017●第3章●特車隊と“東亰ピューテック”…1964年6月16日(火)昼さがり③:特撮戦車

017●第3章●特車隊と“東亰ピューテック”…1964年6月16日(火)昼さがり③:特撮戦車





 信じがたい違和感にとらわれて、久は舌を噛みそうになった。何かこう、とんでもない世間離れした異様な集団に囲まれた感じだ。怪しい宗教の人たちみたいな。

 といっても、オリンピックって何なのか、理路整然と他人に説明できるほど詳しい知識は持ち合わせていなかった。

「ええと、オリンピックは百年だかもっと昔にギリシャで始まった、世界の平和とスポーツの祭典で、新しい国立競技場で開会式するんですよ。今、東北地方から聖火リレーしてるし、ほら、トーキョー五輪、東京ニーゼロニーヨン!」

 あれこれとキーワードを並べて思う。……信じられない。いい歳をした大人の日本国民がオリンピックを知らないはずがない。となれば、わざと知らないふりをしてからかったのか? でも、そんなことをして僕にフェイントをかける意味があるんだろうか?

 と、猜疑心丸出しで顔をしかめた久に、怪獣ドシラは恐ろしく真面目な声を重々しく返してきた。

「ああ、そりゃなあ君、平和でスポーツでお祭りって言えば、ピューテック大会のことだ、女神さまがおっしゃっていただろう? “東亰ピューテック”だよ。とーきょーごりんとか、とうきょーにーぜろナントカとか、何か勘違いしているな。君、すンげえ田舎っぺじゃないか? 出身地はどこなんだい?」

「東京ですよ」……何言ってやんでェ、田舎っぺなのはそっちだろ……と久は語調に込めて突っ張る。

「いやはや……」と、怪獣はあきれた。どこか、二人の間に根本的な歴史認識のズレがあることを悟ったようだ。「今年、開催されるのは東亰ピューテックで、とうきょーごりんでなく、“東亰七輪とうきょうしちりん”だ。あ、ああ、そうだ!……今思い出した! なにかの本で読んだ。古代オリンピックってのがあったな」

 怪獣はバスの通路越しに、久の方へ首を乗り出して知識をひけらかした。

「昔々、古代ギリシャのオリンピアで四年に一度催していた大規模な体育祭だったんだが、競技の八百長だか買収とか、汚職やら腐敗がはなはだしくて、ローマ皇帝のネロが勝手に出場して権力で一等賞獲ったりとかね。やらせ金メダルさ。そのため神様の怒りを買って、すたれてしまったというんだ。そこで十九世紀の末頃に、フランスのピエール・エッシェンバッハ男爵という貴族様が現代に復活させたのが“ピューテック大会”。それはオリンピアでなくデルフォイの“ピュートゥ聖域”で四年に一度開催していた文化と体育のお祭りだよ。近代ピューテックの第一回はアテネで開かれた。で、いよいよ第十八回の夏季大会がこの秋、東亰で実現するわけだ。“第十八回ピューテック大会”、すなわちそれが“東亰ピューテック”、なのである、お分かりかな?」

 意思疎通できない未開の民族を小馬鹿にする態度を感じて、久は黙った。相互の認識が噛み合わないことにあきれているのは、相手も同じだろう。でも、どうして五輪が七輪なんだ? 無知蒙昧な田舎者はどちらなのか、よく分からない。とはいっても、“東亰ピューテック”って何なんだろう? それって、オリンピックの代わり? 

 久は考え込む。窓外の景色に目が戻った。

 ピューテックのことを怪獣に尋ね返す前に、久は「あ、あれは?」と目を丸くした。一段と非日常な風景がやってきたからだ。

 反対車線に、戦車が並んでいた。

 車体を路肩に対して斜めに向けた八輌の戦車が、対向車線に一列で停まっている。  

 その主砲は、ほぼ真北を指していた。

 久が訊く前に、ドシラは解説する。自慢したかったのだろう。

「われら四谷プロダクションが誇る“特撮戦車隊”、略して“特車隊”だ。あれの正式名称はタイガーシャーマン特車、強そうだろ。まあしかし、映画では怪獣に踏みつぶされる、やられ役ばかり演じているんだが」

 ここは南北に走る鉄道線路をまたぐ陸橋であり、見通しがいい。あの戦車は、さきほど骨格恐竜にとどめを刺すため、ここから上野公園に向けて光の魔弾を撃ち込んだのだ。

 その証拠に、先頭車両の砲塔の上に、白金の髪をなびかせて、黒ジャージ姿の眼帯魔女、ヒル先生が立っている。一足先に、“西欧美術館”から飛行箒で戻ったようだ。

 しかしその戦車は、やや珍妙な姿だった。

 “タイガーシャーマン”という名称そのままに、グリーン系のカーキ色が厳めしい米国製M4シャーマン戦車のボディに、ジャーマングレイに塗られたドイツ製タイガーⅠ型戦車の、鉄の丸桶といった感じの無骨な砲塔が、でんと載っている。

 シャーマン戦車の転輪サスペンションの形状や、左右の履帯キャタピラの縁が外側に少し張り出していることから、戦後の陸上自衛隊に供与された“イージーエイト”と呼ばれる車種と同じであることが、久にはわかった。ありふれた凡才の高一男子にもシャーマンとタイガーⅠの区別がつけられるのは、美少女が戦車に乗って大活躍するアニメシリーズのDVDやらブルーレイを、軍事愛好家ミリオタの友達に見せられたおかげだ。

 確かにタイガーⅠ型戦車の八八ミリ口径の主砲は太くて長く、強そうに見えるが、車体のシルエットは頭でっかちとなり、まるで、ガチャで買うチョロでチビな三等身メカに見えてしまう。映画のやられ役にぴったりかもしれない。

 その車体側面には、こよみたちのベレー帽のエンブレムと同じ、大小七つの輪を組み合わせたマークが描いてある。

 砲身は北の空に仰角をかけ、まだ警戒を続けているようだ。

 久はさほど気に掛けなかったが、車体には細かな改造が施してあり、左ハンドルの操縦席の上には、実車にはないスリット状の展望窓が、正面と左右前方を眺められるように増設されていて、さらに四方にサイドミラーが伸びて、運転の安全をはかっている。履帯キャタピラの接地部にはゴムパッドが嵌めてあり、路面を傷つけないように配慮していた。 車体の四隅には前後に向けた照明灯が追加されていて、方向指示のウインカーも付随している。

 つまり、もっぱら一般道を走るための戦車だというわけだ。

 スクールバス“かるがも号”は速度を落とし、最徐行でのろのろと進む。

 タイガーシャーマン《TS》特車の操縦席や砲塔のハッチは開いており、戦車兵らしき若者が数人、顔を出していた。全員が男で、ヒル先生と同じ舟形の帽子に黒いジャージ、首元にはインカムをかけている。彼らのジャージのファスナーパイピングとサイドラインの色は銀だけであり、銀と赤の二本線になっているヒル先生とは異なる。

戦車男タンクメンさーん! ごきげんよう!」と、スクールバスの娘たちが窓を開けて呼びかけ、さっきはありがとう、助かりました……と礼を言う。

 戦車に乗った青年たちは機嫌よく手を振り返した。ごく日常的な、職場仲間の挨拶だ。

 戦車の男たち全員が短髪か、剃髪したぴかぴか頭で、細身の小柄な体形、しかも、かなりの美形イケメン揃いということに気づく。青年アイドルグループとしても通りそうで、その端整な美的水準は、失礼ながら、バスの少女たちを少しばかり上回りそうな……

「ここから国立西欧美術館まで三キロメートル、光マーカーの間接射撃で八発とも正確に命中させたんだから、お前らの腕前はマイスターだ、喜べ。ま、そうは言っても、七発撃てば六発当たる“魔弾フライクーゲル”なんだから、自慢にはならんか。ま、それでも、ご機嫌グート仕事アルバイトに変わりないぞ。一件落着だ!」

 日本語ながら荒っぽい喋り口で、イケメン揃いの戦車男タンクメンをねぎらうヒル先生。

 すると魔法でその手に特大の矢立やたてと長さ一メートル余りの白地の旗指物はたさしものを出して、さらさらと四字熟語っぽい文字を墨書すると、先頭車両の砲塔後部に突き出した雑具箱ゲペックカステンに立てた。

 “逸見、落チャック”

倉臼くらうす隊員、ヒル先生の“本日の標語”のココロは如何に?」と、車内に乗組む三人の一人、操縦席の美男子がインカムを通してコソコソ声で尋ねた。倉臼くらうすと呼ばれた、砲塔ハッチの下に控える美青年は他の二人に答える。

来斗くると隊員、半須はんす隊員、標語の意味は“チャックが落ちれば逸物の拝見に至る。なのでチャックを上げ忘れることなく砲撃にいそしめ”……という、ご指導にござりますな。なにぶん、先生は殿方の“社会の窓”の閉め忘れを見つけてはなるべく人前で大袈裟にご指摘なさるのが大好きゆえに。われらの股間は常に油断大敵ということであろうかと」

「さようか……にしても、先生の最近の駄洒落は年々苦しくなってまいりますな。そろそろネタ切れと拝察できまする。お歳のせいでしょうか」と、操縦席の半須はんすがつぶやく。

「しっ!」とたしなめたのは射手席の来斗くると。「先生は“永遠の十プラス十七歳”を自称なさって三百年は過ぎておられますぞ。ご先祖様がエルフ系なので、たいそう長生きなさる予定とか。百年単位の四捨五入なら四桁に達すると噂されるだけに、駄洒落のシモネタなんぞ、とっくの昔に世紀を超えたマンネリの境地を極めておられるのです」

なり是なり」と首肯する半須はんす倉臼くらうす

「“奇跡は人が作るもの、駄洒落は無理くり作るもの”が先生の持論でありますがゆえ」と続ける来斗くると。「それれゆえ拙僧らは正しき国語を守って、ただ黙々と精進いたすのみ。もはやヒル先生の“漢字誤解力”は、お釈迦様でもお救いになれますまい。あれで、四矢女学園のれっきとした国語の先生なのですからなあ。……南無、 Mit seinem Latein am Ende sein.(お手上げですわ)」

「ヤー、ヤー」と、他の二人の美青年もドイツ風に相槌を打つ。

 僧侶の心得があるらしい美貌の戦車男タンクメンたちが念仏めいてぼやく声は、久の耳には届かない。



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