2話 嘔吐

ざわざわと人々の声がロビーに反響する。

入口の自動ドアが開くたびに幾種類かの蝉の声が混じり、ますますやかましくなった。

「次の患者様ー!205番でお待ちの方!」

「ねえ、この患者さん皮膚科に回しといて」

確かに、みんな鬼の形相で駆け回っている。

患者も医師も看護師も、どこか落ち着かない目をしている。

文弥は車椅子の上で見回す。

雪の精。どこかに座っているのだろうか。

満員のソファに、老若男女。五十人ほどは入るであろうロビーに隙間なく人が収まっている。

「環、雪の精ってどんなんだった?」

「ええと、確か……白い髪の……」

床にじりじりと昼の日が照り付ける。

にわかに景色が乱れ、溶けてしまいそうな倦怠感が文弥を包んでいった。

「文弥、気分が悪くなったのか?」

環の声が聞こえた。

「すこし」

と言った自分の声が聞こえなかった文弥はすぐに付け足す。

「だけど、やばいかも」

「分かった。病室に戻ろう」

環はなるべく車椅子が揺れないように、前進させつつ後方へとカーブを描き脇を締める。

――ごめん。文弥。

かすかにそう聞こえた。

しかし答える余裕もなく、嘔気がこみ上げる。

「たまき……!ごめ……」

這い上がる液が喉を焼く。せめて車椅子には付かないように、床に吐いた。

「げほっ」

めまいが空間を歪める。

後処理の事を考える余裕はなかった。環が医者を呼び、ハンドルから手を放す。

薬品の匂いに医者の気配を感じ、少しの安堵と共に目を閉じた。

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