第28話 かずやとビンタ

 掃除機が書類棚の間をぬって進んだのは、僕らが入ってきた入口とは真逆の方向だった。


「ねえ、どこに行くの?」


 僕の問いかけに答えず、無言で進んでいく。


「おーい」


 もう一度声をかけると、うるさい、とばかりに掃除機から陽気なジャズが流れ始めた。気のせいじゃなければ機械にからかわれている。


 やがて、僕らは反対側の端に到着した。

 掃除機はそのまま壁をジリジリとよじ登り、そのまま蠅のような格好で停止した。


『ジョウケン クリア。ミギテ ガワ ニ オススミ クダサイ』


 声の言う通りに右手側に進むと、壁側にある書類棚の一つがスゥと横にスライドし、中からエレベーターが現れた。待つ間もなく、ちん、と音がして、かごが到着したことを知らせる。

 扉はゆっくりと開き、中から、人が現れた。

 細身な男。


「よ。久しぶり」


 影となっていた人物が、一歩、前に踏み出したことによって、灯りに照らされた。


「あ…、え…」


 自分の目を疑った。

 な。

 どうして。

 僕は文字通り、腰を抜かした。

 ぺたんと後ろ手をつき、へたり込む。


「おいおい。なっさけねえなあ」


 そう笑ったのは。


「か、かずや」


 死んだはずのかずやだった。


「しょうがないなあ。ほら、立ちあがれよ」


 軽快にそう言って僕に近づくと、立ち上がらせようと手を差し伸べてくる。

 僕は信じられないものを見て思考停止し、そのままその手を受け取った。体が引き起こされる。


「かずや…、え、あれ、かずやじゃない?」


 なんとか声を絞り出す。

 かずやの手は固かった。人間としては異様なほどに。

 かずやは人間だったはずだ。


「さあ、お前の言っているかずやがどれを指すのか分からないが、ま、体はサイボーグだよ。かっこいいだろ」

「…はは、は」


 引きつった笑いが漏れる。


「ねえ、全部説明してくれるんでしょ?」


 黙っていた葛切さんが疲れたように言葉を発した。

 すごく呆れているようにも見える。


「もう、分かってるんじゃねえの?」


 にやにやとかずやが逆に質問する。


「聞かなきゃ自分の推理が正しいのか確認できないよ、…アオイ」

「えっ」


 アオイって例の葛切さんの大切な人の名前じゃないのか。

 かずやがその『アオイ』?

 どうなっているんだ!


「ほら、分かってんじゃん」


 人の悪い笑みだ。


「まさか男のなりして生活する趣味があったとは。他にも名前があったりして」

「もちろん。『自由に生きるのにいるだけ』」

「…はあ」

「え、どういうことなの。二人とも」


 目を白黒させる僕に、葛切さんもかずやを急かした。


「ほら。さっさと説明してよ」


 かずやはぽりぽりと呑気に頭を掻く。


「説明って言ってもなあ。見た通りだよ。高校に通っていた『佐藤かずや』には実体がなく、正体は、女孔明、物部アオイ。君の友人ってわけ」


 ばちこーんと両目で下手くそなウインクをする。


「お、女孔明?…それって先日亡くなったっていう?」


 混乱した頭から、なんとか情報を引っ張り出した。


「お、詳しいんだな。そうだよ。物部アオイは自分が死ぬまでにこの茶番劇が終わらないことを見越して、自分そっくりの思考をするAIを残していた。それが俺ってわけ。もっとも俺の方だって、お前らにも何回か学校で会ったりしたんだぜ?」

「で、どうしてその茶番を始めたのさ」


 葛切さんが唇を尖らせる。


「どうしてって、楽しくなかった? ほら、いつだか君と話し合ったことがあっただろ。親に見守られて冒険できることの幸せを」

「そんなテーマじゃなかったと思うけど」

「それに、君がいなくて、寂しかったんだ」


 ふい、と横を向いたかずやの横顔は、本当に寂しそうなもので、


「もっと一緒に遊びたかった」


 そう吐き出した。


「あのねえ」


 葛切さんはため息を一つつくと、かずやの頬をつねって上下に振った。


「いたいいたい」


 かずやが騒ぐ。


「いい気味だよ!」


 葛切さんがぴしゃりとはねのけた。

 たしかに。

 葛切さんの手から逃れたかずやは、頬をさすりながら続ける。


「事故で体のほとんどを損傷してしまった君は、長い間、目覚めることのない眠りについた。もう、目覚めることはないだろうと言われていた。幸い、金だけはうなるほどあったから、君の体を冷凍保管して、なんとか生き返らせる方法を探していたんだ。そして、その目処がついたとき、思いついた。昔俺が書いた小説の世界に転生したことを知ったら、君は驚くだろうなって」

「アホか」

「…少しは楽しんでたくせに」


 かずやがふてくされたようにボソリと言う。


「なんですって?」


 葛切さんが今度は両手で頬をつねる。


「ごめん。ごめんってば。やめてえ。ごめんなさあああい」

「その痛みは本物なのかな? ねえ?」

「本物だよ。本物だって。いたい!」


 かずやがそそくさと葛切さんから離れて、僕の陰に隠れた。


「かすみ、助けてくれよう」

「僕も許してないんだけど」

「ええ。孤立無援な俺。…かわいそう」

「もう一回つねられてくれば?」

「ゴメンナサイ」


 かずやはふてくされた。


「…だけど、だんだん計画が狂い始めた。ただの余興程度のお遊びだったはずが、復讐の道具になっちまったんだ。きっかけは、回路の混線だった。生身の人間だった方の物部アオイは自分の脳波信号を飛ばして他のデバイスに潜り込む遊びをしていたんだけど、そこでたまたま迷い込んだ先で、桃井さくらと出会ったんだ。そこで辛い目にあっていたこの少女も助けるべく、プランに入れることにしたんだよ」


 床に行儀悪く座り込んで、ため息をつく。


「だけど、これが悪い方に転がった。さくらは姉のゆりを操り、この姉の方は、すっかりここが小説の世界だと思い込むようになってしまった。彼女は性根がいいとは言い切れないけど、…いや、むしろ率先してさくらをいじめるような嫌な子供だったけどさ、幼稚な少女にどれだけの責任があると言える?」

「そんなこと知らないよ」

「それにぶっちゃけ姉の方はどうでもいいんだ。でも、さくらはこのままだと不幸になる。家族を壊して、救われるかもしれないけど、大事なところが壊れちまう」

「…」


 葛切さんは苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない顔をする。

 というよりあれは相手を思い切り蔑んでいる顔だ。

 全力でイヤそうな顔をしている。


「だからさくらと賭けをしたんだ」

「賭け?」

「知ってるか。AIにも寿命があるんだぜ。今夜、俺のデータはすべて消えることになっている。一つは、それまでに君がここに来ること」

「…ギリギリ間に合ったってわけね」

「はは。最期に君に会いたかったんだ。そして、もう一つは、かすみ。お前だ」


 葛切さんに投げキッスをしたかずやが、今度は僕を指差す。

 ずっと黙って話を聞いていた僕は、唐突に自分の名前が出てきたことに驚いた。

「僕?」

「お前も一緒にここに来ること。もしこれらが叶えられなかったら、すべてさくらのいいように。俺は姿を現さず、そのまま消えることにしていた。でももし、叶えられたら…」

「叶えられたら?」

「すべての後始末を悪役令嬢である葛切に任せる」


 葛切さんが腕組みをしてうなる。

 僕は、不思議に思った。


「ねえかずや、どうして僕だったの?」

「どうしてって、そりゃ」


 かずやは一瞬なにかを言い澱み、それから、にかっと白い歯を見せた。


「ワトソンにとってホームズは最高の相棒だけど、案外ホームズの方だってワトソンを大切に思っているんだぜ」


 そんな分かったような分からないようなことを言う。


「ま、俺はさしずめアイリーン・アドラーってとこかな」


 ちちち、と指をふる。


「はあ?」

「なあ。不幸に生まれた少女が、不幸に終わっていいはずない。そんな当たり前すぎる結末、だれも望まない。生きたいと願うことをだれが責められる? 物語は幸せなハッピーエンドがいい。そう思うだろ?」

「…」

「だから…」

「ああ、もう!」


 葛切さんはかずやの首元の布を引っ張って詰め寄った。


「散々遊んでおいて、つまり、後始末をしてほしいってことね」


 かずやが葛切さんと視線合わせないようにして、


「うん、そう」


 とうそぶいた。

 直後、ブチギレた葛切さんによって、ばちんと人を殴る音が低く響いた。



✴︎

「まったく。いつも後片付けはちゃんとしなさいって教えたでしょ」


 葛切さんが両手を腰にあてて、珍しく本気で怒っている。

 かずやは彼女の前で正座をしながら、


「会長にもなって正座…」


 とか呟きながら、さらに怒られていた。

 そして頬を張られておかしくなったのか、うつむきながらははと笑いをこぼすものだから、葛切さんの目はますますつり上がった。


「はは、初めてゲームで君を出し抜いた気がする」


 葛切さんがこりゃダメだと嘆息して、首を振った。


「そりゃ、わたしが眠っている間にきみには散々思考する時間があったんだから。負けたって仕方がない」


 それから釣られておかしくなったのか、小さく笑いをこぼした。


「まったくもう、仕方のないやつ」

「それが、俺の長所だからな!」


 わかり合っている二人の特別な空間。

 …いけない。

 首を振って、思考をクリーンにする。


 笑いあっていた二人だけど、しゅんとかずやが顔を曇らせた。


「…絵を描くことを奪ってしまって、ごめん」

「別に奪われてないし」


 かずやが笑う。


「あのさ、怒られてる最中で悪いけど」


 ゆっくりと、どこか老人を思わせる動きで、かずやが立ち上がった。


「なに?」

「さっき言った通り、今晩なんだ。そろそろ時間なんだよ」

「そう」


 葛切さんがそっと顔を歪めた。


「……そばにいようか?」

「あいかわらず優しいねえ。でも一人にしてくれないか? 俺は本物の物部アオイじゃない」

「そんなこと分かってるよ。でも、生きてるでしょ」


 かずやはなんとも嬉しそうに笑った。


「…はは。ありがとう」

「抱きしめてほしいって後から言ったって遅いんだからね」

「言わねーよ」


 ぷいと葛切さんがそっぽを向く。


「…ねえまだ隠していること、あるでしょ」

「…バレたか」


 かずやがふうう、とため息を吐いた。


「小さな秘密を解き明かして、見せたくない方をこっそり回避する。人を傷つけるのがキライな、あんたの常套手段でしょ」

「…昔馴染みっていうのも良し悪しだな」


 そこで初めて、かずやは不安そうになった。


「…傷つかない?」

「つかないよ。ここまできたらなんとなく想像がつくし。むしろ往生際が悪いって」

「…じゃあ、俺が乗ってきたエレベーターで下に降りるといいよ」

「分かった。じゃあ、もう行くから」


 葛切さんが背を向けた。


「葛切さん!」


 本当にそれでいいのか。

 けれど、僕が止める必要なんてまるでなかった。

 葛切さんは煮え切らなかったように踵を返すと、かずやのところにとって返し、がん、と頭をかずやのそれにぶつけた。いてえ、とかずやが叫び声をあげる。

 それから、葛切さんがかずやに口をつけるのが見えた。

 ゆっくりと唇と唇が離れる。


「うっわ。きもち悪い」


 悪態をついて葛切さんが唇を拭う。


「やったのはそっちだろ。お互い様だよ。いてえ」


 かずやが頭を抱えてうずくまった。


「餞別だよ!」


 葛切さんが胸を張って朗らかに笑った。


「またね!」


 そうして葛切さんはさっさとエレベーターに乗り込んでしまった。


「…またな。葛切」


 かずやが蹲ったまま返事をした。


「かすみくん! はやくー」


 葛切さんが僕を待っている。

 かずやに最後になんて声をかけていいか悩んだ僕に、かずやは、


「なあ、かすみ。あいつを、頼んだよ」


 と託した。

 だから僕も、


「うん。任せて」


 返事をする。


「それから。…生きろよ、若者!」


 顔をあげたかずやが僕らを見て笑ったのだった。

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