第21話 学校に行きたくない小林少年と、正しくないかもしれない僕。
小説内のゲームの攻略対象者は、野中くんを除いて、全部で七人いる。
海堂くんを始めた、なんとも煌びやかな人たちだけど、その中で名前が合致しているのは海堂くんだけ。奇妙な話だ。一応、特徴の合致で誰がどの人物に該当するかは分かる。
葛切さんが『攻略』したのは四人。僕が対処すべき人間は三人だ。
僕はとりあえず順に、彼らに会いに行くことにした。
海堂くんは…攻略法がわからない。どうすればいいんだろう。
だいたい、攻略ってなんだ?と考えて見たけど、それもよく分からなかった。なにせ僕は女性じゃないけど、相手は男だ。
しかし、葛切さんが『悪訳令嬢』を僕に託したってことは、おそらく性別に差はないと考えているのだろう。たしかに桃井さんの行動を阻止するだけなら、べつに性別に関係なくできる。悪役にならなくてもできることだ。
だから、僕にできるのは、可能かどうかはおいておいて、その対象者と仲良くなることだ。
……性的関係にはなるという事ではない、はず。…•…はず。
とりあえず、テンプレ通りの悪役令嬢もののように、攻略対象者を敵側に回さないことを目指す。
そう、たぶん、政治家が有権者に投票をお願いするような感覚で。
十五歳。
僕らの一学年下。
そして、不登校児。
名前は、小林 立。
僕がまず接触することにした相手だ。
葛切さんが、小林くんの対処を後回しにしたのが頷ける。単純に攻略がむずかしい。学校にいない攻略対象は攻略しようがない。
少なくとも不登校の人物は小説にはいなかった。どんな基準によって、彼が攻略対象だと知れたのだろう?
そして現実世界で彼はどんな影響を僕らに与えうるのだろうか。
「なー、なんで引きこもり少年の家なんかに行くワケ?」
カウンセラーにでもなるのか、と洲崎くんが皮肉げっぽくニヤニヤ笑おうとしているが、やや引きつっている。
葛切さんがいなくなってはや一週間。放課後を利用して小林くんの家に向かった僕に、彼は勝手について来た。
同行を了承しないなら、後ろからこっそりついて行くまでだと言われたら、どうしようもない。僕では彼を撒く事は出来ない。なにせ彼は前の学校で陸上部にいたと言う。
「協力をお願いするんだ」
「なんの」
「葛切さんの味方になってもらうために」
「本人はここにいないのに?」
「…。そうだよ」
「えー。ヘンなの。それより帰ろうぜ。猛暑の時に出歩くのって自殺行為じゃん」
俺もう死にそう、と僕の背中越しに文句を言う洲崎くんに、返事をする。
「別に帰ってくれていいよ」
「行くけどさ、行くけどさ。…………はあ」
空調の効いている学校とは違い、さすがに屋外は暑い。
着ている夏服には遮熱の機能がある。そして、地温調節機能のある肌着を身につけてもいる。しかし、気温はそれらの機能をはるかに上回っている。暑いというより、もはや痛い。上からの日光も、アスファルトで跳ね返ってくる熱も、まるでレーザービームのように僕らの肌を焼き尽くす。
街路樹の木陰なんてなんの役にも立たない。
土埃の乾いた匂い。
額から滴り落ちる汗。
紺のクラバットには塩の結晶ができている。
気分は最悪だ。
結局、学校から十分ほどの道のりを、その間中洲崎くんはワアワアと文句を言い続けた。その割に足取りは僕よりもしっかりとしていたのだから、ただ文句が言いたかっただけだろう。
目当ての高層マンションが見えた時、歓声をあげたのは僕ではなく、洲崎くんだった。
「オートロックじゃん。どうすんの」
しかしガラス製の出入り口を前に、学校を出た時より投げやりに、洲崎くんが僕に尋ねる。
平日の午後だから、出入りをする人がいない。
僕らは普通にエントランスに入る。
外より多少涼しい。そっと息をつく。
「あれ、そもそも部屋番号知ってんの?」
「うん」
「………どうやって? いや、もうなんでもいいから早く上げてもらおう」
管理AIに部屋番号を告げると、指紋の照合がされ、しばらくして通行ドアが開いた。
「どういうこと?」
目を白黒させている。
「最近、たまに、担任の大木先生と話をするんだ。小林くんの話をしたら、ぜひ会ってくれって言われて。昔からの知り合いみたいで、お母さんに話をつけてくれた。今日伺うことも知ってるよ」
エレベーターに乗り込み、指定の階で降りる。
『小林』の名前の付いた、懐古主義で一時期流行った、時代を感じさせるプラスチックのネームプレート。それがかかっている部屋の、昔ながらの呼び鈴を鳴らす。
しばらくして恐る恐る、と扉が開いた。
隙間から小さく顔が覗く。
「あんたらが下に着いた時から見ていたけどさ、」
出迎えたのは本人だった。
小林少年は小柄で痩せっぽちで、不安そうに顔をしかめる。
「だれだよ。お前ら。高校の制服着てるのに、どうして母さんから通行許可なんてもらってるんだ。もしかして…」
そうして、ぴょんと眉を刎ねあげる。
「ぼ、僕らは同じ学校の…」
「学校には戻らない」
自己紹介を済ませる前に、ぴしゃりと取りつく島もなく遮られる。
「いや、あの」
二の句を継げずに、次に何をいうか迷う僕を押しのけて、代わりに洲崎くんが前に出る。
ドアのヘリをガシッと掴んだ。
「な、なに」
小林くんは目に見えてひるんだ。
いけ、洲崎くん。
「あのさ、わるいんだけど中に入れてくれない?」
しれっと図々しいことを要求してのける。
「なんでだよ」
小林くんの眉はこれ以上ないくらいに、しかめられた。
「どうしてって」
洲崎くんがふっと笑った。
「倒れるから」
途端、洲崎くんの体から力が抜けた。
がこん、と鈍い音がする。
ドアに頭を打ち付けたのだ。
「洲崎くん?! ……洲崎くん!」
マンションの廊下に野太い悲鳴が響いて反響した。
✳︎
いわゆるデザイナーズマンションと呼ばれるタイプの住居なのだろう。
高層階にあるのを活かしているのか、リビングルームは、ベランダに面した壁が全てガラス張りになっていて、開放感がある。
おしゃれな黒革のソファに洲崎くんはだらりと凭れる。額には保冷を当て、片手でそれを固定し、もう片方で夏色のグラスから飲み物を流し込んでいる。
「それ飲んだら、とっとと帰れよ」
小林くんといえば、ぴくぴくと頬を引きつらせ、一瞬でも目を離してはならないと距離を保って僕らを監視していた。
「小林少年。もういっぱいちょうだい。いやあ、あんな灼熱地獄の後では、ここは涼しくて天国のようだなあ」
ぷはあ、と飲み干したコップを小林くんに差し出す洲崎くん。
しぶしぶといった様子で、それに冷茶が注がれた。
「まさか洲崎くんが、こんなに弱いなんて…」
倒れた洲崎くんでてんやわんやの大騒ぎを繰り広げた。立ちくらみを起こしただけだから、と本人はのんびり救急車を拒否したけれど、本当に大丈夫なんだろうか。暑さで判断力がなくなっているんじゃないか心配だ。
床に直に座って僕もお茶をいただいた。こういうところ、小林少年は親切だ。
「42度もの暑さの中、平然としているかすみくんがおかしいんだよ」
「たしかに僕はわりとタフな方だけど…」
そんなに歩いたわけでもない。
「世の中、なんでも強い人間を基準にすればいいってもんじゃないだろ。昨今、大抵の人間は弱いの。暑いときは、部屋の中を涼しくして篭るのが普通なの。常識なの。それを嫌がる俺を連れ回してさ。謝ってよ。まったくもう」
「ええ…、理不尽」
僕の言葉にふん、と鼻を鳴らす。
そして、ゴロンとソファに寝転がった。逆ギレだ。
僕はそっとため息をついて、会話を神経質そうに伺っている小林くんを盗み見た。
小林くんはそれを敏感に察して、しかめつらで固定されてしまったかのような眉をさらに歪めた。
「ムダだから。…おれは、絶対に学校に行かない」
「なんで、そんなに拒否するんだ。そんなに学校がイヤなワケ?」
洲崎くんが暑さでいらいらしてるのか、だいぶ率直に質問する。
「今時学校にわざわざ通う事は義務じゃないんだ。僕の学力なら家での勉強ですむ。今更なにしに来たんだよ? だいたい、あんたら学年が違う………………じゃないですか」
急に敬語に変わった途端、表情はもはや親の仇でも見るかの様相に変わり、今にもその口から火炎を吐き出しそうだ。
確かにそうだ。
思うに、ネット世界の黎明期というのは、まさに僕らの祖父母の時代にあったのだろう。
旧型のパソコンから、新型への移行だけではなく、ネットを通して人間関係の構築や、社会への風刺も行われた。その中で特に革新的だった変革は、教育のあり方だ。
当時の『小学生男児』が『学校に通うことの無意味さ』をネットで説いて、社会問題になったのだそうだ。やがて彼の意見は社会に浸透し、学校に生身の人間が通うことの必要性が問われることになった。
結果、『在宅』か『通学』かの選択は学生本人に委ねられるようになり、今の社会で『通学』のシステムを希望する学生は八割ほどだ。案外割合が低いのは、在宅での勉強をしている学生が職業選択において不利なためだ。現在の職業選択においてIQよりもEQもっとも重要視される。在宅での勉学は、定期的な教師とのカウンセリングがあるとはいえ、圧倒的に人間関係を学ぶ機会が少ないと見なされ、企業からは好まれない。
実際には両者の間には差なんてない、と云う論文も発表されているけど、偏見はどうしたってある。
これじゃ選択肢なんてあってないようなもんだ、企業のための野菜栽培をしているわけでもないのに、と教育に関心のある父さんは嘆いていた。
「で、でもさ、小林くん」
「うるさいな。わかってるよ。説教なんていらない。オマエみたいに正論を言う方は気持ちいいだろうさ。誰がどう見たって正しくないのはおれで、言う方は正しいんだろうから。でもうるさいんだよ」
そう喚いて、顔をくしゃくしゃとしょぼくれさせた。
「おれはお前らの言う正しいものなんてキライなんだ」
僕と洲崎くんは顔を見合わせた。
これは攻略どころか、話を聞いてもらうのすらむずかしそうだ。
✳︎
「あ、あのさ…。べつに君を学校に行くように説得しにきたわけじゃないんだ」
「じゃあ、なんで来たんですか」
ふてぶてしく小林くんが言葉を発する。
僕は来訪の目的を端的に告げる。
「学校で、なにかが起きようとしているんだ。小林くんに、僕らの味方になってほしい」
「はあ?」
小林くんの目が大きく見開かれる。
「なにかってなんだよ。暑さで頭がおかしくなったのかよ」
僕は正直に話すことを決めていた。自分自身にうまい嘘がつき続けられるとは思わない。嘘から生まれた矛盾を指摘されて動揺を隠しきれるとも思わない。それなら、すべてを語らなくても、少なくとも正直に話すのが最も良い方法だと思ったのだ。
なにより、小林くんの希望の如何に関わらず、きっと事態に巻き込まれることになる。僕がここに来なくても、彼が『登場人物』なら、物語の強制力が働くかもしれない。その時、前もって情報を知っているのと、いないのとでは、同じ状況に面してもできる対応がちがう。
どこまで知っているのかは分からないけれど、洲崎くんだってそうだ。
彼らにだって、知る権利がある。
それをするのが、葛切さんにとっていい結果になるかどうかは、まだ分からない。
あくまで葛切さん自身の転生のことだとかは伏せて、何者かが小説通りのイベントを起こそうとしていること、葛切さんが桃井さんと戦わなければだれかの命が奪われるということ、実際にかずやの命が奪われたことを話した。
話すうちに、僕らは自然と身を寄せ合う形になった。
すべてを話し終わった後、小林くんが唖然と言う。
「なにそれ……。ゲームみたい。なにそれ、本気で信じてんの?」
その目には猜疑心と興味の両方が浮かんでいる。
僕は真剣に頷いた。
「なんで警察に届け出ないんだよ」
「警察はどうだろう」
洲崎くんがまじまじと僕を見つめ、言う。
「………今の証拠もない荒唐無稽な話を警察が信じるとは思えない。人って自分の常識外のことはそんなにカンタンに信じられないもんだよ。特に常識で塗り固められた大人はね。でもって、警察がなにをしなきゃいけないのか、説明できないでしょ、かすみくん」
小林くんは僕をじろじろと無遠慮に見つめ、宣言した。
「それならなおさら、おれは学校になんか行くわけないだろ」
「でもさ、」
洲崎くんが顎に手を当てる。
「君がその、攻略対象者なら、遅かれ早かれ桃井がここに来ると思うけど、小林少年、いいの?」
「…それは」
「俺、話したことあるけど、けっこうやばいよ。あれ」
いや、堕ちたら堕ちたで幸せなのか、となんてこともないように煽ることを言って、洲崎くんは首をかしげる。
「それは…いやだ」
「じゃあ」
小林くんは不服そうに口元を歪ませる。
「味方、っていうのになってもいいけど、おれの言うことを聞いてもらう」
そしてふん、と、
「でなきゃ、協力なんてしない」
と息巻いた。
そのすぐ後にうへえ、と洲崎くんが声を上げたのは、どんな意味が込められていたんだろう。
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