第29話 人形の歌
エレベーターの扉が閉まって、葛切さんはそれから涙を一筋流した。
「…葛切さん」
「あの子は、わたしの友達だったんだ」
「そう」
お似合いだもんね、と言いかけて、僕は自分の浅ましさに口を閉ざした。自分がイヤになる。
「僕らの大切な、友達だね」
だから、それだけ言う。
これだけは、僕の本心だった。
「うん」
葛切さんが微笑んだ。
下降していたエレベーターが到着した。
扉が開く。
隣からハッと息を飲む音が聞こえた。
エレベーターの向こう側は、異様な光景が広がっていた。
研究室と思わしき部屋。
その両壁に等身大の人形が壁一面に掛けられていたのだ。
そのすべてが葛切さんの顔をしている。
その手足も、眉も、目鼻立ちも、その長い髪さえも、どこにも異なることがない。瞳の色は、いずれも夜のような、黒に混じる青。
人形はいずれも弛緩して、壁に吊るされている。
違いは、動いているか、いないか、それだけだ。
「…どうせこんなことだろうと思った」
葛切さんがため息まじりに言った。
進み出てまじまじと人形を見上げる。
「完璧すぎるもんなあ。この顔」
それからニヤリと笑ってみせる。
「これで、すべての謎が解けたね、かすみくん。わたしは別に異世界に来たわけじゃなかったわけだ。そして、わたしの体は人形なんだよ」
「葛切さん」
まさか、葛切さんもAIなのだろうか。
平然として見える彼女と比べて、はるかに僕はショックを受けていた。
「なんでそんなに平然としているの…」
「なんでって、想定内だし。自分が機械であることは、そこまで儚むことなのかな。わたしには、分からない」
「それはっ…」
「でもまあ、申し訳ないとは思うよ」
葛切さんがそっと僕と目を合わせた。
さっきかずやにそうしていたように。でもずっと距離を保って。
「ほんと、まあ。こんなことに巻き込んじゃってごめんね?」
僕にも別れを告げるつもりなんだろうか。
それだけは、イヤだった。
僕は、彼女の元まで歩み寄り、その手首を掴んだ。
細い、壁に飾られているのと同じように細い、手首だった。
そして、温かい。
「イヤじゃない! 葛切さんにならいくら巻き込まれたっていい!」
悲しかった。
「僕は、巻き込まれたくて葛切さんのそばにいるんだ! 謝らないでよ!」
謝罪一つで突き放されようとしているみたいで。
僕はずっと葛切さんのそばに自分の意思でいた。
それが自分の望みで、それが何よりの望みだったからだ。
正直、葛切さんと話すすべての人にも、時にはモノにさえ嫉妬したし、依存かと悩んだし、最後は離れていくんだと覚悟している。
ぜんぶ、ぜんぶ、覚悟して、僕は葛切さんのそばにいる。
それを謝罪の一つなんかで、帳消しになると思われるのが、思いを否定されているみたいで。
「バカに、するなよ!」
悲しい。
「なんで君がわたしのために怒っているの?」
目の前の瞳が最大限に見開かれて、驚いている。
室内の灯を浴びて、青みを帯びた虹彩が光を反射させた。怒りながら、僕はそれに見とれた。
「葛切さんの、ためじゃない」
声がかすれた。
「ほんと、かすみくんはよく泣くなあ」
葛切さんは僕の拘束をそっと振り解くと、僕の頬に手を当てた。
「ほんと、人に同調しやすいんだから」
そっと頬を拭われて、初めて自分が涙を流していたことに気がついた。
「ずっと疑問だったの。手がね、ちがうの。絵が思うように描けなくて、どうしてかなって考えていた。それはわたしが機械だったからなんだね」
それから頭を撫でられる。
もう片方の手で、そっと背中を撫でられて、余計にあたたかいものが込み上げてくるのを感じた。
「わたしのために怒ってくれて、ありがとう」
「…うん」
それから僕は、僕だけがひとしきり泣いた。
「機械ではございません」
葛切さんと同じ声が別の方向から聞こえてきた。
声のした方を向くと、葛切さんがもう一人いた。
ただし、こちらは手術着に似た簡易な服を着ている。
壁に吊るされていないだけで、人形のうちの一つであるのは確かだ。
「あなたはわたしと同じ存在?」
「体だけは。けれど、葛切かの。あなたはAIではありません」
そう言って、人形がお辞儀をする。
「私はここの管理者のロボットです。物部会長及び後続のAIよりここを任されております。どうぞお見知り置きを」
「機械じゃないってどういうこと?」
僕は人形につめる。
「じゃあ、やっぱり葛切さんは生きて…」
「違うと思うよ、かすみくん」
やっぱり葛切さんは冷静だった。
「わたしの前の姿はこれじゃなかった。つまり体は確実に機械なんだよ」
「その通りです」
人形が頷く。
「どうぞついていらっしゃってください」
人形が確かな足取りで部屋の奥に行く。
葛切さんがついて行こうとするのを思わず、手を引いて止める。
「かすみくん」
「でも」
「いいんだよ、行こう」
これ以上葛切さんを傷つけるようなものがあって欲しくなかった。
けれど、逆に手を引かれて、しぶしぶ歩を進める。
「葛切かの。あなたは度々意識を失うことはありませんか?」
唐突な質問。
「そうだけど。その理由を、これから見せてくれるのかな?」
「その通りです」
「どうしてか聞いても?」
「ご覧になったらすぐに分かるかと思います。この国は地震の多い国ですから」
部屋の隅に、生地の厚い赤い布がかけられた大きな物体がある。
人形はその布を取り払って見せた。
「あなたの脳です」
人形が無感動に言った。
「体がうまく動かないのも、本来の体から切り離されて保管されているせいでもありますが、それよりも物理的に距離が離れているせいである可能性が高いです。あなたの本体はずっと、ここにありましたから」
そこには、液体の満たされた透明なガラスの筒の中に、いろんなチューブに繋がれて浮遊する脳があった。
その光景は、綺麗だとか汚いだとか、そういうありきたりな感情を超えて、ひどくシュールだった。
なるほど、脳だ。
これが、葛切さん。
意味が、わからない。
「なるほどねえ。これがわたしか」
葛切さんが疲れ果てたように天を仰いで嘆息する。
それから自分の頭にデコピンをしてみせた。コツンと音がした。
「なんか軽い気はしてたよ」
病院で眠りこけて都合のいい夢を見続けている病人はいなくても、脳だけはここで眠り続けていたわけだ。
「疲れたねえ、かすみくん」
ほんとその通りだ。
今晩はいろんなことがありすぎて、急に疲れを感じた。
「まったく、こんなのヘンテコな悪夢みたいだ」
まったくもって同意。
「あの野郎。後で締めてやる」
「物部アオイのAIでしたら、今から十分ほど前に機能を停止しました」
冷静に人形に口を挟まれて、僕らは余計に脱力した。
機械だった方が良かったのか、それとも脳単身でいいのか悪いのか、全くもって分からなくなってきた。
きっと、今晩中、ずっと動き続けていたからだろう。そういえば昼間はよく分からない喧嘩に巻き込まれたし、晩にはさくらちゃんの辛い話も聞いた。
疲れない方がどうにかしているのだ。
人間は眠らなきゃいけない。
疲れたら休めばいい。
眠って、それからまた動き始めるのだ。
それが人間なんだから。
…もう!
✳︎
小林くんの例の小屋で週末、僕らは揃って犬の世話をした。
相変わらずボサボサの毛並みで、僕らを見ると吼えたてる犬ばっかりだけど、それでも一緒に過ごすと愛着が湧くんだから面白いものだ。
あの後、朝日が昇る時間に「ご苦労さん」という言葉と共に建物を出た僕らは、家に戻り、まるで死体のように眠りこけた。どうやら社内を家探ししていたことは気付かれておらず、そのまま契約は続行になったらしい。
かずやの死体は近くの公園から見つかった。
草原に昼寝をするように寝転がっていたんだそうだ。
地下室のロボットが回収したということだから、きっと、ぞんざいには扱われないだろう。
そうであってほしいと願うのは、やっぱり僕が彼を生きた人間として認識したからだろう。
次の日、午後になってようやく目が覚めて、隣に葛切さんが寝ているのを見た時は、寝ぼけていて記憶が曖昧だったから、一瞬、心臓が止まるかと思った。
その後になっても、葛切さんは消えることなく、学校に行けば会うことができた。
まるで、なにもなかったかのように。
「きゃあ」
アンニャちゃんがホースを持って水をばら撒きながら、犬を追いかけ回して、なにごとかを日本語ではない言語で叫んでいる。
「おいコラ。追いかけ回すな!」
小林くんが悲鳴をあげていて、洲崎くんが囃し立てる。
僕はそれを眺めながらパイプ椅子に座ってスイカを食べた。
なんだか楽しいなと思った。
そう、僕はいま、とても生きている。
夜になって、誰からともなく、小屋の屋上で天体観測をしようということになった。
そこそこの田舎にあるこの場所では、空の星が観測できるだろう、と洲崎くんが発案した。
だれもそんなことした事がなかったから、おそらくこういう事なんだろう、と大きなブランケット一枚ひいて、その上でみんなで適当に寝転びながら、空を観測する。
星に今まで興味を抱いたことはなかったけれど、こうして見上げてみると、それはとても美しい。
なんとなく空に手を伸ばして、星をつかもうとする。当然、手なんか届くはずもないのだけれど、ずっとこのままこうして居たい気持ちになった。星の代わりに生ぬるい風が僕の手の間をすり抜ける。指の隙間から、星が瞬いている。
「お、あれが有名なベガってやつじゃない?」
だれかが空に腕を伸ばす。
「洲崎先輩、位置がぜんぜん違うと思います」
「うん、違う気がする」
僕も答えた。
「じゃあ、あれはなんだよ?」
「ホシ!」
「だろうな」
小林くんが、アンニャちゃんにもそっけなく返事する。
でも僕は知っている。
「小林少年は、なんだかんだ、アンニャちゃんに優しいよね」
「意味が分かりません」
憮然とした返事が返ってきた。
それから、優しい沈黙が僕らを包んだ。
「コバヤシ」
アンニャちゃんが小林くんに話しかける。
ん、と小林くんが返事をした。
「アンニャね、戦災孤児のイミ。分かったよ」
「…そう」
アンニャちゃんが、僕らに語りかけた。
ふと思い出した、そんな感じの自然な軽さで。
「アンニャね、ここに来るまで、たくさんのことがあったんだ」
アンニャちゃんは十歳くらいの時に、家族から引き離されて『収容施設』で育ったんだそうだ。
「ケド、ママが…、本当のママとね、いつか施設で再会したの。ほんとに、イッシュン。最後に一緒に過ごした。そのとき、ママはアンニャを抱きしめて、言ったの。『わたしの愛しい子。どうか生きて』って」
親が子を想う優しい言葉なのだろう。
彼女の母親は、彼女のように笑う人だったのだろうか。
「アンニャたちは実験動物だったの。きにくわなかったら、コワシていいものだったの」
お気に入りの人形を組み立てるように。
パーツをとって、剥がして。
また引っ付けて。
失敗したのなら、破棄して。
アンニャちゃんは、今の自分の感情を見せずに、ただ、当時、なにがあったのか、自分がどう感じたのかを語る。
「だから、アンニャは全部に怒ってた。ぜんぶ、ぜんぶ、無くなればいいと思ってた。そしたらね、ある日、大きなジヒビキがやってきて、全部、さらって行ったの」
それは、もう大きな地震だったのだという。
建物をことごとく倒壊してしまうような。
まるで、アンニャちゃんの怒りを表現したような。
「だから、外に出た」
外は更地になっていたのだそうだ。
そして、たくさんの人が瓦礫に埋もれて、亡くなっていた。
「アンニャは空っぽで、なんにもなくなっちゃったけど、でも、『満たされた』。カスミ、イミ、伝わる?」
「ごめんね。どういうことだろう」
「アンニャがヘンなのかも」
なんでカスミが謝るのとアンニャが笑う。
「近くに人が倒れてた。その前の日、アンニャの弟ぐらいの男の子を撃ち殺した人だったよ。それが当たり前って感じに。アンニャ、ソイツがとても憎かった。そして、助けなきゃって思ったの。生きているから。でもダメだった。血がいっぱいで、とまらなくて。それなのに、最後にお礼、言われたよ。ありがとうって。ずっと、敵だったのに」
それからアンニャちゃんは、あてもなく歩いたのだそうだ。
歩いているうちに、どこからか金木犀の香りがした。
その香りに惹かれて、ふらふらとまるで導かれるようにして、たどり着いた。
「大きな丘の上だったの。風が吹いて。光が。きらきらして。世界のどこまでも見渡せるみたいに。ずっと、どうやって生きていこう、って考えてた。だから、こんなに世界が広いなんて気付かなかった」
世界から全てが消えて、彼女は別の何かで『満たされた』のだと言う。
「とても、生きてる。そう思った。アンニャは、あの時、自由になったの。……だからね、カミサマはいるよ」
分かった、カスミ?と確認を取るようにアンニャが僕を伺った。
「アンニャね、この間へんてこりんな歌を教わったんだ」
そう言って彼女が歌い始めた歌は、たしかに、彼女が言う通り「へんてこりん」だった。
地に足をつけ、
重力から解き放たれ、
空気を旋回し、
木々を実らせ、
大地を震わせ、
空気を鳴らせ。
その中心にいるのは、いったい誰だ——。
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