第30話 認知を歪められた少女。最終決戦。
昼休み、葛切さんがいないことに気が付いて、学校中を探したけれど、どこにもいなかった。
もしかして、と普段施錠されている屋上を覗いてみたら、扉が開いていた。南京錠が外れた状態でホールに引っ掛けられている。
扉を押しあけると、葛切さんがフェンスの横で空を見上げていた。
「葛切さん、お父さんに似ているね」
「上手でしょ、ピッキング」
葛切さんが肩を竦めてみせる。
僕も隣で空を見上げた。
青い、雲ひとつない空だ。
「校則違反だよ」
「かすみくん、規則は破るためにあるんだよ」
「守る努力は怠るべきじゃないよ。…なにを見てるの?」
「空を」
「中庭でも見られるのに?」
「やっちゃダメって言われると、やりたくなるんだ」
葛切さんが大きく伸びをする。
「…葛切さん、緊張してる?」
「…うん、そうなのかな。どんな人生がその人にとって最良のものかは、その人にしか分からないから。少し、困ってるよ。どんな悪人にも、ありのままでいる権利がある。盲目でいるのが、一番幸せな人もいる。でも、その人がそのままでいると、べつの人が不幸になっちゃうんだ」
「そっか」
「…でも、かすみくんが巻き込まれてくれるんだよね? 」
僕は葛切さんの背中をポンと叩いた。
「背筋を張って、前を見て。僕は、葛切さんを、信じてる」
腰に手を当てて、胸を張って、
「まったくもう。かすみくんは、わたしの最高のパートナーなんだから」
いたずらっ子のような表情で葛切さんが笑う。
僕も笑った。
「それじゃあまあ、悪役令嬢らしく、いっちょイタズラをしますか」
✳︎
桃井ゆりは焦っていた。
神さまとのコンタクトが急に取れなくなった。
こんなこと、今まで一度もなかったのに。
神さまがいなくなったら、なにをしたらいいのか分からない。
幼い頃のゆりはなんでも持っていた。それこそ、さくらの持っていないものだって。ぜんぶ。
なのに、妹のさくらがある時期から、こそこそと怪しくなった。だから、暴いてやった。
『おねえちゃん。あたしねぇ、主人公になるのよぉ』
勝ち誇ったように言うものだから、奪ってやろうと思った。
いや、そんな意識すらなかったかもしれない。
姉のゆりが持っていないものを、妹が持っていいはずがない。
それはだれが言わなくても当然のことであり、すべての説明になるはずのことだった。
ぜんぶ、さくらが勝ち誇るのがわるい。
神はさくら以外を預言者として扱わない。そう言った。
だから、さくらに少し強く頼み込んだら、それ以来、二人とも預言者として扱われるようになった。さくらがゆりと同じ立場なのは気に食わなかったけれど、神が頷かないのだから仕方がない。
だからさくらには、ゆりが主人公として成功するためサポートすることを約束させた。
男子たちと仲良くなるのはわるい気がしなかった。
女子に嫉妬の目を向けられるのもいい気分だった。
海堂グループの御曹司である海堂悠木と近づけたのは、それこそいろんな女の子が夢見る恋愛小説の中の出来事のようで、ふわふわとした気分になった。
それらが意識の表層に上がることはなかったけれど。
それなのに!
もう、海堂とさくらしか手元に残っていない。
それだけじゃ、全然足りないのに!
原因は、葛切かのだった。
桃井ゆりの邪魔をしてばかりのあの忌々しい女。
最初はサポート役であるはずの佐藤かすみを取られたことだった。佐藤自体はどうでもよかったが、ジャマをされたのは許しがたかった。
さくらが放っておけ、っていうから意見を聞いてやったらこのザマだ。
まったく、あの妹にはロクなところがない。
桃井ゆりはため息をつく。
葛切がにやにや笑いながら、こっちを見ている。
そう思うと、叫び出したいほど、腹が立つ。
桃井ゆりにはこの世界の神の加護がある。
負けるはずがない。
主人公は、いつだって悪役を叩き潰す。
だれよりも、幸せな未来を掴みとるために。
「みてなさい、葛切かの」
最終決戦を、するのだ。
✳︎
その日は、ついにやってきた。
仕掛けたのは、桃井さんだった。
昼休みを利用して、食堂で過ごしていた葛切さんと僕を、海堂くんとやってきた桃井さんが呼び止める。以前同様、衆人は何十人だろうか、多くいる。
古典的な悪役令嬢もののように、あるいは犯人を追い詰める探偵のように。みんなの前で断罪して、社会的に殺す。そのつもりなのだろう。
彼女の後ろには、数人の取り巻きもいた。中には、桃井さんを「更年期だ」と嘲笑っていた男子も。反対に『攻略対象者』は一人もいない。その勢力はすでに剥がされたからだろう。
対する僕らは、たった二人だ。
「葛切、どうしてひどいことをするんだ?」
取り巻きの一人が口火を切った。
桃井さんも葛切さんをかわいらしく睨みつける。ぷん、って擬音がつきそうだ。
通る声は食堂の端にまで届く。
見せつける気だ。
数の暴力で、魔女狩りのように、だれが悪かを知らしめる気だ。
葛切さんを、守らなくちゃ。
「ひどいことって?」
葛切もたんと、立ち上がる。
僕らは、対峙した。
「言われなきゃわからないのか? やっぱバカだな佐藤!」
葛切さんもまた、尋ねる。
「そうだね。具体的に言われなきゃ、わかんない」
「わかんないような人間は、この学校にいるべきじゃない」
「そうだ、謝れよ。葛切」
一方的な言いがかりに辺りがざわつき始めた。
おいおい。桃井、またかよ。
そんな声も聞こえてくる。
もちろん、二人にも聞こえているはずだ。
「寄ってたかってそんな風に言われるなんて」
葛切さんがカラカラ笑う。
桃井さんは頬をふくらませたが、葛切さんは暖簾に腕押しだ。
飄々とした態度の葛切さんは明らかに桃井さんの苛立ちに一役買っている。
「そうだよ! さっきからどうして桃井さんはなにも言わないんだ。桃井さんは本当にひどいことをされたの?」
僕の不信の言葉に、取り巻き連中が言い返す。
「お前らと違って桃井は繊細なんだよ」
「そうだよ。話させるわけないだろ!」
誰かが声を荒げる。
それを受けて、まるで人生でいちばんのショックを受けたかのように葛切さんが固まり、その両目からほろほろと涙が溢れ、こぼれ落ちた。
「そんな。…ただ、直接話がしたかっただけなのに。ひどい」
男子が一斉に固まる。
桃井さんもかわいらしいが、葛切さんは世にも稀な絶世の美女なのだ。美女の涙に嗜虐心をそそられる人間もいるだろうが、彼らはあまりの迫力に物怖じしたらしい。
誰かが、ボソボソと、
「分かった、話せよ」
と場を譲った。
それを受けて、
「ありがとう」
と微笑んだ葛切さんは、明らかにこの場を掌握していた。
もはや彼らは、桃井さんの味方ではない。
それを理解させるかのように、そしてまるでさっきまでの涙が嘘だったかのように、桃井さんに微笑んで向き直る。
葛切さんに見とれている男子たちはそれに突っ込む気力を持ち合わせていない。
「それで? そう、わたしは桃井と話がしたい。桃井の言葉が聞きたい。聞かせて、桃井? 桃井は、なにをわたしに怒っているの?」
「ゆり。葛切にもなにか理由があったのかもしれない。話を聞いてやったら?」
男子の一人が声を潜めて、桃井さんに言う。
それを受けて桃井さんが形勢の不利を感じ取ったのだろう。発言した。
「葛切さん、ふざけないでよ。…あたし、葛切さんになにかしたかなあ。どうして、あたしを孤立させるようなことをするの?」
悲しそうな顔をするが、泣かない。
泣けないからだろう。さっき、あんなに綺麗に泣かれてしまった。
同じ手、しかもクオリティが劣る手は、僕でも使いたくない。
「やだなあ。そんなこと、してないよ。それに、周りにはそんなにも人がいるじゃない」
「だって、みんな攻略対象者葛切さんと話してからおかしくなったんだよ。なにか言ったんでしょ!」
「そんなことはしていない。桃井から離れていったんだとしたら、それは彼らの意思だよ」
「な、…葛切さんがウソつきだと思わなかった」
ここで葛切さんが反撃に転じた。
「ねえ、桃井。なんどでも言うけど、わたしはなにもしていない」
す、と声を落とす。
「こんなに人がいるところで、いちゃもんをつけて喚き続けるのは、君に、不利だよ。それに人を娼婦呼ばわりした君に、ウソつきだなんて言われる筋合いはないなあ」
これで桃井さんは完全に馬脚を現した。
「っ! うるさい!」
金切り声を上げる。
「…それに、君は本当に自分の周りにいる人間を見た方がいい。桃井の周りにはいったい、だれがいる?」
「な…、それは。葛切さんのせいで…」
桃井さんが、拳を握りしめる。
「海堂くんがいるもん!」
そうだよね、と隣の海堂くんに確認するように見上げた。
「その通りだ」
たった一人、隣に残った海堂くん。
その、だんまりを決め込んでいた海堂くんが、いつかのように軽い調子で答える。
というか、なにしれっと洲崎くん、桃井さんたちの後ろに身を連ねているんだろう。まさかそっち側なのか。僕と目が合って、まずいという風に、桃井さんの視界に入らないところであらぬ方を見つめながら、ボリボリと頭を掻いている。
「…幸せになるために競争を初めてしまったら、幸せであるために、ずっと勝ち続ける羽目に陥る。人は永遠に勝ち続けることはできない。だから、桃井。君は、今敗北しなくても、いずれ敗北することが決まっているんだよ」
桃井さんはここが小説の世界だと思っている。
設定を知っているから。
「わたしが引導を渡してあげる。桃井」
そのアドヴァンテージを利用して、先手を打ってきた。
彼女はそう思っているはずだ。
「子供は、喧嘩しながら成長するものだよ。でも、君はやりすぎた。桃井ゆり。人を不幸にして手に入れる幸せは、ひどく脆いってことを理解するべきだと、わたしは思う」
その実、彼女はなにも見ていなかった。
それは、べつに悪い事じゃない。でも、その陰で不幸になってる人がいる。それは、きっと正しくないことだ。他の人にはそうじゃなくても、僕にとっては正しくあって欲しくないことだ。
「なに言ってるのよ。あたしは、困っている人たちを助けてきた。親から虐待された助くんも、復讐を考えて鬼みたいになってた清くんも、ぜんぶあたしに救われたんじゃない」
「そうかもね」
葛切さんが薄くほほ笑んだ。
その笑顔は、きっと、なにを言ってもどうせ通じないんだろう、と面倒くさそうにも見える。
「それは、たしかにいいことだ。でも、君は理解していた? 自分がだれかを虐げて、だれかに復讐を誓われていたことを」
「あたし、そんなことしてない!」
「本当にそう言い切れる? 無意識にでも人を傷つけてないって?」
葛切さんが、まるで救いをもたらすかのように桃井さんにそっと手を伸ばした。
「桃井。君の世界の謎解きを始めようよ」
「なにそれ。謎解きって。おかしな本でも読みすぎてんじゃないの」
桃井さんはあざ笑うが、葛切さんは意に介さない。
それどころか、
「今のままじゃ不幸になるよ」
その一言で、桃井さんを黙らせることに成功した。桃井さんの弱みを把握している。
そして、矛先を海堂くんに変える。
「海堂。メッセージがある」
「なんだ」
海堂くんが応じる。
「もうやめろってさ」
その意味不明なメッセージを、けれど海堂くんは正確に理解したようだった。
「どうしてお前が?」
「『お前が俺のためにそんなことをするのを見たくない』」
「別に。俺がなにをしようが、それは俺のためだ。他の誰かのためじゃない」
葛切さんは肩を竦めた。
「さあ、だれかさんはそうは思ってないってことだよ」
「…本当にあいつがそう言ったのか」
「そうだよ」
「…」
海堂くんは逡巡する。
「ね、ねえ。どういうこと?」
桃井さんが焦ったように、海堂くんの腕に手をかける。
海堂くんは、その手を振り払った。
思わず、という感じに。
そして、それが決め手となったようだった。
「知ってるか。野中ってさる王家の傍流なんだぜ。頭も運動神経も俺よりいい」
海堂くんの目が冷たい。
恋人を見る目じゃない。あれは、敵を見る目だ。
「の、野中くん…?」
「海堂の息子って目立っていたのは、俺の方だったけどな」
「の、野中くんがどうかしたの?」
「理解していたか。野中は、俺の友達なんだ。幼い頃からずっと、な」
海堂くんが冷徹に言い切った。
「俺がお前を近くに置いておいたのは、野中がお前を好きだったからだ。お前は、野中を殺そうとした。そんな危険分子を野放しにしておくと思ったか?」
「だって…、あたしのこと、好きって」
「高めるだけ高めて、そこから落ちた方が、再起不能に持ち込めるからな。よかったな、葛切がここにいて」
「え、…どういうこと?」
「俺は、お前がきらいだ」
それきり海堂くんは、桃井さんと目を合わせることすらやめた。
それでもなお、その体に縋り付いて揺さぶる桃井さんに、
「ねえ、桃井」
葛切さんは、
「君の神は、もういない。わたしが殺したから。それに、君は神に対して思い違いをしているよ」
諭すように語りかける。
「どうして人々が神を生み出したと思う? 神々は決して人々にとって都合のいい存在なんかじゃない。ゼウスみたいな神のせいで何人もが命を落とす。菅原道真は人を呪う。世界でもっとも人を殺したのはヤハウェだ」
「だからなによ!」
耐えかねたように桃井さんが叫ぶ。
それでも葛切さんを睨みつける辺り、やっぱり桃井さんは気が強い。
「そんな神がいるのは、人々が避けられない運命がある事を知って、それをちゃんと受け止めてきたからだよ。そして、それでも、人はいつだって探している。太古の昔から。運命を知りながらも、生きる道を。可能な限り抗う術を。運命っていうのはそういうものだよ。自分の都合のいいように捻じ曲げるためのものじゃない。神っていうのは君のアドヴァイサーじゃない。もっと、怖いものだよ」
「うるさい、うるさい!」
桃井さんが身を守るように、頭を抱えた。
「もがいている人間なんて醜いだけじゃない! 楽して何が悪いのよ。神様が自分に味方してくれてるっていうのに」
桃井さんが叫ぶ。
人の弱さのすべてを象徴したような叫びだった。
「葛藤のできる人間の強さやたくましさは、美しい。わたしはそう思うよ、桃井」
葛切さんが桃井に指をさす。
僕は、思う。
葛切さんのこういうたくましさが、しなやかさが、とても好きだ。
僕を見つけてくれたのが、葛切さんで、よかった。
「だから」
これはきっと、葛切さんの、世界への宣戦布告だ。
「わたしは認めない。あなたの在りようを。運命に操られ、神様に弄ばれるだけのあなたを、生きているとは言えない」
それはきっと桃井さんだけじゃない。数多の人間に向けられた布告だった。
「今の桃井は、自分の欲に囚われて、鏡の中の自分に向かって話しかけ続けているのと同じだ」
「あ…、いや」
「みてみなよ。あなたの周りには、もう、誰もいない」
この場所にいるだれもが、桃井さんをじっと見つめていた。
「うそ、うそ。そんなの、うそ」
桃井さんの目から涙がこぼれ落ちた。
きょろきょろと辺りを見回す。まるで、なにも信じられないというように。
唇がぶるぶると震えている。
「さ、さくら…!」
その言葉を最後に、食堂から駆け出していった。
彼女の姿が完全に見えなくなった時、僕らと海堂くん、それから洲崎くんを除いて、衆人が消えた。
「なんだ、これ」
「ホログラム…?」
海堂くんが怪訝そうにつぶやく。
「そ、君の会社のものだよ」
葛切さんがやれやれと伸びをする。
「どうして…?」
「彼女にだって、未来がある。だから、ね」
とはいえ当分、人が怖いんじゃないかなあ、と人の悪い笑みを浮かべた。
「お優しいことで」
「褒めてくれるの? ありがとう」
「ちげーよ」
「ね、ねえ。海堂くん」
海堂くんに話しかける。
彼は黙って僕を見た。
「さ、さくらちゃんを、助けてあげて」
「…気が向いたらな」
海堂くんがやってられない、と食堂から出ていった。
洲崎くんが海堂くんが追いかける。去り際、葛切さんに言葉を残した。
「葛切、桃井のこと結構好きなんだろ」
チェシャ猫のようにニヤニヤ笑いを残して消えた。
「嫌いじゃないよ。彼女の強欲さは彼女の大きな糧となる。きっとね。それに、子供はいつだって世界の厳しさを知って、大人になっていくんだ」
だから、きっと大丈夫。
葛切さんの答えは、果たして洲崎くんに届いていたのだろうか。
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