010●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼②:魔弾の砲撃

010●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼②:魔弾の砲撃





 国立西欧美術館の前庭には、十九世紀フランスを代表する天才彫刻家オーギュスト・ロダンの手になる青銅ブロンズの立体作品が三点、屋外展示されている。

 庭の西端には“考える人”、そして中世フランスはカレー市の英雄的な市民を六体の立像にあらわした“カレーの市民”が広場の中央に、そして東の端に建つのが“地獄門ラ・ポルト・ドゥ・ロンフェル”だ。

 外枠が縦五メートル半、横四メートルというビッグサイズの門構えはブロンズを鋳造したもので、ダンテ・アリギエーリの“神曲”に描かれたハイライトシーンを浮き彫りで造形している。おびただしい数の、苦しみ悶える亡者の群れに覆われた門のいただきには、“ここより入る者、一切の希望を棄てよ”とイタリア語で刻まれている。芸術的ではあるけれど、見るからに、おどろおどろしい異世界的な構造物だ。

 額縁状の分厚いコンクリート壁に固定されているこの門が開くはずがないのだが、今、確かに門扉もんぴが手前に観音開きでオープンしていて、戦車の主砲がぬっと突き出していた。

 扉のすぐ内側に立ち込めていた霧が今の発砲で吹き払われて、やや明るい灰色の車体と亀の甲羅に似た砲塔が前半部を露わにしている。

 まさしく戦車だった。

 久には、昔のハリウッド戦争映画に出てきそうな戦車としかわからなかったが、それは一九六○年代に欧州の西側諸国に広く配備されていた米国製の“M47パットン”だった。車体幅が三メートル半にもなるので、“地獄門”の横幅三メートル弱の扉を通り抜けることはできず、門の“こちら側”に出ているのは主砲身の先端だけだ。口径九〇ミリの砲口には、うっすらと発砲煙が漂っている。

 久は何度も目をこすって凝視した。国立西欧美術館には何度か来たことがあるので、あれが“地獄門”であることは知っているけれど、信じられない。

 だって……開くかよ!

 門は青銅の塊だ。その背後を支える台座と合わせて二メートルほどの厚みがあるだけで、その向こうには、何もなかったはずだ。

「あの……門に、“向こう側”ってあったっけ?」

 後から思えばお間抜けな疑問を口走ったものだが、しかし、こよみは久の問いを無視し、厳しい眼差しを骨格恐竜から離さない。やつの腰から下は、まだ生きているのだ。両脚と尻尾がのたうって、土を掻き、樹木を蹴り、激しく暴れている。

 こよみの額や鼻筋から汗がしたたる。魔法力を使い続け、疲労が蓄積してきた。

 骨格恐竜の動きを“制動”で押さえているうちに、六〇式自走無反動砲マメタンに次発装填して、今度こそ正確に一〇六ミリ重光子ロケット弾を撃ち込まなくては……

 突然に上から声が降ってきた。大人の女性の声だ。

「すまない、待たせた! 特車隊が引き受ける!」

「ヒル先生!」こよみが顔を上げ、安堵の声を返す。

 久とこよみの頭上に、一陣の風。そこには……

 魔女がいた。

 飛行箒に乗り、空中にホバリングしている。

 久が本物の、そして現役にして生身のヨーロッパ魔女を目撃するのは初めてだったが、アニメや実写映画でならいくらでも見たことがあり、ほぼそれに近い姿なので、間違いないだろう。

 とはいえ、典型的な魔女のイメージとは少し違っていた。

 箒は五メートル以上の大型で、物干竿ものほしざお二本分よりも少し長く、その柄は黄色と黒の虎縞とらじまに塗装されている。まるで鉄道の踏切の遮断竿しゃだんかんだ。

 ただし、アニメに見る魔女のように箒にまたがるのでなく、斜め座りで腰かけている。

 そして彼女のコスチュームは魔女らしく黒色だったが、マントはなく、どうみても、学校の体操服のジャージだ。上下とも真っ黒なジャージ。色彩らしきものは、側面やファスナーラインに施した赤と銀のパイピングくらいだ。首からホイッスルを提げ、靴は黒い半長靴。

 そして帽子は、魔女ならではの円錐状の三角帽子ではなく、大戦中のドイツ戦車兵が多用した、つばのない黒い舟形帽ギャリソンキャップで、正面に海賊旗ジョリー・ロジャーの髑髏マークと同じ意匠の銀のエンブレムをあしらっていた。ちょっとミリタリーなコスプレを気取った、体育の女教師といったところか。

 だが、ヒル先生と呼ばれた彼女の容貌は確かに魔女にふさわしかった。久の主観によると、CG美女も顔負けの、冴えたクールビューテイー。

 身長百八十センチを超す、すらりとした偉丈夫。透き通るような透明感のある肌に、ほとんど銀色に近いプラチナブロンドの長髪をさらさらとなびかせ、どう見ても日本人ではなく、バイキングの血を引く女海賊めいたワイルドな印象、それは左目を黒い眼帯アイパッチで塞いでいるからだろう。

 見た目は“隻眼の魔女”とでもいうべきか。一方の右目は深く透明なグレーで、獲物を狙う虎にそっくりな猛獣の眼光が、細面の美貌に異様な凄みを加えている。

 年齢は二十代半ばに見えたが、なにしろ魔女なので定かではない。

 久はようやく、もぞもぞと動いて、金網のゴミ箱から脱出した。確かめようと思ったのだ。

 ひょっとして、空中に浮かぶ美魔女の背中から細いワイヤーが伸びて、クレーンにつながっているのではないかと。しかし同時に注目してしまったのは、漆黒のジャージの胸をふくよかに強調する、豊満……と言うよりは“放漫”なほど背徳的な二つのふくらみだった。

 隻眼の美魔女、ヒル先生は、ロダンの“地獄門ラ・ポルト・ドゥ・ロンフェル”の中から砲声一発で助けてくれた戦車に顔を向けると、砲塔の照準孔からこちらを見ているはずの乗員に向けて、敬礼に似た手振りで、“ども!《ダンケ》”とばかりに気安い挨拶の仕草をした。

 組織上の仲間ではないが、親しい知り合いのようだ。

 そこで彼女は、こよみに視線を下ろす、久に気付いていたようだ。

 右目を鋭くきらめかせて、こよみに尋ねた。

「その男子は?」

普通人ふつうじんです。迷い込んだので保護しました」

「とりあえず制動で守ってやンな、すぐ特車隊が砲撃する」

 と言うや、黒ジャージの魔女…ヒル先生…は、飛行箒に腰掛けたまま、左手を振る。

 すると、特大の食品ラップの箱を金属製にして送受話口をつけたような形状のハンディトーキーSCR-536が手元に現れ、しゅっとアンテナが伸びた。

 大戦中のアメリカ兵が使っていた、トランシーバーみたいなもの、いわば巨大携帯電話……と久は理解していた。ミリタリーな戦車アニメのヒロインたちが愛用していたのを思い出す。

「タイガー・ワンより特車隊、タイガー・ワンより特車隊」

 ヒル先生のコールサインを受けて、若い男の声が返る。

『こちら特車隊、全車、砲撃準備よし』

 ヒル先生は命じた。

「マーカーを打ち込む。座標を特定次第、魔弾フライクーゲルを曲射せよ」

了解ヤヴォール!』

 通話先から男の声が返ると同時に、今度は魔女の右手に拳銃らしきものが現れた。

 シンプルな円筒形の銃身、大戦中にドイツ軍が使用した信号銃改造型の小型擲弾発射器カンプフピストーレである。とはいえ久の目には“先生のピストル”、すなわち体育祭のスターターピストルにしか見えなかったのだが。

 ヒル先生は発砲した。骨格恐竜の躯体に命中すると炸裂し、真上すなわち重力の反対方向を指して、光の竿がまっすぐに立つ。その色柄は、魔女の箒の柄と同じ、黄色と黒の虎縞だ。

 ここで測量していますとばかりに頭上へと伸びた、光輝く虎縞のポール。

 その高さは百メートル近くに達しているだろう。

 と、南の空がきらりと瞬き、ジャッと空気を斬り裂く音を後から引いて、光の弾が四発、ポールの根元めがけて着弾した。

 地響きを上げて、骨格恐竜は破裂した。粉々に砕ける。そこへ間髪を入れずに、第二射の四発が落ちる。地面をフライにするかのように、油ぎった印象の濃厚な虹の光がばちばちと爆ぜて跳び回ると、骨格恐竜の残骸はパウダー並みに細かな粒子に挽き潰され、爆風に乗って上空へ舞い上がると、消え失せていった。

 そして着弾から数秒おいて、南の方角からドォォォンと、殷々たる砲声が木霊こだまとなって追いかけてきた。マーカーの光を目標に、かなり遠くから発砲したようだ。

 光の虎縞マーカーの柱が、ふっと消えた。

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