008●第1章●東京、時の彼方へ…2024年6月16日(日)昼⑤:拒否される善意

008●第1章●東京、時の彼方へ…2024年6月16日(日)昼⑤:拒否される善意




 ここは戦場だ。

 このとき久の脳内から、逃げる、という選択肢が吹き飛んだ。

 みんな女の子じゃないか、助けてやらなきゃ。

 それは“自分が男だから”という単純で身勝手な理屈だったけれど……。

 しかも、久の眼前で戦う少女たちは、男性を惹きつける不思議な魅力を漂わせていた。ひとつは香りだ。硝煙と土埃の修羅場なのに、彼女たちの周りには、春の野に咲き乱れる花々や南国の果実を思わせる、優雅で爽やかな香りが舞っていた。

 そして体形スタイル。背の高さはまちまちだが、だれもが、バスト・ウエスト・ヒップの“メリハリが効いた”、つまりナイスバディなシルエットだ。年頃の男の子なら、気になって目を離せなくなるだろう。久もそうだった。

 もっとも、かぐわしい芳香にも魅力的な体形にも、実は然るべき理由が隠されていたのだが、今の久には想像もつかない。

 彼女たちの、どこか現実離れした美しさに幻惑されながら、久は心の中で自分に命令していた。

 ……逃げちゃいけない! 何とかしてあげないと。

 そんな久の決意を待ってました……とばかりに、さらなる咆哮が樹々を揺るがせた。

 木立の向こう、噴水広場の右から、新たな骨格恐竜が姿を現したのだ。

「お姉さま! 敵が増えました。もう一匹います!」

 チケットブースの屋根に立つ少女の声に、こよみは顔色ひとつ変えず、片手を上げて命じた。

「目標を“制動”しつつ、百式機関短銃モモキで各個射撃、時間を稼いで!」

「はい、お姉さま!」とその場の全員が答える。

 少女たちが百式機関短銃を“モモキ”と略して呼んでいることが、ここで久にもわかった。

 百式機関短銃モモキを構える少女の一人に、こよみはさらに命じた。

「くるみさん、わたくしと代わって。今度はわたくしが撃ちます」

「はい、お姉さま!」

  “くるみ”という名の少女は、即座に、こよみと入れ替わって、対戦車ライフルの前脚を鉄柵に固定する役割を担う。このとき、きらり、と金色こんじきの輝きが久の視界を流れた。赤みがかった金髪。

 くるみは背が低く、中学一年か、ひょっとすると小学校の高学年かと思うほどあどけない面立ちだが、そのホワイトベレーからあふれて肩の上で柔らかくカールした金髪のきらめきと、そして碧みがかった瞳の輝きが、久を絶句させた。

 まるで、秋葉原の有名店で鍵付きのウインドゥに君臨するレア物の美少女フィギュアが、そのまま街を歩き出したような……

 しかし妖精の時間は一瞬で過ぎ去った。再び百式機関短銃モモキの銃撃が激しく高まり、久は我に返った。チケットブースの裏に身を隠した少女たちが、三点バーストで激しく発砲する。射撃が集中して、骨格恐竜は向きを変えた。骨格恐竜の注意をチケットブースに引き付け、九七式自動砲クンナジの二十ミリ光弾こうだんを横腹に見舞うつもりだ。

 こよみが床尾を右肩に当て、片膝を地面についてふんばった。撃発機の引鉄ひきがねに指をかける。照準は銃身の左に取り付けたスコープで行なう。

 目標の怪獣までの距離が近いので、スコープの拡大倍率は“一”に落としてある。

 スコープの視野を満たす、怪獣の上半身。その横腹、腋の下から首へ貫通するように重光子の光弾を撃ち込んで爆縮させれば、頭部もろとも上半身を消し去ることができるはずだ。

 左目を閉じ、右目を接眼鏡に当てて狙いをつけると、発砲の苦痛に備えて、歯を食いしばる。額の汗が飛び散る。

 時を同じくして、久はゴミ箱の陰から立ち上がっていた。

 撃てば、きっとこよみの肩も脱臼する。

 もうこれ以上、目の前で傷つき苦しむ女の子は見たくない……という一心で。

 クンナジの砲口の前に顔を出して言った。

「手伝うよ! 僕が代わる。よかったら僕が……」

「きゃっ!」

 悲鳴を上げて、こよみは尻尾を踏まれた野良猫みたいに飛び上がった。

 照準スコープの視界いっぱいに、なにやら平和ボケした男子の顔が広がったからだ。

 二十ミリ光弾の本体は特殊加工した重光子ヘヴィフォトンだ。それは“あの世”の魔界から来た怪物に対して効果のある弾丸であって、“この世”の生身の人間に対しては、激しい突風程度の衝撃にとどまる。

 ただしその発射火薬は弱装とはいえ実物のカートリッジなので、このとき引鉄を絞っていたら、砲口からゼロ距離にある久の顔面は発射炎の直撃でこんがりローストされただろう。

 こよみと目が合った。その眼光は、まるで獲物に食らいつく鷹だ。

「なんてこと、普通人ふつうじんじゃないの!」

 吐き捨てるように叫ぶ、こよみ。その身のこなしは、旋風つむじかぜよりも早かった。

 あっ、と思った時には、彼女は百式機関短銃モモキを構えて目の前に立っており、骨格恐竜に銃口を向けて警戒しながら、久に顔を向けて叱りつけていた。

「ばか! 逃げなさい! 大ケガするわよ!」

 しかし事態の緊急性よりも、この少女が超人的な瞬発力で背丈よりも高い鉄柵を飛び越えてきたこと、それが、久を叱りつけるという、ただそれだけのためだったことに、久はわけもなく感激してしまった。

 なんだか、嬉しい。心のどこかで、願っていたような……

 それはまた、魂が吸い込まれる情景だった。

 背景の骨格恐竜、構えられた機関銃、こちらを向く純白のセーラー服の少女、ホワイトベレーからこぼれる尾提髪おさげがみ、額の真ん中で前髪をきちんと分けたこの少女の、冷たい緊張と、仄かに情感を潜めた眼差し。

 久と少女の間には、久が手に持つスマホがあった。

 久をこの場所へ連れてきた謎の写真と寸分の狂いもなく一致する情景が、今、液晶画面の中に揺れていた。撮影モードだった。専用の赤いシャッターボタンが、画面下方に現れて瞬いていた。

 運命に定められるまま、指が動く。

 パシャッ、とシャッター音が響いた。撮影された静止画像がスマホの画面に固着フィックスされる。

 こよみの唇がひきつる。

「何それ、ひみつカメラ? ふざけないで、こんなときに!」

 叩きつけられた怒声に、こよみの力になろうと進み出た久の騎士道精神は砕け散った。

 立場を失い、どぎまぎして口走る。

「あの、僕は……何か、お手伝いできると思って……東風ひがしかぜさん。」

「ひがしかぜ、じゃなくて、東風こちです。早く逃げるのよ、そっちへ!」

 とっとと失せろとばかりに、機関銃の銃床で追い払う仕草をされ、つれない言葉と冷たい目線だけが投げ返される。

 登場したとたん、瞬殺で全否定される自分。

 穴があれば入りたい。これは本物の戦争なのかコスプレなのか、それともTV番組のドッキリ企画なのか、誰でもいいから教えてほしい!

 状況が把握できず、空気が読めない自分にうろたえて、久は逃げ場を探すかのように、陳腐な常套句を口走っていた。

「教えてよ。これって冗談?……それとも、マジ?」

 まじ? 今なんて言ったの? とばかりに、なじるような視線を返す東風こよみ。

 その気迫に押し潰され、久はおずおずと言い訳めいた言葉を繰り返した。

「だって……あんな怪物を相手に、本気で戦ってる!?」

 少女こよみが、えっ、と驚くのがわかった。森を歩いていて珍獣と出食わしたような顔つきだが、洒落抜きで、まじまじと久を見つめる。

「見えるの? あなた、あの魔物が見えるというの!」

 久はうなずいた。

「もちろん、だから……」

 こよみは動転して訊き返す。

「だから何なのよ! あなたはどこのだれ?」

 言葉の弾丸を猛烈に撃ち込まれ、久も動転した。混乱し、口走る。

「いえ、だから、その、マジ……なんっすよね? きみたち」

「ええ魔自まじよ」

 真顔で、あっさりとそう答えた……いや、うっかりそう答えてしまった少女の眼がさらに大きく、驚きに見開いた。うそ、びっくりだわ、そんなばかな、とばかりに久に詰め寄る。

「あなた、魔自を知ってるの!?」

 唐突で意味不明の質問だった。

 は? ……と、さらに面食らった久に、手帳型ケースを開いてスマホを見る余裕はなかったが、その画面には、今朝から待ち受け画面をジャックしていた“謎の画像”と全く同じ写真が静止しており、シャッターを押した日付と時刻が表示されていた。このように……


 西暦1964年〈“招和”39年〉6月16日(火曜)〈大安〉、13時13分13秒。







※作者注:久が衝突した金網のゴミ箱は実在し、映画『泥だらけの純情』(1963)で、ヒロインのデート場面の背景に映り込んでいます。


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