謎の消失、ついで。

第27話 会社を牛耳る掃除機

 町外れまでやってきた車が、目標地点よりやや離れたところで路肩にとまる。

 旧本社だというビルは、民家に混じってポツポツと乱立された他のビルに紛れていて、ちっとも目立たない。あまりにも地味すぎて、ここに僕らが探す情報があるだなんてまるで信じられない。


「帰りはどうする?」


 運転席に座る葛切さんのお父さんが、隣の葛切さんに聞く。


「予定通りでいい? お父さん」

「ああ、時間になったらここにくるとも。…私が一緒に行かなくていいのかな、かの」

「うん。大丈夫。ありがとう」


 扉を開閉し、外に出る。

 虫の音が聞こえた。

 葛切さんが車のトランクから、軍手やら充電式の自動掃除機やら雑巾やらを取り出した。僕がそれらを両手に持つ。そこまで重くない。

 それから人通りの少ない道を、ビルに向かって進んだ。

 歩くたびにガチャガチャと音がした。


「会社というのは、現金なもので」


 ビルの入り口はライトアップされている。


「お金をかけたくない部分には安上がりな他社に依頼をするんだ。そこに、つけ込む隙があったというわけだよ、かすみくん」


 葛切さんがいたずら好きな猫のように笑った。


「さあ、これを着けて」


 葛切りさんがポケットから布繊維のマスクを取り出して、僕に渡す。


「葛切さんは?」

「わたしはいいんだよ。ここに注目を引きつけることで、他への注意がおろそかになるから」

「…わかった」


 一旦荷物を地面に置いて、マスクを装着した。

 そうして、僕らは、堂々と入り口から中に入った。

 空調が効いていて涼しい。

 屋内は昼間のように明るかった。

 そのせいで、内装が古めかしくて、ところどころガタがきているのがよくわかる。


「こんばんは。大森清掃の者です」


 受付にいる男性に声をかける。

 男性は、疲れた顔をしていた。年齢不詳だ。彼は、ちらりと僕らのラフな服装を見ると、


「ああ、はいはい。新しい清掃の方ね。聞いてますよ」


 と僕らへの入館許可証をぞんざいにカウンターの上に置いた。


「ありがとう」


 葛切さんがお礼を言って、許可証を受け取る。


「二階の左手奥の部屋に行ってください」


 そこまで言ってから、彼は初めて葛切さんの顔のよさに気がついたらしい。ぼう、と彼女に見とれた。


「行こう」


 葛切さんが僕に声をかけ、さっさと歩き出す。

 僕も後に続いた。


「あ、あの…」


 受付の男性が声をかける。


「なにか?」


 くる、と葛切さんが半身、振り向いた。


「い、いえ…。すみません」


 彼はなにかを言いかけ、やめてしまった。


「いえ」


 葛切さんが僕に目配せをして、それから再び歩き始めた。

 入り口から隠れるようにして存在したエレベーターの前に立つ。ガラガラと稼働音がして、やがて扉が開いた。




 指示された部屋には、二十人ほどの社員が集まって、それぞれが端末を使用して作業している。狭い室内には、キーボードを打つ音が静かに響いている。誰も喋らない。

 手前で作業していた社員に、仕切りで区切られた狭いスペースに通されて、しばらく。

 同じように疲れた顔をした自分の父親ほどの年齢の男性がやってきた。

 彼に名刺を渡される。


「やあ、随分若い子だね。いいなあ。評判がいいって聞いてるからね、頼んだよ」

「任せてください」


 にこやかに葛切さんが返事をした。

 彼は僕らを見ると、羨ましそうにため息をつく。

 どうやら少々愚痴っぽい人らしい。

 僕らに対して恨みでもあるかのように、吐き出し始めた。


「いやあ、若いっていいねえ。この歳になると、生活というものにちっとも新鮮味がないんだ。毎日同じことの繰り返し」

「はあ」


死んだように作業をする社員を横目に、葛切さんが言う。


「でもまあ、それでいいんだ。人が働くのはお金を稼ぐためだよ。お金を稼ぐのは生きるためだ。そのためにいい学校を出るんだ。君達も頑張りなさい」

「はい」


 葛切さんが従順に頷いた。

 僕は惨めな気持ちになった。


 生きるためにお金を稼ぐのは当然だ。

 特に生きるか死ぬかの瀬戸際では、生き延びることを主目的としなければいけない。それはきっと生物として当然だ。でも、この人はそうでないように思える。少なくとも明日の心配をしなければいけないほど困窮はしていないはずだ。

 それでも、この人は生きるためにお金を稼ぐと言う。そして、ちっとも楽しそうに見えない。


 だったら、この人は何が楽しくて生きていられるのだろう。


 こんな時間まで働いて。世界の全てを悟りきったような眼差しで。

 よれよれのスーツでもいい。愚痴ぽくったっていい。


 ただ。僕は社会で働く大人というものに、もう少し、期.待.をしていた。


 そうひねくれた考え方をしてしまうのは、僕が若くて未熟なせいだろうか。


 でも、きっと、この人にもあったはずだ。

 世界の全てに希望を抱いていた時期が。

 いろんなことに心を躍らせた瞬間が。

 なにもかもに挑戦したことが。


 だからこそ、僕ら若者世代を口先だけでも羨むようなことを口にするのだろう。きっと、なんにでもなれた時、なんでもできた時、彼は僕くらいの歳だったのだろうから。


 だとしたら、彼は、彼の歳になるまでに、一体、なにを摩耗してしまったのだろう。

 この人くらいの年齢になったら、僕も働くために生きることに疑問を抱かなくなるのだろうか。

 それは、きっと、悔しいことだ。


 ……僕はきっと、気にする必要もないことを、気にしすぎている。

 でも、他の大人もこうだったら、僕らは一体どうすればいいんだ。


 ふと、彼の指元を見た。

 左手の薬指。

 一筋だけ日焼けを全くしていない箇所がある。指輪の跡だ。

 もしかしたら、仕事に邪魔だから外しているのかもしれない。

 それとも、他に外す理由があるのだろうか。


 その最も想像しやすい不道徳な理由を思いつき、だとしたら、そこに彼は自分が生きている理由を見出しているのかもしれないと、妄想した。

 そして、もしそうだったらと考え、僕は、少し、安心した。


「いやあ、こんな時間まで働いているとやっぱり疲れてしまうなぁ。ほんと、死んだように生きるって、このことだよ」


 僕が見当違いのことを考えている間に、葛切さんはさっさと書類のやり取りを済ませていた。

 腕輪型のルームキーを渡される。


「それでほとんどの部屋にいけるようになるから。それじゃあ、頼んだよ」


 こうして、僕らはビル内を自由に移動する権利を手に入れた。





 葛切さんが自動掃除機のスイッチを入れると、まるで蜘蛛の子を散らすようにあっという間にこぶし大の機械が建物内に散っていった。


 それから僕らはあっさりと目的の資料保管室に到着した。

 渡されたルームキーで中に入る。


 ここはその程度のセキュリティでいいと考えられている場所なんだろうか。

 今までの謎全ての答えを見つけようというのに、違和感があった。


 地下にあるその場所は、べらぼうに広かった。ペーパーベースの資料は場所をとる。書類棚がずらりと縦にも横にも並んでいる。学校の図書室が百集まってもここまで広くないだろう。


 地面は緑に塗装されている。

 そういえば聞いたことがあった。

 昔は車を地下に停める習慣があったのだと。

 もしかしたら、元々は駐車場だったのを改装したのかもしれない。

 ネズミが足元を駆けていった。


「この中から…」


 年単位で時間がかかりそうだ。


「一応、年度別に整頓されているみたいね。さて…」


 葛切さんは、まっすぐに進む。

 こん、こん、と小さく足音が響く。

 程なくして、二〇一〇年度の区画にたどり着く。


「わたしが死んだのが、この辺」


 そう言って、棚に並ぶ書類の背表紙を見つめる。

 潜めた声も、この誰もいない静寂に包まれた空間では、よく聞こえる。


「劇的な変化が起きたとしたら、おそらくわたしが事故で死んだ、その後」

「うん」

「他にも異世界転生の話はあった。それこそ似たようなのが山ほど。その中でわたしが出てくる小説が選ばれたのは、きっとそこに思入れがあったから」


 葛切さんが唇をかむ。


「…」

「…葛切さん、探そう?」

「ああ、うん」


 僕らは作業に取り掛かった。

 手当たり次第にめぼしいファイルを開いて、中を確認する。大抵の書類は、なにを購入しただとか、コピー用紙の裏紙みたいな、なんの役にも立たないものだ。


 三十分ほど作業して。

 同じような書類ばかりを目にしていた僕は、永遠にこの悪夢のような作業が終わりを迎えないのではないかと思い始めていた。なにせ量が多い。しかも大半はただの紙だ。その中からなにか意味を持つものを見つけるのは、骨が折れる。なるほど、社会人というのはくたびれるわけだ。


 一方、葛切さんはまるでなんでもないように作業に没頭している。

 長い黒髪を後ろに一つ縛りにしているから、少しの動作で、小さく揺れる。


「飽きるね、かすみくん」


 無表情に葛切さんが言う。


「ねえ、おばあちゃんになっても、ここで探し物していたらどうしよう」

「あはは」


 ふと、空気が振動しているのを感じた。モーター音だ。

 なにかが、近づいてきている。

 僕と葛切さんは顔を見合わせる。

 サイズ的に人ではなく、もっと小さななにかだ。

 音は、どんどん近づいてきている。

 胸の鼓動が早まる。


 モーター音に混じって、小さなオルゴールのような音楽が奏でられているのに気が付いた。ドビュッシーの、子供の頃に誰もが聞いたことがあるような懐かしいメロディ。


「掃除機だ」


 そっと葛切さんが呟いて、僕にも分かった。

 この区画に立ち入るように設定していないはずの自動掃除機がここに迷い込んできてしまったらしい。書類棚の間から、床を這う小さな円形の掃除機が姿を現した。きゅっとゴムの擦れる音がして、動作が終了する。音楽も同時に止んだ。


「どうして、ここに…」


『コンニチハ。コンバンハ。クズキリ カノ。サトウ カスミ』


 掃除機に内蔵されているスピーカーから機械的で、中性的な声がした。


「かすみくん。哀れにもハッキングされてしまった、わたし達の掃除機が迎えにきてくれたみたいよ」


 葛切さんがニヤリと笑う。 


『ソノトオリ デス。ツイテ キテ クダサイ。カミ ガ オマチデス』


 掃除機は一方的に僕らに告げると、ゆっくりとまた動きを再開した。


「行き先が地獄じゃないといいんだけどね」


 からからと葛切がシニカルに笑った。 

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