第24話 人んちに忍び込む葛切さん
「かすみくん、起きて」
のんびりした声が僕の意識を覚醒させる。
まず目に入ったのは、暗闇の中、開け放された窓だった。
果たして僕は、寝る前に窓を開けただろうか、そんなことを考えて、ふと視界の端に人影が入り、ぎょっとした。急いで起き上がる。
「ちょ、え。…まっ」
「あはは。かすみくん。びっくりしてる!」
ひそめた声に、それでも可笑しそうにお腹を抱えて、葛切さんが笑ってる。
「ここ、十四階!」
「うん勝手にお邪魔しちゃった。ごめんね」
全く悪びれずに葛切さんが謝る。
「ま、窓から?」
「うん。真夜中だし」
「え、…え?」
驚きと混乱で動悸を感じる。
夜に紛れてやってくるなんて、まるで下手な怪盗モノのようだ。
「ど、どうしたの?」
声が裏返った。
久しぶりに会う葛切さんはやっぱり綺麗だった。
彼女を視認した途端、安堵とすこしの緊張が僕の体を支配する。
寝ていたせいで、汗をかいている。匂いがしたらどうしよう。
そんな僕の心配をよそに、葛切さんがぽすんと僕のすぐ傍に腰掛けた。
「うーん。かすみくんに会いたくなったから?」
からかうように流し目で微笑む。
「また適当な事言って」
僕も笑うと、
「そんなことないんだけどなあ」
と軽やかな笑い声を上げた。
「まだ、続ける?」
葛切さんがその夜空の瞳を僕の瞳と合わせた。
暗いけど、近いからよく見える。
僕の、好きな色。
見えない器に水が満たされる。
「続けるよ、もちろん」
僕の答えに、葛切さんは不思議な顔をした。
「そう」
「うん」
僕は最近の出来事を話して聞かせる。葛切さんは、時々深刻そうに嘆き、時々楽しそうに笑い声を上げた。
「そっか。…あのね、お願いがあるんだ」
「うん。葛切さんになにかを頼まれるのは初めてだ」
てっきり別れを告げに来たのかと身構えていた僕は、内心胸をなでおろす。
そうだっけ、と葛切さんが首を傾げた。
「今から一週間後、準備が整い次第、海堂製薬に忍び込む」
葛切さんが紡ぐ言葉は、もうまるで学校生活とはかけ離れている。
だけど、そのことに違和感は感じなかった。
そういう予感はいつだってあった。
葛切さんはもっと広い枠組みの人なんだ、と。
「それは『アオイ』さんを助けるため?」
「…わたしの大切な人なんだ。多分」
切なそうに葛切さんが呟く。
「多分?」
その言葉の覚束なさに思わず笑いが溢れてしまう。
葛切さんが儚く笑う。
「なんだか、なにもかもあやふやな時があるの。なにが自分で、どこまでが自分なのか」
それから、ふてくされた小さな子供のように膝を抱える。
彼女は、今にも消えてなくなってしまいそうだ。
「わたしの名前は葛切かの。都内の高校に通う十七歳。両親はいなくて、義理の父親と暮らしている。成績も人間関係も良好。でも、こんな情報になんの意味がある?」
葛切さんがしなびた野菜みたいになっている。
これはどうしたことだろう。
「葛切さん?」
「…ねえ、かすみくん。わたしはいったい誰なのかな?」
まるで、夢のようで。めまいがする。
「葛切さんは…」
頭を振って、不埒な感傷を振り切る。
そして、目の前にいる一人の女の子をじっと見つめる。
彼女もその夜空の瞳で、僕を見つめ返した。
「葛切さんだよ」
「そうかな」
「そうだよ。それ以外のなにがあるの?」
「…その通りだね。自分の輪郭を決定するのはいつだって自分だ」
そっと葛切さんが息を吐き出した。
「なんだか安心した」
僕は微笑む。
「え、なにが?」
不思議そうに葛切さんが問う。
「葛切さんでも悩んだりするんだ」
「あー! 失礼な。わたしほど繊細さを持ち合わせた可憐な乙女はいないと自負してるのに」
「そういう風に言ってみせる人ほど、実像がかけ離れてるって、よくあるよね」
「ないから!」
ぷんぷんと葛切さんがむくれてみせる。
僕らは顔を見合わせて笑った。
「かすみくん、一緒に海堂製薬に来てくれる?」
「もちろん」
葛切さんが二つ折りにされた紙切れを僕に渡す。
「これは?」
「これ、海堂製薬の社内図なんだ。端末に送ると監視し放題だからね。」
「どうやって手に入れたの?」
「洲崎にちょろまかさせた!」
誇らしそうに胸を張るが、
「犯罪だね」
僕の言葉に唇を突き出した。
見取り図は本社ではなく、今は倉庫がわりに使われている旧本社のビルのものだという。地下一階部分に普段は使用されない、置き晒しの紙の資料があるのだそうだ。
「本社も含めて、他の部分は探し尽くしたんだ。もうデジタル部分にはわたしが知りたい情報は残されていない。紙から情報を得るしかない。この場所に行くため、かすみくんに、これを覚えて欲しいの」
「葛切さん、成績いいのに?」
「わたしは暗記系の科目がニガテなの! 覚えた端から忘れちゃうんだから、困ったもんだよね」
「鳩かな」
「違うよ!…でも、だから、君に任せるの」
「うん、わかった」
「いいの?」
「僕が、やりたいんだ。僕は、僕のしたいことをするよ」
「うん」
からからと葛切さんが笑い声を上げた後、あ、と慌ててその手で口を防ぐ。僕の両親がいることに気がついたらしい。
それからまた楽しそうな顔をするのだった。
「あれ、いつの間に…」
僕はベッドの上で眠っていたかのように横になっていて、葛切さんは煙のように消えている。
手はしっかりと紙切れを握りしめていた。
窓から入り込む夜の生暖かい風が僕の頬を撫でた。
✳︎
「あのね、アンニャ、モモイの事知りたい!」
アンニャちゃんは、その透き通ったブルーの瞳を輝かせて僕らに言った。神について散々議論した後の事だ。
「ヤダ」
「コバヤシのケチ!」
間髪入れずに答えた小林くんに、アンニャちゃんは不満そうにふくれた。
「そうだよ。ケチだなあ、小林少年。人の知りたいと思う気持ちを、キミに一刀両断する資格なんてないだろ」
洲崎くんがもっともらしいことを言って賛同したが、それが本心からなのか、それこそ、ただ小林くんにケチをつけたかっただけなのかは分からない。なんとなく、後者な気がする。
「カスミ、どう思う?」
「え…」
アンニャちゃんは恐れ知らずの目で僕を見つめる。
まるで恐れるものなど何もない、という風に。
どうやら僕の判断を待っているらしい。
「僕は…」
僕の言葉に皆が注目する。
「制限するつもりはないよ。誰と仲良くなるのも、それは人の自由だと思う。でも、僕は誰にも傷ついて欲しくないんだ。だから、最後は僕の味方であってほしいと…願っている」
「弱気な言葉っすね」
「そうかな。でも、みんなを遠ざけるのもヘンでしょ?」
「逆も、先輩に都合のいい情報しか見せないかもしれないし?」
「そうだね」
「ま、おれはそんなバケモノみたいな女、興味がないんでそれでいいです」
小林くんはまるでよそ吹く風だ。
反対に洲崎くんはニヤニヤとイヤな笑みを浮かべる。
「俺らはかすみくんの味方になるの? 葛切のじゃなくて」
「それは、ほとんど同じことだよ」
「そう同じ。ほとんどね」
アンニャちゃんがぶーと声をあげた。
「じゃあいいデショ! 会いに行こうよ!」
洲崎くんが、眠そうな子猫のような顔をさらに緩めて優しそうな微笑みを浮かべる。それはもう楽しそうに。
「そうだね。もっとも、向こうから先に来るかもしれないけど」
「…おれも行きます」
全く乗り気ではないようだけど、なぜか小林くんも一緒に行くつもりらしかった。
洲崎くんがニヤリと笑う。
「もちろん来るだろ、かすみくん」
あくどい笑みに、僕は頷いた。
«小林»
ムカつく。
少年期に入って真っ先に感じたのはそれだった。
なにもかもがムカつく。全員が当たり前のように当たり前の顔をして生きているのがムカつく。世の中に面白い事がたくさんあるとばかりに生きているのがムカつく。息をしているのがムカつく。
何よりムカついたのは、法律やら校則やら他人が定めたルールをまるでそれに従うのが当然と、立にもそれを求めた事だった。どうしてそれに従わなければいけないのか、まずは自分にもそのルールに従う事の了解を求めるべきではないか、そう思った。
ある日、その疑問を、教える立場にある教師に尋ねた。
彼女は答えた。
自分が人間である以上、それに従うのが「当然」なのだという。なんともありがたいお言葉だった。そんな分かったような分からないような曖昧な言葉で濁されてしまった事にもムカついた。
しかし、当の答えを寄越した教師はといえば、それ以外の正解なんてないという風に自分の言葉に満足した様子だったので、それ以上追及するのも躊躇われた。自分の不要な質問が彼女のなにかを傷つけてしまうかもしれない事を危惧したのだ。そのなにかとは、彼女が盲目的に追従している権威に対してかもしれなかったし、それによって守られている彼女の自尊心に対してかもしれなかった。
どのみち、自分が抱くこのフラストレーションは多くの人間が生きるにおいて不要不急とみなしていることは理解できた。
途端、生きる事も、自分の生きている世界も退屈に感じた。
そもそも自分と同い年の人間たちの興味の対象は、自分のものとは被らないことが多かった。幼少期において、彼らがする遊びはまるでままごとのように陳腐に感じ、長じてから彼らの興味が主に他者との色恋にシフトしても、やはり陳腐に感じたままだった。
どいつもこいつもバッカだな。
そう思っていた。
そう感じる自分自身が一番のバカである事も、もちろん理解していた。それでも他者に対して漠然とした嫌悪感と退屈感を排除することはできなかった。その感情は彼らが歩むことになるだろう人生に対しても向けられた。
今学生である彼らには多種多様な未来がある。
だけど、本当に興味深い人生を歩むのはこのうちの何人だろう?
例えば右隣の机にいる石川が仮に、五年後、医者になったとして、彼の人生は『成功』したものだと見なされるだろう。だけどそれはただ『成功』しただけであって、『興味深い』わけじゃない。医者の卵として華々しくキャリアをスタートさせた彼に待っているのは、新人としての慣れない日々、そこからの順応、そして退屈な日常だ。そうして定年まで医者として勤め上げ、最後には死ぬ。どんな動機かは知らないが医者になって他者を救おうという意思は尊いものだが、そこにはなんの意外性も、興味深さもないのだ。
第一、石川が医者になりたいのかなんて知らないし、学力も足りないだろうが。
じゃあ、反対に、意外性があればいいのか、というとそうでもない。
左隣の机にいる川上が、義父から虐待され続けたがゆえにシリアルキラーとして人を殺しまくったとする。シリアルキラーとして人生をスタートするなんて意外で面白いけど、こういうタイプにあるのはどの道破滅だ。シリアルキラーなんて、普通の手段では埋められないものを埋めるために延々人を殺し続けるか、正義の司法に裁かれて終わりか、どの道辿るパターンの想像がつく。面白くない。
どんな人間であれ、人間が辿る人生はだいたいパターン化していて、意外性なんてないのだ。
そこにあるのは悲惨かそうでないかだけの差だ。
悲惨な人生を回避したい人間は意外性なんて無視して、それを回避した人生を望むべく懸命になるのだろうけど、立のように父親が政治家で経済的に盤石、理解のある母親と、よほどのことがなければ悲惨になりようがない人生では、やはり退屈でムカつく、という感想を抱いてしまうのだった。そういう思惑で生きている自分もまた退屈な人生を歩んでいくんだろうと諦めてもいた。
だから、なにも気がつかない楽しげな顔で生きている周りの人間がとてつもなくムカつくのだった。
大方の人間は軽蔑の対象にしかならなかったが、立にも憐憫の情を抱ける相手がいた。家畜の動物だ。
愚かな人間に無条件で隷属させられる家畜は、人間の犠牲者であるように感じられた。その最も身近なものが犬だった。
それ以前に、立がは動物全般が好きだった。
曖昧な理由で、別に、明確化する必要もなかった。
ただ、彼らを保護するためなら、ムカつく人間相手でも、我慢できる気がした。
「悪いけど、これ以上ここでボランティアなんてできませんから!」
中年期特有の耳に障る甲高いヒステリックな声で叫んで、犬舎から最後のボランティアの女性が出て行ったとき抱いたのは、この人も適当な人間だったのかという、よりひどい人間に対する嫌悪感だった。
「自分が世界で一番偉いとでも思ってるんでしょ! 子供のくせに!」
吐き捨てられた捨て台詞が、脳にこびりついて落ちなかった。
うまく胸のうちにある感情を隠して、穏やかに接していたはずなのに。本心を隠してまでした努力がそんな裏切られ方をしたせいで、自分にはどうしても人間とうまく過ごせないのだと、思い知らされたようだった。悲しくはなかった。ただ、諦めた。
学校に行くのもやめて、犬と日々を過ごした。
ストレスで吠え立てる犬たちの中心で、初めて、心安らぐ場所を見つけた気持ちになった。
なんとなくおかしくなって、笑った。
佐藤と洲崎は立の世界に侵入しようとする異物だ。
ズカズカと用事があるとかでやって来て、へんな事をまくし立てて帰って行った。
二人とも気に食わなかったが、特に洲崎はいけ好かなかった。自分の行動を正確に把握していて、どうすれば自分が正義のままで居られるかを理解している。典型的なパターンから外れない人間だった。大方の人間は彼みたいなタイプが好きだろうが、立は嫌いだった。そういう人間は、正義ではない立に対して圧倒的に強い。嫌いだ。
反対に、佐藤は意味不明だった。不快とか快とかではなく単純に意味不明だった。言っていることも意味不明だし、挙動も不振だ。何かをどうにかしたいという熱意だけはなんとなく伝わった。なにをしたいのかはよく分からなかった。
ゲームだとか小説だとかなんとか言っていたけど、別に頭がおかしいわけでもIQが低いというわけでもないようだ。成績はいいらしい。
少しだけ、面白いと感じた。
そう感じたのは間違いだったかもしれない。今は思っている。
一人の男子高生の死のきっかけになったという女、名前は聞いたような気もするが、彼女が騒いでいる。何か面白いことが起こるかもしれないと期待した途端、これだ。
きっかけは昼食をとろうと学食に向かったことだった。
なぜかアンニャも着いてきた。
「ガクショク、楽しみ!」
「弁当、持ってきてんじゃないの?」
「んー、ソウダヨ?」
「……」
アンニャ・バートリ。
東欧から来た異邦人。
あまり友達はおらず孤立気味のようだった。
人懐こい性格をしている。だけど、それだけじゃ足りないのだろう、文化や言語やそうした目に見えないものを乗り越えるには。
「…コバヤシ、ダメ?」
心なしか悲しそうに見える。
犬舎の犬にダブって見えて、
「好きにすれば?」
思わず答えてしまった。
わーい、と途端に大喜びする。
そして、そのまま黙っていればいいのに、聞きたくもない事を言う。
「アンニャ、この間歴史のレッスンで『戦災孤児』だからカワイソウって泣かれたの。コバヤシ、どう言う意味?」
「は?」
やっぱりイヤな話だった。
「だれがそんな事言ったの?」
「えーと、ダレだったっけ?」
口調からこの話題を深掘りするのはよろしくないと知れたのだろう、視線を斜め上にはぐらかされる。
「アンニャは…」
ん、とアンニャが立を見る。
「戦災孤児かも知れないけど、戦災孤児はアンニャじゃない。そんな脳死した連中の言う事なんて気にしなくていいんだよ」
「ノーシ?」
「そう、脳死」
「ふーん、ノーシ」
意味が分からなくて聞き返されたのは分かったけど、特に意味は説明しなかった。
ムカついたからだ。
ムカムカした気分のまま食堂に着いて、卵焼き定食というものを注文した。
安易に栄養を摂取できる代用品があるのに、学校はクラス制だったり部活動だったり食堂だったり、まるで外の時代に取り残されているみたいに感じる。それでも立が食堂にやってきたのはアンニャが弁当を食べているのを見て、久しぶりに『そういう』食品を食べたくなったからだった。
品物を受け取り、先に座って待っているアンニャの元に向かう。
食堂はそこそこ混んでいた。
「やあ」
アンニャの隣にいる男が、立に気軽な挨拶をする。
奇しくも、立と同じ卵焼き定食を食べている。
ちなみに立には友達と呼べるような存在はいない。
欲しいと思ったこともなかった。
「なにしてるんすか、洲崎先輩」
「なにって、昼食だよ。もちろん」
「佐藤先輩は?」
「ここに来る途中で、先生に用事を言いつけられてたよ」
のんびりとした声で洲崎が答える。
こいつアンニャの前だとなんか妙に猫かぶってるんだよね、と白けた思いで洲崎の斜め向かいに腰を下ろす。
「あっそ。じゃあ、とっとと食べたらどうです?」
「もちろん、そうするよ」
剣呑な立の声とは反対に、洲崎の返事はいっそ神経を逆撫でるほど余裕のあるものだ。
余計に腹が立ったから、無言で定食を食べる。
洲崎とアンニャが会話をする。
「アンニャちゃん。桃井には会えた?」
「ううん。マダ!」
「そうなんだ。もしかしたらここで会えるかもね。生鮮物を直接口にする事を好む金持ちらしく、海堂もそうだから」
「ヘエ?」
「その時に桃井にも会えるよ」
「ソッカ!」
「ああ、ほら」
洲崎が食堂の入り口を指差す。
見目のいい男女が仲良さげに話ながら入ってくるところだ。
人間が生きていることに目的なんてない。けれど、多くの人間が繁殖および種の存続を目的として生きている事を考えれば、ああ言う風に男女が仲良いのは悪いことではないだろう。
その程度の感想を立は抱いた。
ああ言う見目のいい人間が恋愛に耽ると、周囲の人間もあてられるから余計に繁殖が進むかも知れない。
そんな余分な感想も抱いた。
女の方が洲崎に気がついて黄色い声を上げる。
「きゃあ、連くん!」
駆け寄ってきた女に洲崎がまた胡散臭い笑みを浮かべる。
「ダイジョーブ? もう昼休み三十分しかないよ」
「あー、どうしよう。早くしなくっちゃ」
「席とっといてあげるから、早く行って来なよ」
「うん、ありがとう!」
そうして女はニコリと完璧な笑顔を浮かべたので、完璧すぎると立はさらに白けたのだった。
洲崎は心底どうでもいいが、アンニャを放置して立ち去る気にもなれず、立は仕方なくそのまま新しくやって来た男女の昼食に付き合わされることになった。
ところが、これが立にとってはなんとも不快だ。
女は男、海堂というらしい、にもっぱら話をする。
ついで、洲崎、それから立だった。
彼女自身の喋りは、うまく場を盛り上げるものではあるのだろうが、そのせいで彼女が食べている食事は全く進んでいないのも不快だった。
そして、なぜかアンニャには見向きもしなければ、返事も必要最低限しか返さない。
佐藤の話によると、立らは全員攻略対象者なるものだと言っていたが、その攻略対象者に対してそんなにおざなりな対応でいいのかと疑ってしまう。それとも順位づけをすることで争わせようとしているのだろうか、と疑う。景品自体に価値がなくても、競争の賞品であるというだけで、魅力的に見えてしまうこともあるからだ。
大昔、大学生たちがサークルでレイプした女性たちに同じように順位争いさせていた事件があったなと思い出す。
途中から立は面倒になり返事を返さなくなった。
「犬の保護をしているんだよね」
といつどこで知ったのかわからない個人情報を女が喋ったのも不気味だった。
ついでに気がついたからだ。
この女がアンニャに返事をしないのは、アンニャの性別が女だからだ。
この女にはコレクショナーの気があるのだろう。この女のコレクションに加えられることは、自分に誇れるものが「男であること」しかないのであれば、それは栄誉あるものになるのかも知れないが、立は特別自分が男であることに優越感は感じていないし、なんなら男も女も人間を指し示すカテゴリーであることが不快だ。
「……」
「大人気ないな」
洲崎が机の下から蹴って来たので、きっちりお返しする。
立が明らかにやる気のない対応をしだしたのを感じて、女はアンニャに矛先を変えたらしかった。
「どこの国から来たの?」
さっきまで塩対応をされていたとは思えないほど、快活にアンニャが返事をする。
「んー、セルビアだよ!」
「へえ。日本語上手なんだね! ちょっとセルビア語喋ってみてよ」
アンニャは、なにかをペラペラと喋って見せた。
ペラペラなのは当然だ。ネイティブなんだから。
「なんて言ったの?」
「コンニチハ! 今日はとっても暑いね!」
「すごーい!」
けたけたと笑う様子に、ムカつきは頂点に達した。
「ねえ、ねえ。どうして日本に来たの?」
思わず、立は口を挟んでいた。
「先輩もなにか喋ってみてくださいよ」
「え?」
女は不思議そうに首をかしげる。
「おれも先輩がなにか喋るの聞きたいです」
「え。あたし日本語しか喋れないんだ」
なぜか照れている。
「でしょうね」
そっけない立の返事に、ようやく嫌味を言われているのだと気がついたらしい。
「ええー、立くんヒドーイ」
肩に触れられそうになって、反射的に振り払っていた。
この盛っている女にこれ以上触れられてたまるものかという感情と、またやらかしているな、という自分に対する冷めた気持ちがごちゃ混ぜになって放出される。
「バカが移りそうなんで、触らないでもらえます?」
案の定、場が凍りついた。
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