009●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼①:はてるかとマメタン
009●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼①:はてるかとマメタン
●第2章●少女と怪獣と女神様…1964年6月16日(火)昼
「ね、あなた、知ってるの? わたくしたちが魔自だって!!」
純白のセーラー服に純白のベレー帽、きっちりと結った尾提げ髪の眼光鋭い少女…“桜組級長 東風こよみ”…は息せき切って繰り返した。
あまりに唐突すぎて意味不明の質問に、答えようもなくフリーズした星川久。
いや、そりゃ、きみたちがマジってことは、そうだろうけど……
と、きょとんとしたところで、たった今シャッターを押したスマホの画面に輝く時刻表示に目を落として、息を呑む。
西暦1964年〈招和39年〉6月16日(火曜)《大安》……
え、ええっ? 1964年? 平成でなく……“招和”? これはいったい……
しかしまぎれもなく、ここは上野公園、国立西欧美術館の西門前。
より正確には、西門から十メートルほど南に離れた、フェンスの曲がり角に設置された、金網タイプのゴミ箱の前だ。
グオッ! と、おぞましい咆哮が耳を打つ。
はっとして見上げると、少女たちの“制動”のパワーを振り切った骨格恐竜が、樹木の枝を薙ぎ払ったところだ。半透明の虹色の前肢で、何かの台座のような石の塊をつけた金属の棍棒をつかんで、振り回している。
それは数秒前まで隣の国立科学博物館の玄関前に建っていた、野口英世の銅像だった。
「危ない!」
こよみの叫びと同時に、久の身体は目に見えない力に掴まれて、ヒュッとのけぞっていた。視界に金網がかぶさる。背中を屑籠の縁に打ち付けて痛みを感じたら、二本の金属パイプの脚の間で逆さに立った屑籠に放り込まれたことがわかった。
地面にしゃがみこんで、上半身に金網を被せられた格好だ。
な、何するんですか! と抗議しようと思った久は、即座に感謝する気になった。
激しい連打音、屑籠の上に砕けた石がガンガンとぶつかり、弾ける。
こよみが助けてくれたのだ。どうやったのかわからないが、自分を屑籠に入れてくれなかったら、降りかかる石ころに頭を割られていただろう。
そして金網越しに見たのは……
首がもげたブロンズの座像。ロダン作の“考える人”だ。そして同じく首がもげたまま、腰の曲がった状態で“考える人”に抱き着く“野口英世”と、ただの瓦礫と化した、その台座。
骨格恐竜に投げつけられたのだ。
世界文化遺産の栄誉に浴する美術館の前庭は、今や大規模テロの凄惨な現場と大差なかった。
骨格恐竜の雄叫びと破壊音、その腕が風を切る。少女たちの発砲音、叫び、小さな悲鳴。飛び散る石と土と砂。敷地を囲む鉄柵はひしゃげ、対戦車ライフルの
無事だった。フェンスの残骸から土まみれの顔をのぞかせると、久に「てへ」と微笑んで、悪戯っぽくペロっと舌先を出した。
キュート!
まさかこんな修羅場の只中で、とびきり美少女のテヘペロにまみえるとは……
この瞬間、久のハートにキューピッドの特大の矢がズキュンと突き刺さったのだが、くるみの愛らしさに陶酔できる時間は数瞬もなかった。
くるみの顔色が変わり、全身を緊張させて、久の背後に向けて両腕を突き出す。強固な精神力を束ねて打ち出すかのように。
くるみが「制動!」と叫ぶ声に重ねて、こよみも同じ叫びで気合いを入れていた。
異様な気配に背中がゾクっと痙攣し、久は振り向いた。
体長およそ二十メートルの半透明の骨格恐竜が、こよみと久に襲い掛かろうと、首を延ばし、鋭い牙を並べた顎を開いて……
寸止めで、恐竜の動きが止められていた。まるで人工の金縛りだ。
くるみだけでなく、こよみも仁王立ちになり、左手を延ばし、指を開いて、念じている。
二人がかりで念動力のパワーを投射している?
久はそう直感した。不可思議な力、これは、もしかして魔法?
近くにいる、他の少女たち数人も同じ動作に移っていた。機関銃で攻撃するよりも、とにかく敵が繰り出した一撃を防ぐことを優先したのだ。
この場に突然に現れた“普通人”、すなわち久を守るために。
骨格竜はぶるぶると震えて、力んだ。見えない拘束を引きちぎるかのように、一歩踏み出そうとするが、その顎が、脚が、じわりと押し返される。
これが、先ほどから、こよみの言葉の端々にあった“制動”なんだ、と久は理解した。同時に頭の奥で何者かが状況を解説する、字幕のような言葉が流れる。
『そう、“制動”は、自分に危害を加えようとする相手の動作を封じる、防御魔力の基本的な技法なの。
と、二十一世紀のアイドルユニット名を並べると、その“何でもあり度”では“神女挺心隊”もごくごくノーマルな印象になってくる。
奮闘する神女挺心隊だが、しかし巨大な魔物である骨格恐竜を、いつまでも魔法の念動力で押さえ続けることはできない。
こよみの右腕が動いた。手首から先を捻って、一振り。するとそこに、葡萄の房のように金色の鈴をたわわに実らせた、特製の
そのかわり、輝く。神楽鈴から
こよみは銅像よりも冷たい笑みを浮かべて、振り下ろす。
先端がゼリー状の肉に突き刺さり、目もくらむ雷光を発すると、骨格恐竜の左の膝関節が砕けた。光の
こよみは久に顔を向けた。この隙に逃げなさい! と言わんばかりに。しかし言葉が出る前に、新たな少女の声が、数十メートル後方、国立西欧美術館の前庭の南東にあたる正門から届いた。
「
とにかく歯切れのいいボーイッシュな掛け声なので、乗っている車両のエンジン音や
「せ、戦車! 突撃型の?」
思わず口走った久。
ただし車体の塗装は全体が真っ白で、側面とフロントに、少女たちのベレー帽の刺繍と同じ、七つの輪を組み合わせた紋を
車体全長は四・三メートルと、二十一世紀のありふれたミニバンにも及ばず、車体幅は二・二メートルという普通乗用車サイズの、いわば“
車体の左寄りに操縦席があり、声を張り上げる少女は、操縦席のすぐ後ろの車体上に仮設した金属パイプの座椅子から身を乗り出して、威勢よく腕を振り回している。これが車長席兼装填手席というわけだ。彼女も、こよみたちと同じ白ベレーに白セーラー服である。
こよみは、ちら、と車上の元気少女に流し目をよこすと、ふんっ、とばかりに唇を曲げた。あきれ果てた嫌悪の表情が、その心中を無言で語る。
“また、あのバカ娘が!”と。
しかし
ガギギと履帯をきしませてつんのめるように止まると、二門の無反動砲がぐぐぐと持ち上がり、仰角をとった。
「だめ、マメタンの後ろ! やめなさい、はてるかさん!」
こよみの叫びをてんで無視して、“はてるか”と呼ばれた元気少女の声が返る。
「
二本の百六ミリ砲のすぐ下で照準していた射手の少女が素早く動く。
どオん! と景気よく大気を震わせて、発砲。
彼女たちが“マメタン”と呼ぶ六〇式自走無反動砲の二つの砲口から、発射衝撃の相互干渉を避けるためコンマ数秒の時間差をとって、太くて黒い光の砲弾が真一文字に視界を裂いた。
外れた。
骨格恐竜の頭頂をかすめて虚しく大空へ消えた光の弾丸を、予期せぬサヨナラ場外ホームランを奪われた投手さながらに唖然と見送る久と、こよみ。
唖然と見送ったのは、“はてるか”という名前の元気少女も同じだった。白ベレー帽を脱いで握り締め、地団太を踏む。
「ああっ……
汗に濡れた黒髪はショートカット。肌も浅黒く日焼けしている。太陽のぎらつく南の海が似合いそうな容貌だ。野性味がにじむ眼差しを、ふいと、屑籠の中の久に向ける。じっと視線を固定した。ありゃ? 誰それ? と同時に、普通人だぜこりゃ、ここにいちゃまずいよ、といった感情が錯綜する刹那……
「バカ馬鹿ばかっ!」こよみが連呼で罵倒した。「後ろ見なさい、マメタンの後ろ!」
怒鳴られて振り向いた元気少女、はてるかは動転した。悲惨な状況に頭を抱える。
「
泣いても遅い。無反動砲は一般的な大砲とは違って、発射火薬の爆発的な燃焼ガスを砲尾から後方へ吐き出す仕組みになっている。はてるかは初歩的すぎる後方確認を怠っていた。
彼女が見たのは、
一方で、無事な少女たちは金髪少女のくるみに手を貸して、地に落ちて故障した
骨格恐竜が全身にパワーを漲らせて、ばりばりと空電を散らし、少女たちの“制動”の呪縛を撥ね飛ばす。首が、腕が動いて、その無数の牙が、こよみと久に襲い掛かる寸前……
骨格恐竜の上半身が飛散した。
バム! と暴力的な炸裂音で骨が割れ、半透明の肉が空中で宝石のミンチと化して飛び散る。
炸裂音に重なってズダン! ……と響いた発砲音は、マメタンの後方、美術館の前庭の東端からだ。
久が目をやると……
“地獄門”が開いていた。
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