014●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼⑥:怪獣ドシラと誘拐魔

014●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼⑥:怪獣ドシラと誘拐魔





「ほいほい、カーット!」

 呑気な声で気まずい沈黙を吹き飛ばし、そこに怪獣が登場した。

 といっても、等身大の着ぐるみだ。

 人間が中に入るので、先ほどの骨格恐竜に似た二足歩行タイプ。

 全身が毛足の長い黄色とピンクの羽毛に覆われ、モフモフな感じだが、顔は寝ぼけたナマズに類似し、頭頂にモヒカン風のとさかもついており、統一感が無い。

 しかも素材自体が、安っぽい毛布やモップやスポンジやモールを縫い合わせて色を付けたようなもので、チープ感が半端ないな……と久は思った。高校の学園祭でも、もっとましなものを作るだろう。

 余った端切れやクッションで気まぐれに作った、ご当地ゆるキャラの失敗作ってところか。

 しかし……

「あっ、怪獣だ!」

「ドシラだよ、テレビで見た!」と、子供たちが色めき立つ。

 平日の午後なので、地元の少年少女は学校にいるのだが、地方からやってきた修学旅行の小学生がバスガイド嬢に案内されて、上野公園の動物園や博物館を移動する途中だったのだ。

 実物の着ぐるみ自体が珍しそうで、たちまちドシラは人気者、幼い観衆の視線が集中する。

 怪獣ドシラはラッパ形のハンドマイクを握り、人々に話しかけた。

「えー、毎度おなじみ特撮映画の四谷プロダクションです。このたびはスムーズな撮影にご協力ありがとうございました。来春公開予定の超大作『怪獣大作戦・東亰ウルトラC』にご期待下さい! 目下撮影快調です! 良い子のみんな、元気かな~」

「はーいっ!」と手を挙げて、ノリのいい児童たち。

 怪獣ドシラは番組の宣伝ビラを抱えると、愛想よく子供たちに配って歩く。

 ビラはドシラの塗り絵になっていて、こちらは“総天然色テレビ番組〈怪獣ドシラの愉快な大冒険〉絶賛放映中!!”と、謄写版で印刷してある。

 手作りの粗末な宣材だが、それでも子供たちは嬉しいようだ。

「♪ドシラ、ファミレ、ドレミドソ~ソ、ドシラ、ミソミ、レソシラソ~」と、はしゃいで歌う声。テーマソングなのだろう。

 塗り絵一枚で子供たちが夢を膨らませる、素朴でレトロな情景がそこに生まれていた。

 そう、素朴でレトロと言えば……

 観衆の大人も子供も、着ている服が、どことなく違う。こちらも素朴でレトロだ。

 母子家庭なので家事もこなす久ならではの観察眼によると、見た目が素朴、と感じた原因のひとつは、衣服の洗濯じわが目立つこと。乾けば必ずピンシャキになる万能柔軟剤を使っていない……。

 それに、ファッションの傾向。サラリーマンのワイシャツに細めのネクタイ姿、コットンパンツにボタンダウンのシャツを合わせたアイビールックの若者あたりは、まだそれほど違和感はなかったが、若い女性のロングスカートに幅広のリボンベルト、すとんとしたシルエットのワンピースが安物のカーテン生地みたいにカラフルで細かいプリント柄。濃紺のタイトスカートに白いブラウスの事務員さんは、どこか時代がずれたようで、しかし上品でクラシックともいえる。

 どの衣服も全体が“艶消し”な印象で、光沢の乏しい素材ばかり。しかし、みすぼらしい印象は無く、“チャラくないけどチープでもない”といった感じ。

 さらに気になるのは、年配の女性には着物姿が目立ち、ご近所さんらしい白い割烹着のおばさんも混じっている……。

 着物? それに割烹着? あれ、確かに割烹着だよね、小学校の給食当番みたいな……近所に料亭でもあるのかな?

 視覚的に混乱しながら、久は連想した。主人公とその家族が海産物に由来する名前で、時代設定は、たぶん二十世紀の半ばあたりを想定した国民的長寿アニメ番組。あの登場キャラに、なんだか近い。

 そうか、これはやはりコスプレ大会。近くで同人誌即売イベントがあって、みんなコスプレイヤーで……いや、そうじゃなくて、これが映画のロケなら、この人たちはきっとエキストラなんだ。何十年か昔にヒットした怪獣映画のリメイク作品を撮っていたとかで……。

 と、またまた思考が堂々巡りする久の視界に、ブルブルとエンジン音を震わせて、山吹色の大型バスが現れ、美術館の西門へ横付けされた。

 車体のデザインは典型的なアメリカン・スクールバスだが、運転席の前に突き出したボンネットが巨大で、エンジンのフロントグリルは業務用エアコンの室外機を思わせる。ボンネット周りには、前衛的な生け花みたく、各種のサイドミラーがにょきにょきと生えていた。ボンネットの側面には“White 666”の銘板がクロームメッキの輝きを放っている。

 これは在日米軍払下げの軍用トラック“ホワイト666”を改造した六輪駆動の怪物的優れ物の大型バスなのだが、車体側面に書かれた和名は“かるがも号”と可愛い。

 スクールバスのフロントガラスの上に掲げた行先表示板は“四矢女学園”。

 少女たちはこれに乗って帰るのだろう。

 喧嘩をしていた二人の少女は仲直りしたようで、片手を上げて、こよみが「桜組集合!」、はてるかが「菊組集合!」と指示すると、それぞれに白セーラーの少女たちが整列した。

 機関銃を背中に回して並べば壮観、三十人以上にもなる。半数ほどは、いつの間にか純白のロングスカートを纏っていた。プリーツはなく、ゆったりと贅沢なシルク素材に優雅なドレープが流れるフルスカートだ。足元は白い半長靴しか見えなくなるので、ジャージ感覚のスラックスの上から着用したわけだ。

 みんなで手をつなぐと、お嬢様っぽい仕草で片足の膝を曲げる“カーテシー”のスタイルで、観衆に深々とお辞儀する。

 フィナーレだ。大きな拍手と、声援。

「がんばれ神女挺心隊しんじょていしんたい!」と、子供たちがエールを送る。 

 それが彼女たちのチーム名であることを変に思わず、自然に受け入れている。で、大人たちはというと、まさに“子供だまし”の大道芸を見物させてもらった気分ではやし立てる。

「いよっ、大根役者!」

 良心的な別の観客が、誰かが言い間違えた慣用句を訂正してくれた。

「いいぞ千両役者!」

 久は何もすることがなく、ぽつんと立っているだけだ。じっくり考える余裕はなく、めまぐるしく周りの状況が変わって幻惑され、自分だけが置き去りにされている。

 これって……つまるところ、特撮怪獣映画のロケ、だったんだよね?

 ということは、“神女挺心隊”のあのたちは“四矢女学園”という芸能スクールに所属するアイドルチームなんだ。ここでは怪獣映画のバトルヒロインを演じていて、それなりに世間に知られているってことか……知らなかったのは僕だけみたいだ。

 なんとも、あてはずれな気分。

 さっきまで、少女たちの戦いは、本物の戦闘だと思っていたのに。

 少女たちがスクールバスに乗る一方で、なぜか、こよみが足早にやってきた。

 久に向かい合うと、口をへの字にして、ジトッと睨みつける。

 久は、尋ねずにおれない。

「あの、ひがしかぜさん」

東風こちです。一度で覚えなさい」

 つんと鼻先であしらわれたが、久は勇を鼓して食い下がる。

「これ……みんな、映画の人たち? きみたちも?」

「ええ、まあ、そういうことね。みんな、四谷プロの監督さんにスタッフの人たちよ。あたくしたちは四矢女学園の生徒なの」

 セリフの最後に、こほん、と小さな咳ばらいをつけて、上流っぽく品をつくる、こよみ。

「そ、それじゃ、東風こちさん。さっきの怪物や、機関銃や、地獄門とか、戦車や、女神様も、あんなことやこんなこと、なにもかも……全部、映画のロケだったってこと?」

「まあ、そう思ってくれていいわね」

 あたりまえじゃない、とばかりに愚問視する、こよみ。

 ああ、そうなのか……!? と久はのけぞり、絶句する。

 消え去った夢、直面する現実、目が醒めた気分……とは、このことだ。

 なにもかも、てい良く騙されていたのだ。

 今日はなんて日なんだ、きっと厄日だ、仏滅だ。

 この展開、無茶すぎないか?

 心の中で不条理な結末に抗議しながら、とりあえず、力が抜けてしまった。

 彼女たちが芸能人なら、ありふれた三流高校生の僕には、どのみち縁のない別世界の住人だ……。そしてなにより、僕の助けなど最初から何一つ要らなかったわけだ。

 僕はアホだ、バカだ、撮影を邪魔していただけだ。

 仕方ないか。腹も減ったし、値段は高いけどコンビニ寄って帰ろうか……と肩を落としたところで、あの金髪少女、くるみと目が合った。

 スクールバスの窓を開け、こちらをじっと見て、笑顔で小首をかしげ、手を振っている。

 まさかと思って、久も腰のあたりで手首だけこっそりと振ってみた。

 すると、なんと驚いたことに、アニメの可愛い魔女っそっくりの、無邪気なウインクが返ってきたのだ。

 嘘!?

 久のハートに針山の如く、グサグサグサとキューピッドの矢が突き立った。

 もう少し、ここにいよう。せめて、あのを見送る間だけ。

 ちょっとした、虫のいい願い。

  “普通にモテない”男の子の、はかない幻想を噛み締めて、久は天を仰ぐ。

 薄雲が去って、スコッと抜けるような青空。

 そこで思った。

 おかしいな。上野公園の樹って、こんなに低かったっけ。それに、何かが足りない。決定的に、足りない……。

 むんずと腕をつかまれた。

 こよみの手が、モンキーレンチ並みに固く、久をつかんでいる。

「マンさん、万城さん!」

 こよみに呼ばれた怪獣ドシラが、のそのそと近づいてきた。咆える真似をする。

「ドシラソー! おいらは愉快なドシラだぞ、ギングドキラよりも強いんだ!」

 こよみは仲間の怪獣に、冷徹な声で告発した。

「この人、スパイです。捕まえて下さい! ひみつカメラを持っています。私たちが魔自マジだと知って撮影したんです!」

 え、ええっ? 僕がスパイ?

 そんなばかな、ねえ……と、こよみに笑いかけようとして、久の顔は凍り付く。

 こよみの、美しいが残酷極まりない、優等生のニンマリ顔。

 チクられた!

 本職のスパイでもないのに、激しい“裏切られ感”にとらわれる久。

 たとえて言えば、始業時間に遅れて学校のフェンスの下を匍匐前進ですり抜けたとたん、待ち構えていた幼馴じみの女の子に、げしっと頭を踏みつけられ、「先生!」と通報されるような……

 怪獣ドシラは、意外と素早い動きで久のスマホを奪い取った。着ぐるみの手首に隙間が開いており、そこから人間の手が出て、スマホを握っている。

「ラシドシラー! これが写真機?……お前のスパイ道具だな!」

 “写真機”なんて言うのかい? と、痛々しい死語な世界にのけぞる久。

 周囲に悟られないよう、怪獣はおどけた調子で久の腰に腕を回すと、がっしと固縛する。

 久は、怪獣のコミカルな怒声の迫力に気圧けおされて、かくんとうなずく。

 脇腹に、冷たくて固いものが、ぐりっとねじ込まれた。

 見れば、怪獣の左手首にも隙間があり、そこから黒光りする拳銃の銃口が突き出している。                        

「マジ…っすか?」と青ざめる久。

 怪獣は耳元ですごんだ。

「いかにも魔自だ。来てもらおう」

 久の心は無言で叫ぶ。

 ありえねー!







※作者注……青い“ガントラ”は邦画『風速四十米』(1958)に、それらしき車両が一瞬だけ姿を見せて右から左へ横切る場面があります。立証は困難ですが、まさしくクォード・ガントラクターであると作者は信じたい。戦後に警察で使用された極めて少数の車両が、昭和三十三年頃の都内にまだ実在していたと思われます。


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