023●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜⑤:幻滅の21世紀
023●第4章●四谷プロダクション…1964年6月16日(火)夜⑤:幻滅の21世紀
「でも、リニアは全面的にトンネルの中なので、景色は楽しめないはずです」と、喜びの腰を折る久。
「ということは、ちなみに東京から新大阪まで、運賃はおいくらなの?」と真幌場。
「リニアは未発表ですが、地上の新幹線なら普通車指定席で一万五千円くらいだから……」
「ひっ!」と真幌場はのけぞった。「お高いわ、高すぎるわよ! 十月に開業する新幹線は二等車指定席で二四八〇円なのよ。一万五千円なんて、ボッタクリもいいところだわ。今だって主婦は野菜やお肉の値上がりに苦しんでるのに、二十一世紀ってそんなに酷い物価高なの? ウソじゃないでしょうね」
あまりに真剣な顔で抗議されるので、久も大真面目に答えてしまった。
「ホントですよ。僕だってスーパーで買物するから実感してます。白菜が四分の一カットで百五十円前後かな。少々しなびた値下げ品でも八十円」
「おいおい」と丹賀が口を挟む。「四分の一って……二十一世紀では白菜を分割して、バラで売っておるのか!?
「でも、一玉丸ごとなら六百円とか、高い時には八百円になりますし、ちょっと手が出ません。だから、たいてい四分の一から八分の一に切り分けて販売しているんです」
西暦二〇二四年のニッポンではごく当然の価格認識が、丹賀や真幌場にも相当な衝撃を与えたようだ。真幌場の頬が引きつる。
「白菜は去年まで一玉十二円でした。分割して買うなんて、なんて貧乏くさい……」いつもの冷静沈着さを失ったその顔に、貧しき未来人・久に対する親近感と憐憫の情が加味されてくる。「……それが、今年は二倍の二十五円に跳ね上がって、主婦は怒り心頭なのよ。これはきっと東亰ピューテックの選手村が食材を買い占めたから! 五月のメーデーで、みんなで物価高絶対反対のデモ行進したほどなのよ。怒髪天を衝く勢いで、国会前へ突撃で!」
見た目は感情を殺した有能秘書だが、中身は割烹着とフライパンで武装した、“戦う主婦”の気概に満ちているようである。久はこの秘書さんにふと共感を覚えた。ここが異世界であろうがなかろうが、物価高には反対である。
そうこうするうちに店屋物が続々と到着し、すっかり宴会めいてくる。
漆田が席を外すと、ミカン箱と称する木箱一杯にタカラビールとプラッシーとマリンカの瓶を入れて持ってきた。魔法で出したのではなく、社内のどこかに冷蔵庫があって、ストックしているとのこと。
「地球の食べ物で構いませんか」と真幌場は久を気遣う。「宇宙人だったら、石炭の赤飯や鉄板の食パンをご用意しましょうか。
「誓って地球人です」
六十年前のかつ丼をご飯一粒残さず平らげた久が、特大の寿司桶を見れば回転寿司で“!!高値の華!!”だった大トロの握りがずらりと並んでいる。いや、凄まじい円安の影響で、輸入に頼るマグロ自体が超希少品なのだ。なのに、誰もが他のネタを優先して無風地帯だ。これは大穴のグルメチャンスとばかりに手を出した久を、丹賀が
「おいおいキュウ君、遠慮してトロなんかで我慢しなくていいぞ、高級なのは海老なんだ、海老を食えよ。なくなっちまうぞ」
「え? これ、トロなんでしょ」
「そりゃそうだが、トロは安物だぞ」
「え、ええっ?」と絶句する久に真幌場が「そうですよ。トロは
「あ、いえ、トロが最高です。トロが好きです。トロもっといただきます」
この時代は寿司ネタの価値観は真逆的に異なるらしい。おかげで気兼ねなくトロを満喫したが、先のかつ丼も併せて、こんなに旨いものをたらふく食べたのは、生まれて初めてのような気がする。思わず感謝の言葉が口に出る。
「本当にご馳走様です。僕の東京ではマグロどころかタコもイカも……サバとかサンマだって高くて買えないんです」
「じゃあ、何食ってるんだ?」と同情めく万城。
「イワシです。かば焼きにして骨までやわらかく煮た缶詰がおいしいですね」
「イワシって、なあ……ありゃ畑の肥料だぞ」
そんなもの人間の食い物ではないとばかりに時代的偏見に満ちた見解を述べて、丹賀は他の全員と同様に、貧しき者に対する哀れみを漂わせて言う。
「そうか、キュウ君はいよいよ謎の少年だな。……月にホテルもなく、エアカーも飛ばず、街は電柱だらけで、白菜すらまともに買えず、トロすら高級品になっちまって、イワシしか食えない未来なんて貧乏くさくて、ちっと
バラ色の二十一世紀は、すっかり鳴りを潜めてしまった。
「ね、社長、よく見ると、ずいぶんハイカラな衣装ですね」
真幌場が久の衣服に注目する。「ぱっと見は半袖シャツと、ぴらぴらの上っ張りとステテコですけど、光沢といい、伸縮性といい、見たことのない生地だわ。舶来ものかしら。サーカスの衣装みたい、あ、宇宙人だから宇宙服?」
二十一世紀のTシャツやハーフパンツは、“下着っぽいくせに、つやつやして、やたら高級”な不思議服に映るようだ。にしてもハーフパンツをステテコとは。
「このような素材は地球上にありません」ついに確固たる物証を得たとばかりに、真幌場女史は銀縁眼鏡に指を添えて突飛な結論を強調した。「キュウ君はやはり宇宙少年なのですわ。そう、宇宙パトロール。もうすぐテレビの漫画で、
「ひょっとして頭に
「白状しろ。おまえの出身はジキロメシアかヒロジュウス、妖星ゴラスかバグア彗星か?」
冗談なのか本気なのか、久には聞いたこともない星の名前が出て来る。
久の困惑は深まるばかりだ。荒唐無稽なSF設定を彼らは否定しないどころか、日常の一部とばかりに、乗りに乗ってくる。河童にされては困るが。
それにしてもこの連中、僕のことを知りたいのか、ただ面白がって、あの手この手でイジリたいだけなのか。これではエリア55の
「ふーむ」と首をひねる面々。
こよみだけは我関せずとばかりに、ひとり静かに茶をすすっている。
「粗茶ですが」と、真幌場が久に茶を給仕してくれる。「なんでしたらガソリンがよろしいですか。ニトログリセリンも探せばありますよ。お茶受けにダイナマイトの羊羹とか」
「断じて地球人です」と、鼻息も荒く三本の茶柱を見つめる久。立てと念じたら立ったような。
「あ、立った。きっといいことありますよ」と真幌場が、自分の魔法で立てましたと言わんばかりに告げる。そこで久をじっと見ると、勝手に何か気づき、「あ」と指さすと……
「半魚人」
「え゛……」と喉をつまらせる久。
「そうなのです。あなたは海底人パーパーニッサンで、ムウ帝国からフグトラ潜航艇に乗って、マリンビレッジ基地をスパイしにやってきたのですわ」と、またまた根拠抜きで断言する。
「だったらどうなんです」と、真幌場のエビデンスレスな出まかせ推論に匙を投げる久。この
「僕をさばいて刺身にでもするつもりですか」
「まあまあ、そう怒るな。大丈夫、安心しろ」と丹賀。「きみが半魚人なら、さっきのトロで同類をしこたま共喰いしたことになるからな。少なくとも魚類ではあるまい」
「爬虫類でも両生類でもありません……もう……」と、久は憮然。
「わかったわかった」となだめる丹賀。話題を変える。「真幌場くん、灰皿をくれたまえ。一服して落ち着きたいが」
「はい、私もです。煙草は心の日曜日」
真幌場がパチンと指を鳴らせばサイドテーブルの戸棚が勝手に開き、アダムスキー型円盤を逆さにした形の灰皿がゆらゆらと飛んできてテーブルに着地した。心ならずも灰皿の上空に釣り竿とテグスを探してしまう久。
丹賀は“しんせい”、真幌場は“ラッキーストライク”、万城と漆田は“ゴールデンバット”、と“キャメル”を交互にくゆらせて、たちまち紫煙たなびく会議室。
久はぞっとした、ここは密室だぞ。肺癌天国へ直行するガスチェンバーじゃないか。こよみは平気な顔だが、やはりこの人たち、まともじゃない。
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