013●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼⑤:四谷プロの撤収

013●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼⑤:四谷プロの撤収






「カアーット!」と男の声。同時にカンカン! とキレのいいカチンコの連打音が響き渡った。

 続いて「はい、みんな、お疲れさん、お疲れさん! 本日の撮影めでたく終了!」

「はあ?」と面食らってしまった久だが……

 振り向けば、潰れた柵の向こうから、今、声を張り上げた背の低いずんぐりむっくりの中年男が、ハンチング帽にサングラス、手にはメガホン、綿パンとTシャツにしわしわのデニムシャツをだらしなく重ねた恰好で、俺様は監督様だと言いたげにずかずか歩いてくる。

 そのデニムシャツの背中には、白いステンシル字体で、大きく“YOTSUYA PRO.”その下に小さく“四谷プロダクション”と染めてある。

 いつのまに……と久は目を見張るしかなかったが、監督らしき人物と同時にわらわらと美術館の前庭に入ってきたのは、同じデニムシャツの男たちやお姉さん。車輪付きの架台に銀色のふすまのようなものを取り付けた“レフ板”を運ぶ者、マイクを吊るした竹竿を持つ音声さん、特撮用の“ダンチャク”と呼ぶ発破薬や点火装置を収めた木箱や電源コードを両肩に担いだ特殊効果のスタッフ、衣装やメイクアップや撮影記録スクリプターらしき人々……。

 そして、ロボットみたいに角張った面構えの青い小型車両が二台、それぞれ映画撮影用の車載カメラとクレーンカメラの台車を曳いて、柵のすぐ外に停止する。

 ロケ現場のカチンコには独特の魔力がある。

 カン! と打ち鳴らして撮影がスタートすると、現場の空気は夢あふれる非日常の異世界に変貌するし、撮影終了のカン! もしくはカンカン! の連打で、たちどころに夢の世界は消え失せ、日常の自分に引き戻される。

 それと同じだった。自分を取り巻く世界が突然に変転して、撮影の緊張が解ける。

 幻想から現実へと。

 こよみたち少女の集団は、ほっとして力が抜けたように姿勢を崩した。十分ばかり前まで“甲魔”の骨格恐竜と必死の形相で対決していたことを、一瞬で忘れてしまったかのように。

「さあ、丁寧に要領よく撤収してくれたまえ!」

 監督の声に応えて、スタッフたちは一斉に、後片付けにとりかかる。

 白いセーラー服の少女たちは互いに雑談を交わしながら、機関銃を背中に回し、服の汚れを払い、地面に散らばった薬莢を拾い始める。そこに清掃係のスタッフが駆け寄ると、「お嬢さんたち、いいですよ、私たちの担当ですから、みなさん休憩して下さい」と作業を交代する。

 竹箒たけぼうきとチリ取りで、てきぱきと薬莢は回収され、九七式自動砲クンナジは、柵の中に乗り入れたミゼットらしき青いオート三輪の荷台に積み込まれる。

 金髪少女のくるみが、両手にそれぞれ、“考える人”と“野口英世”の頭部を捧げ持って「どうしましょう?」と困り顔で立っていると、スタッフが「大丈夫、直しますよ」と受け取る。

 戦車の発砲すら加わって、小さな戦場といったありさまだった前庭は、劇場の回転舞台がぐるりと場面を転換するかのように、あれよあれよと思う間に、原状復帰が完了してしまった。

 壊れた銅像も、倒れていた柵も、久を守ってくれたゴミ箱の中身も元通りになり、地面に散らばった瓦礫や石ころの類も片付けられ、コンクリートの広場のあちこちに開いた穴やひび割れも綺麗になくなり、舗装し直されていた。

 まるで、百人以上の手品師イリュージョニストが手際よく整然とマジックを披露したようで、久はきょろきょろと首を振って眺めてしまった。一瞬目を離して戻すと、銅像の首がくっついている、といった早業だ。

「え、ええ? その……何なんだ?」とつぶやいてしまう。

 これって、つまるところ、何もかも映画のロケだった?

 骨格恐竜を撃ち漏らしたまま、正門のすぐ内側に停まっていた六〇式自走無反動砲マメタンによりかかっていた少女、はてるかにも数人のスタッフが声をかけた。

「お疲れでーす、マメタンはガントラで引き揚げます! あとは任せて下さい」

 はてるかは、うん、それじゃお願いします、とスタッフにお辞儀して、マメタンを離れる。

 “ガントラ”なんて、どこかで聞いたことのある名前かなと久が思っていると、本当に、Gの頭文字で久がよく知っているアニメの巨人型ロボット兵器、その頭部に車輪をつけたような、武骨な四輪駆動車……さっき、クレーンカメラなど大物の機材を牽引していたのと同じ種類の車両だ……が、傾斜路つきの台車を牽いて到着し、六〇式自走無反動砲マメタンを自走させて台車に載せると、のろのろと走り去っていく。

 このロボット顔の青い車両は四谷プロダクション所有の牽引作業車で、もともとはカナダ製の軍用車両、火砲を牽く砲兵トラクター“CMP FAT2”が、戦後の日本に進駐していた英軍から日本の警察へ、そして民間へと払い下げられたものだ。その俗称はクォード・ガントラクター、略して“ガントラ”と呼ばれていることを、久はのちに知ることになる。

 しかし、こよみにはまだ、片付けたい仕事が残っていた。

 つかつかと、はてるかに詰め寄ると、険しい顔つきで、ねめつける。

「はてるかさん、いつもいつも、あなたのやることはズボラでいいかげんだけど! 今日という今日は……あなたの不注意でクラスメイトのみんなが怪我したのよ、どうするつもりなの! あなただって菊組の級長さんでしょ! しっかりしなさい!」

 ショートカットの元気少女は、白ベレーの被りを直し、ぷいと横を向くと、気のない返事でふてくされる。

だからさぁヤクトゥヨー

「だから何なのよ」

「……なんとかなるナンクルナイさぁー」

 いかにも鬱陶うっとおしそうに、すっとぼけて責任逃れをする元気少女の頬に向けて、瞬発的に、こよみの手が動いた。

 ぱあん! と派手な打撃音を引いて、はてるかはのけぞり、数メートル飛ばされた。地面にころがり、白いセーラー服とスラックスを汚して、よろよろと起き上がる。

 ほーっ……と、感心のため息が柵の向こう側から聞こえ、ぱちぱちと拍手が沸いた。

 見れば、柵越しに観客の顔、顔、顔。通行人の野次馬が群がっている。どうやら、一部始終を見物していたらしい。

 とすると、怪物との戦闘、戦車の発砲、あの女神様まで……?

 みんな、少女たちと女優さんの演技だった?

 観衆が拍手したのは、二人の名演技だ。こよみの打撃は、殴るふりをして寸止めでから突きする、いわば“エアびんた”であり、はてるかも迫真のスタントで、打たれたふりをして後方へ吹っ跳んだ……ということらしい。

 確かに、そう見えた。こよみのびんたは、はてるかの直前で空を切り、命中していない。

「泥ねえちゃん、どうした! やり返せ」

「高飛車ねーちゃんを、やっつけろ」

「負けるな、パンチだ。いつものように喧嘩しろー」

 観衆にとって、この二人のいさかいは、お馴染みの光景らしい。ようし、やれやれ、もっとやれ……といった軽薄なアジテーションが二人に浴びせられる。

 そんな野次馬こそ無責任の極みに見えるが、それは、二人の喧嘩は演技の一部であって、観客サービスのひとつだ……と、だれもが勝手に了解しているからだ。

 だが……

 はてるかの頬は真っ赤に腫れていた。

 こよみは、はっとして、はてるかを殴った手を、もう一方の手で握り、隠した。

 やりすぎた、またしても、やりすぎてしまった……という悔悟の表情。

 はてるかは、こよみの内心を察したのか、穏やかに非を認めた。

「悪かったよ……あたいが悪いんだ」

 こよみは目をそむけた。

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