018●第3章●特車隊と“東亰ピューテック”…1964年6月16日(火)昼さがり④:変な東京

018●第3章●特車隊と“東亰ピューテック”…1964年6月16日(火)昼さがり④:変な東京





 首都高の高架は、日本橋川の流れの上から皇居の北のお堀端に沿って走っている。しかし、なんとなく、変だった。バスが上野公園を出たときは怪獣ドシラと社内の様子に気を取られて、外の景色は目に入っていなかったが、ここまでくると、窓から見える何もかもが、どこかおかしい。何かが決定的に足りないというか。

 左右の車窓。眼前を通り過ぎる建物の群れが、とても低い。

 そしてひたすらに視界を圧する、広大な青空。

 そう、この都市には、超高層ビルが、ない。ひとつもない!

 多くは五、六階、高くても九階か十階どまりの、低層のビルディングが適度に隙間を開けて建ち、建物の間を樹々の緑が埋め、大きなビルの屋上から空に向けてちらほらと、赤や緑の風船バルーンが泳いでいる。何なんだあれは?

 わが目を疑う久、しかも、南の方角、おそらく日比谷公園あたりの樹々の上に、すっくと姿を見せる、赤と白の針のようなものは……

「東京タワー!?」

 どうして、こんな場所からしっかり見えるんだ。

 思わず声を上げ、同時に、驚いてはいけない、と自分に言い聞かる。

 だってここは東京だ。自分は東京にいるはずなんだ。生まれたときから、今このときまで。

 でも、東京なのに、ここは東京でない。

 冷汗がどっと湧く。手足が、がくがくと震えてきた。

 ここは違う。明らかに、僕のいる世界じゃない!

 “ウルトラ”とか“怪奇”とか“世にも不思議”といったタイトルのTVドラマの、どちらかといえば、お間抜けな脇役に出演した気分だ。

 それなら、このバスの女の子たちや、さっきの怪獣は何者なんだ? 幽霊か宇宙人か?

 怪獣が隣の席から、おまえこそ変な奴だとばかりに、首をかしげて久を見た。

 斜め後ろの席から、こよみもきょとんと見ていた。おかしな人ね、と言いたげに。

 首都高はゆるやかに下って、千鳥ヶ淵からトンネルに入り、そして地上に出た。

「あ……あ……」

 あまりの不安感に、苦しい呻きが自分の口から漏れた。

 ここは赤坂見附の立体交差。南へひたすらに広がる、低い街並みのパノラマ。

 あえて言うなら、“田舎の都会”といった趣だ。

 久が知る街のように、きらきらと輝いてはいない。

 やや褐色めいた、淡いセピア色のフィルターがかかった、くすんだ色合いの都市。

 久には黄砂に見えたが、じつは工場の煤煙や車両の排気ガスに起因する薄いスモッグだった。たなびく煤煙にかすみつつ、天を衝いてそびえ立つ紅白のタワー。

「まさか、ここでも東京タワーが見えるなんて」

 久の言葉に、怪獣ドシラが自慢げに反応した。

「ああ、あれは“東高とうこうタワー”だ。高さ333メートル、東洋一の高さってだけでなく、今のところパリのエッフェル塔よりも少し高いので、世界一高い自立鉄塔ってことだな」

 それは西に傾き始めた陽光を浴びて輝き、手前のビルよりも高く、すらりと空に伸びている。

 久の知る東京タワーにシルエットは酷似しているが、デザインが少し異なるようだ。

 地上百五十メートルにある大展望台は角型でなく、レンズ状にずんぐりと膨らんだ円盤型、どことなく宇宙的な印象だ。そしてその下、地上七十メートルあたりには、四角の分厚いテーブルを挟み込んだような、久の記憶にない展望台が加わっている。

 針のように天を突く鉄骨の尖塔には、高さ二百五十メートルに位置する特別展望台の姿はなく、何かの装置を載せた作業台があるだけだ。

 しかしその全体シルエットの滑らかさは、ひたすらに美しい。

 まるで、都市を支配する紅白の巨神……。

 バスが停まった。運転手の赤倉レッド氏が、久のただならぬ気配を察して、一時停止してくれたのだ。大丈夫かね? と運転席から振り向く。

 久はしばらく、心配げに覗き込んだ怪獣ドシラと調子を合わせて、口をぱくつかせる。

「怪獣さん」と訊く。「ここは……どこ?」

「トーキョーだ」と、ドシラは答えた。

「あなたたちは、だれ?」

「いずれわかる」

「何が欲しいんですか」

情報インフォメイション。君がスパイならね」

 久は、ごくりと唾を呑みこんで訊く。

「今は……何年?」

 怪獣はさらに大口を開けた。口の中に光る青年の目は、無知な田舎者に対する同情のまなこだろう。久に、しっかりしろとばかりに強い語調で答えた。

「アホかお前は」

 怪獣の腕は、左の窓に近い、ほぼ十階建てのペンシルビルを指していた。

 屋上は“アフラマズダ自動車”の広告塔になっており、“キャロル”とブランド名をペイントした看板。その下の壁面一杯に、もう一枚の巨大な看板。こう書かれてある。

 “WELCOME! 世界の平和と文化と体育の祭典”

 “ピューテック東亰大会を成功させよう”。そして……

 “TOKYO1964”

 1964!?

 しかし、これが久の知るオリンピックなら、その文字の上か下に掲げられているはずのエンブレムは、五輪のマークのはずだが、ここにあるのは別物だった。

 下から一つ、二つ、三つと、小さめの円環を六つ、逆さの俵積みにして、その“逆三角形”の外側の三つの円に外接して、大きな円輪をひとつ描いた紋章。

 上下が逆になっているだけで、バスの中の少女たちのベレー帽やセーラー服に刺繍された紋章エンブレムと同じだ。マメタンという小さな戦車や、さっきのタイガーシャーマン特車に掲げられていたのも、同じ図柄の紋。

 つまり、こちらの“東亰”では五輪でなく、七輪だ……

 たったそれだけとはいえ、ここが久の世界とは異なる時間軸にあることを示す歴然たる証拠。

 久は難破船からただ一人、離れ小島へ漂着した孤独な遭難者の心境で、逃れようのない現実を必死で噛み締めようとしていた。

 一九六四年が、前回の東京オリンピックが開催された年であることは知っている。

 しかしここでは、オリンピックでなく、ほぼ内容が同じらしいイベントが、ピューテックと呼ばれているのだ。

 ここが、どんな人々のいる、どんな時代なのか。自分には知識がない。

 知らない世界は……要するに“異世界”だ。

 ここは時代の異なる、異世界の東京なのだ。

 しかも、自分がいた東京とかなり似ているけれど、中途半端にさまざまな食い違いがある世界。とすると、六十年前の並行世界パラレルワールド!?

 自分が重度の認知症でもなければ、ここは……?

 押し寄せる孤独感が胸を締め付け、久の精神を強烈に圧迫した。

 久は声を振り絞って腹の底から絶叫した。

「ありえねー!」

 途端に、視界を薄闇が覆った。

 頭からポリバケツを被せられたのだ。






※作者注……物語世界の前年にあたる一九六三年に制限が緩和されるまで、当時の東京における標準的な建築物高度制限は地上三十一メートルであり、フロアの高さは九階程度がほぼ最大でした。(NHK『東京ランドマーク』より)

※作者注……赤坂見附の高架から東京タワーを望見した風景は、映画『星のフラメンコ』(一九六六年公開)に見ることができ、“マツダ”の広告を冠したペンシルビルも確認できます。


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