだって……」

「今生きていればそれでいい。あいつの後のことなんて、オレにはどうでもいいからな」

「そんな。や、やっぱり、柩にも何か武器を持たせましょうよ」

「バカか? そんな付け焼刃でどうにかなるかよ。それに柩は素手のほうが強いんだ。素手のほうがオッズも高いし、儲けも武器使いの数倍だしな。ひひっ、ぼろい商売だ」


(とんだクソ野郎に買われたもんだな。本当に俺の周りにはろくな奴がいない)


 父に売られてから、今までに数十試合勝利を重ねてきた。

 どれも激しい死闘だった。一歩間違えれば死んでもおかしくないくらいには。

 そして先日、今日この試合に、自分が勝てば自由の身になるとセコンドに言われ、柩はいつも通り素手で、自分より遥かに格上の剣術の達人、上泉景久と戦うことになった。


 慣れた動作で黒い防刃グローブを嵌め、手甲と足甲と鎖帷子を着て、白い空手の道着と黒いカンフーパンツを身に付ける。

 いつの間にか背中まで伸びていた黒髪を、師匠――紅花の形見である紫色の紐で結う。


「行くぞ、柩。不敗のあいつに勝って、オレをたんまり儲けさせ、お前も自由になれ」


 下卑た笑みを浮かべるセコンドが、長方形の銀色に光る箱を放り投げてくる。

 柩はそれを片手で受け取り、箱を開いて中に入っている注射器のようなものを自分の首筋に押し当て、躊躇いなく打ち込む。

 ――ドクンッ! と心臓が大きく跳ねた。


「うっ! はぁ、はぁ、はぁ……はぁ……ふぅ……」


 瞳孔が開き、呼吸が乱れ、少しの間息が荒くなる。


「くっ、いつもより、動悸が、激しいな……」


 すぐにじわじわと薬物が身体に浸透し、異常なほど力が湧いてきた。

 《ブースタードラッグ》。大きな代償と引き換えに、ヒトの限界を超える力を与える違法薬物。依存症状は起きないが、服用しすぎると死に至る危険な代物だ。


「……行ってくるよ、紅花ホンファ


 誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟き、柩は闘技場へと足を進めた。


『さて、本日のメインイベント! 地下闘技場最終試合に出場するのはこの二人だ!』


 かなり広い闘技場の奥から司会兼実況の声が聞こえる。

 それに合わせて、柩は闘技場へ足を踏み入れた。


『東の門からゆっくりと現れたのは、十八歳にしてその小さな体で数多の強者を薙ぎ倒してきた男! 身長165センチ、体重61キロ! 地下闘技場戦績13勝2引き分け1敗! リングネーム《無手の死神》――高森柩イイイイイッッ!』


 高い塀の上を見渡せば、いつもよりかなり多くの観客がいた。


『不撓不屈の美しき鉄人と呼ばれる、容姿端麗な人気闘士、高森柩選手は武器の持ち込みが可能なこの地下闘技場でデビュー以来、一貫して素手で相手を屠ってきた強者です!』


 司会兼実況の背後にあるモニターに、柩の過去の試合映像が流れる。

 この地下闘技場では、四方百メートルのコンクリートの上で戦う。消極的な試合展開による注意はなく、時間は無制限だ。長い試合では一試合に数時間かかる。


『そして、キターッ! 西の門から現れたのは、歳を取りさらに進化した二十九歳! もはや語るまでもないでしょう! 身長180センチ、体重76キロ! 地下闘技場戦績99勝無敗! 紫電流当主、《雷神》――上泉景久アアアアアアッッッ!』


 反対側から、白髪混じりのオールバック、上は紺色の剣道着、下は黒色の袴。太刀使いの地下闘技場最強剣士、上泉景久が威風堂々と現れる。景久は腰に下げた鞘に手を持っていく。そのまま鍔を親指で押すことにより、はばきを外し鞘から太刀をすらりと抜いた。


『ご存知の方もいるかとは思いますが、実はこの二人、一年前に一度戦っています! そのときの映像がこちらっ!』


 ドン! という大きな音が鳴り、サイドの大画面に過去の映像が流される。


『《赤手腕刀せきしゅわんとう白刃しらはり》ぃいいい!!』

『断ち切れ、第一秘剣! 《白刃雷鳴はくじんらいめい》ッ!』


 全身血塗れで吠える柩と、冷静に刀を振り下ろす景久の過去の姿。

 柩は体ごと回転させて右腕に気血を送り硬質化。そのまま右腕を刀のように景久の太刀の側面を狙って振り下ろす。猛烈な破砕音が鳴り響き、景久の握る太刀の刀身がへし折れる。

 だが、気付けば景久の太刀は、その一瞬先に柩の顔を斜めに大きく斬り裂いていた。

 景久の折れた太刀が宙に舞う中、柩は顔面から大量の鮮血を噴き出し、そのまま勢いよく地面に倒れ込む。

 そして、レフェリーが柩の側に歩み寄り、戦闘不能を確認する。


『惜しくも負けはしましたが、地下闘技場史上初めて、上泉景久選手の太刀を粉砕したのが、この高森柩選手です! 今夜、この二人が一年ぶりに再戦しますッ!』


 柩は顔面に走る大きな深い刀傷を撫でる。全身の毛が逆立つ。


(あのときは紅花に泣かれたなぁ。心配させちまった)


 全治一ヵ月の重傷を負い、顔面に消えない大きな傷跡が残ってしまった。

 あれから柩は一度だって負けてない。紅花を悲しませたくなかったから。


「久しぶりだな、高森柩。その後、私以外には負けていないそうじゃないか。私の自慢の太刀をへし折ったんだ。そこいらのザコに負けられては困る」

「そっちこそ、相変わらずの負けなしか。悪いが今日は勝たせてもらうぞ」

「お前に恨みはない。だが、私が生き残るために処さねばなるまい」


 骨ごと肉を一太刀で斬り捨て、どんな打撃を受けようと、決して怯まず己の間合いまで踏み込み、人体を紙切れ同然に千切り吹き飛ばす剣鬼。それが上泉景久。


(こいつ、あれからさらに成長してやがる)


 不気味な殺気に背筋が凍る。

 ずっと喉元に刃を突きつけられているみたいだ。思わず体が縮み上がりそうになる、圧倒的存在感。

 この重圧、気を抜くと押し潰されそうだ。

 相手は最強。現代の剣士の到達点。

 なりふり構っていられない。

 この試合、おそらくどちらかが死ぬことになるだろう。

 その答えは戦いの中にある。


「あのときは手を抜いてすまなかったな。ふっ、あまりにもお前が惨めでね。戦いの場において、情けは侮辱でしかないと後になって悟ったよ」

「チッ、手を抜いてあれかよ」


 思わず柩は舌打ちをする。奴は底が知れない。

 本当に人間かどうかすら怪しい。


「僅か一年でここまで来たか。だが、お前の道はここで途絶える。私はその先に行くよ」

「先だと? このクソみたいな道の先に、一体何があるっていうんだ?」

「人類最強。そして人を超えた魔の領域。そこからは異世界だ。私はもう一度あの場所に行ってみせる、あの《アスガルド》に」

「テメエ、ふざけてんのか?」

「理解しろとは言わない。常人には無理な話だ」


 それだけ言うと、景久は会話を断ち切り、ゆっくりと背を向けた。

 柩は浅く息を吸い、全身に気を巡らせる。

 体が熱を持ち、五感が研ぎ澄まされていく。

 生物というものは、死の境界線上に立たされれば、どこまでも非情になれる。


「お前を殺して、俺は生きる」


 罪悪感は一切ない。

 奪うか奪われるか。

 生きるとはそういうことだ。


『両者、所定の位置について!』


 試合開始前の、景久との距離は二十メートル。

 徒手空拳と剣術で、互いに『武』の頂きに至った達人同士の戦い。


『それでは――――試合開始ッッッ!』


 高森柩は《不動立ち》になり、深く吸った息を丹田の奥まで巡らし、勢いよく吐き出して呼吸を整える。また吸って、万丈の気を吐く。

 空手の《息吹》。自律神経を整え、脳に大量の酸素を送る。

 脇を締めて肩を緩め、できるだけ体を小さくする。

 それが素手で武器に対抗する戦術。


「《仙道せんどう小周天しょうしゅうてん》」


《奇経八脈》を開発し、体内に眠っている《内気》を呼び覚ますことによって得る、脱力状態。これにより無駄な力が抜け、《気》を塊で捉えることができるようになり、潜在能力をギリギリまで引き出すことができる。

 紅花から継いだ『武』の力。

『師』が教え育て、『弟』がその背中を超える。すべては『師』の期待に応えるため。


「準備はできたか? さぁ、始めよう――高森柩!」


 歩み足で間合いを詰めながら、景久は頭上に掲げた両腕の隙間から相手を見下ろすように、敵に威圧感を与える《上段の構え》を取る。

 丹田に力を込めた後、圧倒的な速さを誇る《継ぎ足》で一気に間合いを埋め、振りかぶった白刃を柩の頭上に振り下ろした。

 景久の太刀による斬撃を、柩は両腕に付けた手甲で防ぐ。

 ガキンガキンと二度鳴り響く金属音。

 激しい衝突の後、両者の体が一度離れる。

 互いの力は互角と言ったところか。

 景久は離れた距離を素早く送り足で詰め、《一足一刀の間合い》に持ち込んでくる。


《一足一刀の間合い》。それは剣道における基本的な間合いであり、一歩踏み込めば相手を打突でき、一歩引けば相手の打突を躱すことができる。

 正中線に沿って放たれる、頭、胸、腹、の三連突きを、柩は巧みな足捌きでいなし、後方に大きくバックステップ。


「逃がさんぞ、第三秘剣! 《断空連斬だんくうれんざん》」


 景久の瞳に雷気が迸る。

 一瞬のうちに何度も白刃が煌めく激しい斬撃。

 その動きの『起こり』は見えた。

 柩はそれを両手に嵌めた、黒い防刃グローブで《化勁》を用いてパーリングする。が、受け流す構えを取ったはずなのに――


「――――――ッ!?」


 ……クソ、速い! 捌ききれない……!

 太刀を掴めさえすれば、肘や膝でへし折れる。

 だが、それを容易にさせる景久ではない。体勢を整える暇を与えてはくれないのだ。

 柩の焦りをよそに、景久はそのまま大きくこちらに踏み込み、太刀を振るってきた。


「ぐっ……があぁあああ!」


 なんとか致命傷は避けるが、着込んだ鎖帷子を弾き、腹部を浅く斬りつけられる。ぐらりと体勢が前に崩れる中、柩はその流れに逆らわず、右足を軸に一回転した。血流を加速させ、気を左の手首から上に集めて可能な限り硬化させる。

 遠心力を加えた、刃のような神速の手刀打ち。

 特殊な訓練と呼吸法で、鉄のように硬くなった左手刀。

 肉体を斬り裂く紙一重のところで、景久の太刀の峰に防がれる。


 しかし、その攻防の流れで左手を上に右手を下にした《天地の構え》に移行した柩は、景久の腹部に必殺の一撃を放つ。

 紅花との鍛錬で編み出した、彼の必殺技。


「決めるぞ! 《螺旋貫手らせんぬきて》」


 体全身に捻りと回転を加え、左腕を引き手にしてもの凄い勢いで捻った右腕から強力な四本貫手を放つ。右拳が腕ごと螺旋を描き、景久の心臓を突き破ろうとする。

 が、その刹那、太刀を右手一本に持ち変えて左手をフリーにした景久が、左手を正面に押し出し、自分の左腕を犠牲にして急所を庇う。

 しかし、柩の猛撃は続く。


「秘門――《六大開ろくだいかい貼山靠てんざんこう》」


 六種の型からなる中国拳法の戦闘理論、その運用法の一つ。

 伸び切った右腕を折り畳み、右肩と背面部から強烈なタックルを景久に食らわす。

 景久は喀血し、勢いよく吹っ飛んだが、その右腕に握った太刀だけは離さなかった。

 景久の左腕を槍のように穿った、柩の右手からは少量の血が滴っていた。

 だが、それは己自身の血だった。

 景久の破けた道着の下から貫通した鋼鉄が現れる。


「やるな、良い攻撃だ。さて、ここからどう切り返すか……」

「……面倒だ、鉄板入りか」


 柩は軽く腕を振り、パキパキと指を鳴らして関節に異常がないか確かめる。


「お前の体は異常に硬いからな。極限まで《気血》を高め、全身の筋肉を鉄のように硬化している。《硬功夫イーゴンフー》を徹底的に叩き込まれているな。内功、外功、共に素晴らしい。鍛え上げた技の鋭さも相まって、両手両足が強靭な刃物のようなものだ」


 景久が左腕から使い物にならなくなった鉄板を放り投げる。


「よく考えたら、素手のお前相手に防具を付けるのは恥だな。右腕の鉄板も外すよ」


 宣言通り、景久は右腕に仕込んだ鉄板も外して捨てた。

 ここからが本気の戦い。

 ならば、こちらも出し惜しみなしの全力でいく。

 自らにかけた『枷』を外す。

 気血を体に巡らせ、血流を加速。

 心臓を通常の数倍の速さで鼓動させる。

 血液循環速度が爆発的に上がっていく。

 ビキビキと全身の血管が浮き上がった。

 体が燃えるように熱い。命を削る自殺行為。


「ははっ、相変わらず痛ぇわ。でも、生きているって感じがするね」


 この期に及んで代償を恐れるな。失うものはもう何もないのだから。

 文字通り、命を懸けて戦え。

 相応の対価をなしにして、望む力は手に入らない。

 気炎を吐く。リミッターの解除。

 それを柩は意図的にできる。


「哀れだな。今までに命を削り過ぎだ。その身体、もう長くはないのだろう?」


 薬物に頼ったか、と景久がこちらのことを可哀想な者を見る目で見る。


「その目で俺を見るな! 俺を憐れむな! 俺を見下すな!」


 最も深い闇の底から、刃も恐れず拳を放つ。憎しみの炎が心を焦がす。

 怒りに任せて慎重さを欠いていると言われれば、否定はできない。

 しかし、柩は自らを奮い立たせる感情について、それしか知らないのだ。


「剛拳一撃! 《冲捶ちゅうすい》」

「紫電流! 《鍔受つばうけ》」


 拳を腰に構え、体を横に向けながら放つ威力重視の柩の突き技に対し、景久は刀身を自分のほうに向け、鍔を柩の拳に打ち付けるように突き出して衝撃を相殺する。

 こちらの拳をいなした景久に、左右連続の蹴り技、《連環腿れんかんたい》を叩き込むが、景久は柩の二段蹴りを、剣術家独特のスムーズな無駄のない歩法で上手く躱す。

 そのまま景久は白髪交じりの頭髪を掻き上げ《八相の構え》を取る。


 五行相剋『木』――《八相の構え》。中段の構えから左足を前にして剣を上に突くように右脇に構え、積極的に相手を攻撃できるようにする構えだ。

 そして景久は、そのまま一足飛びで柩との距離を埋めた。


「圧倒的に、速やかに、処断する――《無間むけん》」


 柩も一踏みで通常の数倍の距離を一気に詰める、中国拳法の秘門歩法――《箭疾歩せんしっぽ》を修めているが、景久のそれはいっそう鋭かった。

 瞬きをする余裕すらない。背筋に冷たい汗が垂れ、全身に鳥肌が立つ。


「紫電流――《閃光》――《光雷》ッ――《雷閃》ッッ!」


 目にも留まらぬ激しい雷のような斬撃。流れるように繋がれる必殺の奥義の数々。

 柩はそれを両手の防刃グローブ、両腕の手甲、両足の足甲でガードする。

 鳴り響く激しい剣戟音。

 一太刀でも防ぎ損ねれば、体を斬り刻まれてしまう。

 眼球がカッと見開かれ、血管が切れてその瞳が充血し、赤く血走る。

 なんとか景久の連撃を防ぎ切った柩は、そのまま隙をみて、景久の腹部に前蹴りを入れようと試みるが、上手く後方に躱される。

 そのときになって、ようやく柩は体に付けた鎖帷子ごと、胸部から腹部を深く斬り裂かれていたことに気付いた。後から遅れて痛みがやってくる。


「うっ!? あああぁああぁ!」

「刃よ、走れッ!」


 瞳が燐光を捉える。吸い込まれる、死の刃。


(こんな……ところで……――――――ッ!)


 左目が瞼ごと斬り潰され、視界が真っ赤に染まり、手甲と足甲が砕け散った。

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