011●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼③:地獄門の魔法伯爵
011●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼③:地獄門の魔法伯爵
「砲撃やめ、ご苦労、一件落着」
ヒル先生の満足げな声を“特車隊”とやらへ送信したハンディトーキーは、手品のように姿を消した。
こよみに向かって、美魔女は危険が去ったことを告げて、言い添えた。
「……とはいえ、あたしたち特車隊の八八ミリ魔弾はしょせん
聞いていると、魔物を退治する弾丸には、二つの種類があるようだ。そう考えたとたん、久の脳に解説の字幕が流れた。
『そう、光の弾には二つの種類があるのよ。ひとつは“
ヒル先生の“特車隊”の砲弾と、
『もうひとつは“
さらに続いた解説によると、こよみやヒル先生の言葉にあった“甲魔”というのは魔物の威力別等級ということだ。台風や竜巻といった自然災害並みに大きな破壊力を持つものは“甲種魔物”……すなわち“甲魔”に類別する。殺人や放火、重度の暴行傷害など、凶悪犯罪レベルの殺傷力を有するものは“乙魔”となる。
それ以下の、人類に与える害が軽傷以下にとどまるものは“丙魔”、ほぼ人畜無害の下級妖怪などは“丁魔”とされる。
なお、原水爆クラスの破壊力を発揮できる超強力な魔物は“超甲魔”となる。
……ということは、少女たち、神女挺心隊は、“
ともあれここで、“甲魔”級の手強い骨格恐竜を二体も撃破することができたわけだ。
「ありがとうございます、ヒル先生。危ないところでした」こよみは安堵して一礼すると、額の汗をぬぐう。「でも、なぜ、あの恐竜みたいな魔物が」
「詳細は
「そうですか……」
ヒル先生の説明に納得したのか、こよみは曖昧にうなずく。勝利したことよりも、予期せぬ敵に突然襲われ、混乱して不利な戦いを強いられ、仲間に少なからぬ負傷者を出したことを思い返して、苦々しい気分にとらわれている。級長の責任感だ。
ヒル先生と呼ばれる魔女は、こよみの心中を察して地面すれすれに降りると、手を差し伸べて、白いベレー帽ごと、こよみの頭を抱きかかえて力強くごしごしとなでた。
「よしよし《グートグート》、よくやったね。負傷者は出たが、たいした怪我じゃないよ。落ち着きなさい」と微笑むと、「女神様も、無事でよかった」
豊かな胸の谷間から、そっと顔を離して答える、こよみ。
「ええ、ご無事です! 美術館の建物に避難されています。あとは早く、“地獄門”へ……」
こよみが指差すのは、扉を開いたロダン作の“地獄門”だ。
こよみは初めて、明るい笑顔を見せた。
その笑顔に、ふと久は見とれてしまった。心の重圧から救われた、こよみのほっとした表情がこんなに爽やかだなんて。
ここまで横で話を聞いたことで、久にも事件の顛末が想像できた。
新潟に大地震発生、それが遠因で、博物館のアロサウルス標本に何らかの霊的な作用が発生し、骨格恐竜…“甲魔”というランクに入る、強いやつ…が出現し、こよみたちに襲い掛かった。こよみたち神女挺心隊が戦っていたのは、近くにいて、美術館の中に難を避けた“女神様”を守るためだったのだ。
そこへ救援に駆け付けたのが、地獄門から顔を出した戦車と、魔女のヒル先生。
「おお、そうだ、あっちで門を塞いでいる、
こよみに親指を立ててサムアップ・サインを送ると、魔女先生は箒に乗ったまま“地獄門”から砲口を突き出している戦車の前へ飛ぶと、虎の敏捷さでふわりと着地する。
両足が地面に着くと、長大な箒はヒュッと爪楊枝サイズに縮小し、黒ジャージのポケットに消えた。箒にまたがるのでなく、横座りで搭乗する方が、離着陸を少ない動作で行なえるようだ。
「ヨハネス叔父様!」と美貌の魔女は戦車上の人物を呼ぶ。「やっぱりヨハネス叔父様なのね!」
「よおヒルデガルト、ご無沙汰じゃな。変わりないか。まあ、年季の入ったオールド魔女が十年やそこらで変わるはずもあるまいて。でもって、その色気抜きの恰好を見るに、いまだに独身なんだな。十年一日か光陰矢の如し。まあ仕方無いワなァ。どうだ、
ヒルデガルト、という本名で呼ばれた美貌の魔女は、あわててセリフの進行を止める。
「あー、たんまたんま、お口にチャーック! いつも一言二言、多すぎるのも一向にお変わりありませんね、叔父様。あたしゃ好きで独身してるんじゃァあ~りませんワ、放っといて下さいナ。人目もはばからずにいちいち余計な説教するから、いい男は寄ってこないし、叔父様は大日本帝国よりも先に戦争に敗けたりするンです」
「それはさておき」と、一昔前のドイツ第三帝国の敗戦の責任を蒸し返される前に、元ドイツ将官らしき老人ははぐらかし、「義侠心で助太刀したんだぞ。礼ぐらい言うがよかろう」
「ありがとう、おかげで助かりましたわ!」
立場上、お嬢様然として素直に感謝を述べるヒルデガルトに、老人はホッホッとサンタ笑いを返すと、「なんのなんの朝飯前さ。わが腕前を見たか。見事に一撃必中だろ。ま、射程百メートルばかりの零距離射撃なんだから、それを外すヘッタクソの気が知れんが」
さっき、はてるかという元気少女の六〇式自走無反動砲、通称マメタンが大外れを出したことに対するあてこすりだ。ちっ、と、ふてくされ顔に戻って、ヒルデガルトは問う。
「でも、どういう
「さきほどデルフォイ神託会の
言葉の主…ヨハネス叔父様…は、戦車の砲塔ハッチから上半身を出し、あくびもしているようだが、地獄門の向こうは薄暗く、もやがかかっていて姿はよく見えない。
しかし言葉ははっきりと聞こえた。ドイツ語だ。
そこで久は、えっ? と驚いた。耳に聞こえるのは明らかにドイツ語らしき外国語なのに、頭の中では日本語として理解できる。外国映画を観ながら、同じ画面に日本語字幕が流れている感覚だ。
『そうよね。あなたが頭の中で聴いているのは、魔法界で、学術的には“前バベル語……プレ・バベリッシュ”と称し、世俗的には“
誰なんだろう……、誰かが僕の頭の中に直接に語り掛けて、基礎的なことを教えてくれている……と、変な気分だが、とにかく久は耳をそばだてる。
ヒル先生は訊く。
「ということは、そちらはギリシャのデルフォイではなくて、ルクセンブルク大公国はアルデンヌの森の、叔父様の別荘、“
「まことに」
ルクセンブルク大公国はドイツの西隣にあたる、面積が東京都より一割ほど大きい程度の、こぢんまりした風光明媚な国だ。門のあちら側が薄暗いのは、時差のせいであると思われる。
「にしても……」ヒル先生は、ゴキブリでも見るかのように、顔をしかめる。「その
「悲しいかな、大戦生き残りのわが愛車たちは、みんなロートルのポンコツになり果てた。あれからもう二十年近くになるんじゃぞ。
「ふん、金目当てでハリウッドに身売りですか、貧乏魔法貴族の哀れな末路とか」と姪っ娘は手厳しいが、ヨハネス叔父は、ふっふっふと含み笑いで迎え撃つ。
「それでもギャラはナイスだぞ。現ナマのドルでくれるしな。百ドル札で、これくらい」
札束の厚みを指で示されたらしく、ヒルデガルトがお口あんぐりで絶句するのがわかった。
ヨハネスは畳みかけるように、「経済をガメつくやっとらんと戦争には勝てんと、お前さんも言ってたじゃないか。それに何より、戦争映画は楽しいぞ。本物の
どうもこの、ヨハネス叔父様とヒルデガルトは、ドイツに古くから伝わる大砲&戦車専門の軍事一族の家系らしい。しかも、魔法使いの血統を称する。ヨハネス叔父様は第二次大戦ではドイツ戦車団を指揮した将軍であり、戦後はルクセンブルク大公国の自分の別荘に隠遁し、本物のタイガー戦車を何輌かコレクションして遊んでいる……ということか。
……といっても、久には信じがたい。箒に乗って現れたヒル先生というドイツ魔女に、戦車マニアの魔法伯爵なんて、コスプレヲタクがお互いに設定を合わせて与太話をしているようなもので、ちょっと薄気味悪い冗談にしか思えない。とはいえ、こよみたち白い少女たちの戦いも、骨格恐竜も、
加えてロダンの“地獄門”は、上野公園のここだけでなく世界各地に複製品があるらしく、それらが著名なアニメの“
自分の理解力を遥かに超えた事態を、久はただボーッと眺めるしかない。
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