第7話  仮 ストーリー(纏まった形になれば原作の方に移行)

今宵、街はエメラルドに輝く5話目


エスメラルダの正体


 サンエスペランサの街には、地元の住民ですら近づくのがはばかられる地区がある。ーB23Q地区。

 エスメラルダは焼きたてのロールパンがたくさん入った茶色の紙袋を片手に抱いて、B23Q地区を目指して歩いていた。街中の通りは寒気に満ち、パンが発する暖かさを胸にかみしめながら歩く。


 通りから、通りへ、小道から裏道へ、やがて街灯の光も彼方へと遠のき、朽ちた建物が並ぶ平坦な通りへとさしかかる。軒先で僅かに光る細長い蛍光灯の明かりだけを頼りに、歩道をゆく。


 コンビニエンスストアの汚れたビニール袋やゴミが小さく風に舞い、通りをヒョコヒョコと意志を持ち、街を闊歩しているように見え、エスメラルダは不思議な気持ちになった。サンエスペランサは懐が広く、また様々な顔を持っている。


 エスメラルダがサンエスペランサに訪れる前は、この辺りはホームレスの寄り合い所のような地区だったらしい。今は、寝床も提供されて暖炉と毛布で暖をとれているという話だった。

 夜行性のチンピラや、家庭や学校での生活が小さな箱だと悟った青年、鬱屈した衝動を抱えた人間が、自由を求めて先の見えない暗黒通りに縄張りを築いていたのも今は昔の話。

 シルヴィアや同僚から聞いた暗黒街B23Q地区は、道沿いの建造物にぶら下がる僅かな光が暴く通り以外は闇が広がるばかりだった。


 静けさをもたらしたのは新興勢力の中国系マフィア「神刻会」。彼らがホームレスに寝床を提供し、アウトローを地区から追い出した。

 その意味するところは「神を切り刻み、彼らの成すべき正義を我らが成す」らしい。


 彼らの国の言語、漢字の「神」を意味する文字を斜めに刻んだタトゥーがその体の何処かに刻まれており、エスメラルダもそのタトゥーを何度か見たことがある。勤め先のベーカリーショップの常連が「」の人間で、店員に誇示するように売場を一巡し、決まったパンを買って帰っていく。


 店員は皆、怯えて目も合わせられないが、シルヴィアとエスメラルダは平然と対応していた。シルヴィアなどは帰った後に悪態をついているが、彼らを恐れないだけの後ろ盾が彼女にはあるし、エスメラルダも彼らに支配されないための拠り所があるからだ。

 


 エスメラルダは立ち止まり、背後を振り返った。

 何者かの気配を感じる。「神刻会」の誰かがこちらを見ているのだ、と思った。そして、彼らよりも更に遠くで、国の後ろ立てを得た規模の大きな組織が、最新鋭の装備で彼女の行動を追っている。


 エスメラルダは背後に意識を向けながら、歩き出した。

 耳をすまして、出来るだけ足音を殺してゆっくりと。

 自分以外の息と音とを探るために。そして、誰かが近づいてくる気配を


(テューダの指定した場所へはまだ、半マイルほどの距離がある)


 正体不明の何かが一歩、また一歩、自分の存在を隠す事なく、エスメラルダへと近づいてくる。紙袋の中にベレッタを潜ませてある。(これ、意味あるのか 検討)イタリアの会社の銃、養父から譲り受けた形見の愛銃。エスメラルダの記憶の奥で今も生々しく生活を辿る事のできる、どこにも存在しないあの街から持ち帰った、数少ない遺品の一つ。


(養父<とう>さん、勇気をください)


 エスメラルダは養父に祈った。彼女心の拠り所は神ではなく、思い出に生きている優しい養父だった。


(勇気を。これから起こる出来事が良い方向へ向かいますように・・・・・・)


 通りの角から足音が抜け、エスメラルダの立っている歩道の真向かいの闇の中を彼が刻む、足音だけが通りに響く。

 それは小さな明かりの中にぬらりとその姿を表した。

 黒いスーツ、黒い大きな外套を羽織った男の姿。

 (顔の特徴)

 二人は三歩の距離で対峙した。しばし、見つめ合い沈黙が続いた。

 頭上で、蛍光灯に向かって小蠅が体当たりをする音だけが微かに鳴っていた。


「・・・・・・何か、言ったらどうだ?」

 エスメラルダが口火を切った。


「・・・・・・」


 エスメラルダは爛と輝く緑の目を男へと向けていた。男はなおも沈黙を続けている。

 

「芝居はやめろ、シルヴィア。私が用があるのはお前じゃないんだ」


 男は一瞬、たじろいだように見えた。構わずエスメラルダは話をついだ。





「・・・・・・いつから気づいてたの?」

「はじめから。お前が嘘つきなのは、はじめから見抜いていたよ」

 エスメラルダは静かに目を閉じた。胸が軽く痛んだ。

 今日で、仮初めの日常は消える。表面上であれ好意的であった関係が壊れる。

「私達もあんたが嘘をついているのを知ってた。でも、その証拠は掴めなかった。確信したわ、あんたの豹変したような態度、まるで人が変わったみたい。職場ではいつも良い子な、清純気取った人気者」

 壊れていく。目の前の、親友を演じていたシルヴィアが遠のいていく。


「・・・・・・何か用か?」

「ここへ何しに来たか聞かせて」

「何の権利がある。・・・・・・もう、友達じゃなくなった」

 シルヴィアは静かに睨んでいた。

 

「そうね・・・・・・。権利はこれよ、オリヴィア」


 エスメラルダは差し出されたFBIのバッジを静かに見つめて、それからシルヴィアに目を移した。もう、エメルではなくなった。嫌いだったあだ名。胸の中を、冷たい風が抜けていく。彼女はたった今、サンエスペランサの住人ではなく観光客へと様変わりした気がした。


「私をつけ回していたのは、FBIだったのか」


「『ここに、何をしに来たの。オリヴィア』」

「友達に会いに来た。友達に会いに来たんだ、私の故郷で生き別れになった友達に。この世界の、どこにも存在しない故郷で一緒に過ごした・・・・・・」

 言葉を連ねるにつれ、感情が強くなっていく。

 爆発しそうな手前でそれを一度切ると、呼吸を整えて口を開いた。


「私の故郷はウッドロッド。ウッドロッドの街。何で、誰もウッドロッドを知らないんだ。ネットにだって、存在しなかった。何があったんだ、教えてくれ。シルヴィア、FBIなら知っているんだろう? 何かの事件と絡んでいるから私を追っていたんだろう?」


「え!?」


 シルヴィアはいぶかしげな表情でエスメラルダを見返した。

 予想だにしない返答に、本当に戸惑っている様子だった。



「あなたは、証人保護プログラムの対象者なのよ。(これを言っていいのか調べる)あなたは自覚がないのかもしれない、あなたの境遇は聞いている」


「なんだって!? 証人保護プログラム・・・・・・だって・・・・・・」


 エスメラルダは初めて感情を爆発させた。落胆が彼女の前進を覆い、力が抜けていく。

 聞いたことがあった。何か重要な秘密を握っていて、それがマフィアや他国のスパイ組織などの暗殺から保護されるべく、個人情報が書き換えられ、全くの別人に変わってしまう制度。


 シルヴィアは哀れみを込めた目で、エスメラルダを眺めていた。


「何も覚えていないっていうのは本当だったのね。詳しい事は私も知らない。でも、あなたの言う『エスメラルダ』が本名かもしれない、だからあなたを狙っている連中にばれないようにエメルっていうあだ名で読んだ」


(オリヴィア、私の戸籍上の名前・・・・・・くそったれの、誰がつけたかわからない、私を私でなくする名前。知らない父、知らない母、行った事もない住所、通った覚えもない学校・・・・・・ッ!!!)


「ウッドロッドっていう街はあるだろう!!」


 抱えていた紙袋が路面に落ち、パンが辺りに散らばった。

 エスメラルダは無我夢中でシルヴィアにつかみかかって彼女を揺さぶった。


「・・・・・・そんな街、聞いたこともないわ。私が知らないだけかもしれないけど」


(絶対にある。ウッドロッドはあるんだ、記憶にあるんだ・・・・・・。それが嘘なら、私の大事な養父は、ネイサンは、彼らは存在しなかったとでも言うのか、私の妄想だったと。テューダ・・・・・・、そう、テューダ!)


 シルヴィアは散らばったパンを眺めていた。紙袋が落下した時、パンでない、硬質な何かが路面を撃つ音がしたからだった。それの正体に気づいた時、すでにエスメラルダがそれを手中に納め、シルヴィアに向けていた。


「そんなものを・・・・・持ち歩いてたの?」

「これから、友達にあう。本当だ、私は彼女に会わないといけない。

 本当の自分を知るために」







 エスメラルダはシルヴィアのSIGのマガジンを取り出すと、銃弾を全て路面へばらまけた後、マガジンを右手で握りつぶした。



「証人保護プログラムで守らなければいけない情報というのは、『コレ』の事かもな」


 エスメラルダは歪に曲がったマガジンを、シルヴィアの目の前に放り投げた。彼女は目を丸くして驚いていた。


「私は普通じゃないんだ。もう、いくよ」


 エスメラルダは闇へ向かって駆けた。

 向かい風が彼女の頬を削り取るように流れていく。冷たく、痛かった。

 流れていく涙を暖かく感じた。覚悟はしていた。友人を失う覚悟だ。

 だが、違う種類の覚悟が必要だったのだ。


 背後からエメル、という名を聞いた気がした。

 サンエスペランサでの、偽りの彼女を保証してくれる名前だ。

 エスメラルダは嫌いだったはずのその名が胸を満たしていくのを感じていた。


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