第20話 主人公、悪役令嬢になる。

 翌日の放課後。

 結局、葛切さんは、彼女がなにを考えているのか、僕に教えなかった。

 話すことなど何もない、そんな顔をしてさっさとどこかに行ってしまった。


 「アオイ」。誰なんだ。


「やーい。葛切今日来ていないんだってな」


 現れた洲崎くんが、からかい混じりに呼びかける。

 家に帰る気分にもなれずに図書室で勉強をしていたのだった。

 タッチペンで端末に書き込んでいた文字が筆圧で歪む。


「どこいったんだよ、あいつ。かすみくん、知らないの?」


 にやにや笑いながら嘯く。

 心なしか嬉しそうに見える。

 どうやら今日の彼は無気力ではないらしい。

 それともいつもの彼は猫をかぶっていて、こっちが素なんだろうか。

 僕は黙って首を横に振る。


「なんでそんな落ち込んでるワケ」

「落ち込んでなんか…いないけど」

「そうなの?」

「逆に、洲崎くんは何でそんなにうれしそうなの?」

「え、だって。葛切がいないってことは口説き放題じゃん」

「え?」

「そうそう。葛切じゃなくて、俺にしとけよ」


 唖然とした。

 まさか連続で、こうも人から口説かれるなんて。

 飄々と言ってのけているけど、冗談じゃない。


「なに言ってるの…」

「俺は転校生で、この学校のことを多く知らない。アンタ、適任なんだ。それに、アンタみたいなタイプって飼い主がいないと不安で不安で仕方がないんだ。俺が新しいアンタの飼い主になってやるよ」


 くいっと、自信ありげに顎を持ち上げて、僕に問いかける。


「…ああ。なるほど」


 そういう意味か。

 そう言えばさくらちゃんも、あの告白、よくよく思い返してみれば、そういう意味で言ってたんじゃないだろうか。色々と忙しくてすっかり抜け落ちていたけど。


「どう?」

「…やめとくよ」


 なんなんだろう。揃いも揃って。

 ものすごく腹が立つんだけど、気のせいだろうか。

 僕と葛切さんの関係をそんな風に取られたくない。


 僕らの関係は、

 もっと…、

 …。

 もっと希薄なものだ。


 僕の執着に対して、葛切さんの僕に対する感情は希薄だ。この学校でもっとも彼女に肉薄しているのはきっと僕だろう。でも、秘密を共有していてなお、僕らの間には大きな隔たりがある。


 彼女の興味は基本的に僕に向いていない。

 彼女の視線はいつだってもっと、外に向いている。


 それでもいいと思っていた。

 彼女が、僕に圧倒的な無力感から立ち上がるきっかけをくれた。

 彼女に、かすみくん、と笑いかけられるだけで、満足だった。

 彼女のくるくる変わる表情を美しいと思った。

 だから、それに満足して、必要以上に望むことはしないと決めている。


 でも、やっぱり少しだけ辛かった。

 もう少し僕に興味を持ってくれればいいのに。

 僕の気持ちを分かってくれればいいのに。

 この薄汚い内心を知らしめて、同じ気持ちにさせてやりたい。

 そんな風に思ってしまう。そういう感情を消そうと思っているのに、うまく行かない。


 海堂くんは恋愛的な意味で、僕が葛切さんに好意を抱いているって言ったけど、たぶん、そうじゃない。そして、恋愛じゃない以上、僕らの関係に落とし所なんかないのだ。

 僕にできることは、葛切さんにとって最良の関係になることだ。


 だけど、もちろん僕らの関係が飼い主とペットであって良い訳でもない。

 僕は、一人の人間でありたい。できるなら。


「あーあ。マジで捨てられた犬みたいにしょぼくれちゃって。ま、断られるとは思ったけどさ。ま、じゃあ、いいお友達でいましょ、ってことで」


 あっけらかんと洲崎くんが言う。

 小粋に肩を竦めて。

 ぜひ、その有り余っている余裕を分けて欲しいものだ。思わず顔を手で抑える。

 表情を表に出しているつもりはないんだけど、僕の感情は分かりやすいんだろうから。色んな人が僕の執着心を知っている辺り、きっとそうなんだろう。普通に恥ずかしい。


「ん、まさかホントに捨てられちゃった? ま、俺は驚かないけどね。かすみくんだって分かってたんじゃないの? そんなもんだって」

「ちがう。そうじゃない」


 だけど、僕の言葉を洲崎くんは全く意に介さない。


「あの綺麗なツラの下で、なにを考えているやら」


 葛切さんが自分の身近の人間を危険にさらすはずがない。危険な目に遭いかねない人を見捨てるはずがない。まるで他人の野中くんにそうしたように。その対象が誰であったって。


 それとも僕は彼女に過度の期待をしているのだろうか。彼女ならまるで物語のヒーローのように何でも解決してくれるって?

 そうじゃないって言い切れなかった。


 それでも僕は葛切さんを信じている。盲信じゃない。経験からくる信頼だ。


「睨まないでよ。…ねえ、本気で気になるんだけど」

「なに?」

「葛切のなにがそんなにいいワケ? 俺、本気で分からないんだ」

「え?」

「たしかに顔は綺麗だよ。そりゃもう整いすぎてキミ悪いってくらいに。でも、あんなに異次元だと、とっつきにくいだろ」


 なにを言っているんだろうと思った。


「とっつきにくい?」


 葛切さんが?

 一回でも話せば、「とっつきにくさ」とはまるで正反対の人物であると、すぐに分かると思うのに。それに、前に三人で会った時、彼らはまるで流れるように言葉を交わしていたではないか。


「なにを考えてるのかまるで分からない。企業から女子高生が睨まれるなんてだけで、そりゃもう異次元の話だけどさ、それでも葛切はなんかおかしいよ。どこか…そう、『ズレてる』。どこがかは分からないけど。…ぶっちゃけ。俺は企業の意味不明な指令よりも、葛切の方がこわい」


 洲崎くんの話を聞いて、以前、同じような感覚がしたことを思い出す。

 彼の言い草は、以前僕がかずやの葬式で、あの「自称神」に遭遇した時に抱いた感想とそっくりだ。理解できなくて気味悪い。


「そっか」

「怒らないんだな」

「人がどう感じているかまで、コントロールしようと思わないよ」

「っは。そりゃどうも」


 ただ僕には葛切さんに対してその感覚は抱かないというだけで、そういう人がいてもそれはおかしいことじゃない。彼女には言わないで欲しい、とは思うけど。そんな個人ではどうしようもない事で、万が一にも傷ついて欲しくない。


「………それに、葛切さんは、とても一生懸命な人だ」

「そういうとこなのかねえ」


 そっぽを向いた洲崎くんに、僕は話題を変える。


「…ねえ、洲崎くんは、どうしてスパイしているの?」

「俺? 親父が海堂製薬で働いてんだけど、ロクでもないやつでさ。自分の出世のために子供を使おうと考えてんだ。使う側はいいだろうけど、使われる方はサイアク」

「もしかして、お父さんのこと、キライじゃない?」


 貶しながらも、本気で嫌っているようには見えない。

 洲崎くんの唇が不服そうにグニャリと曲がる。


「キライだよ。仕事しすぎて母さんを泣かせて。家で顔を合わせることもほとんどない。仕事だなんだ、って言い訳してるけど、狙いは出世なんだ。我欲の鬼だよ。好きになりようがない…でも、まあ少しだけ尊敬してる。ああは、なりたくないけど」


 僕は感嘆した。


「…洲崎くんは、よく喋るスパイだね」

「向いてないと思う?」

「うん、そう思う」

「やっぱり?」


 クスクス、と洲崎くんが笑い声をあげた。

 そういう手練手管かもしれないけど。


「ところで、なにしに来たの?」


 まさか、さっきのが本題だったんだろうか。

 それともただ、僕と話をしに?


「ああ、忘れるとこだった。葛切から伝言だ。『悪役令嬢は任せた』だって。なんのこと?」


 何で葛切さんは僕に直接連絡をくれないんだろう。お互いの連絡先は知っているのに。

 …きっと、それが面白いと思っているわけではないんだろう。きっと。

 深々とため息をついたのを見た洲崎くんがなにを勘違いしたのか、


「おー、青いねえ」


 と茶化してきた。

 彼が年齢詐称しているんじゃなきゃ、僕らは同い年だ。



« 幕間 »


 与える方と与えられる方。

 縋る方と、縋り付かれる方。


 この二人の関係は非常に不安定だろう。そう辺りをつけていた。

 おそらく活発な葛切から大抵働きかけ、佐藤がそれに応える。しかし、より、関係に縋っているのは佐藤の方だろう。


 交友範囲が狭い人間ほど視野が狭いことが多く、些細なトリガーによって特定の物に執着しやすい。それが他者から見れば、どんなに些細に思えることであっても、だ。反対に、葛切みたいなそれなりに人生に恵まれている人間は、自分に重い感情を向けられていることを理解はしていても、それがどんなに重く、切望されているのかだなんて想像しようもないはずだ。


 誰からも愛される人間には、誰からも愛されない人間の気持ちなんて分かりようがない。

 そして、佐藤は自分のことを「愛されない人間」だと思うタイプだろう。

 事前に渡された簡素なレポートによれば、『家族関係は良好』とのことだったが、家族から愛されても、社会から愛されなければ孤独を感じることもある。

 葛切が自分に執着する人間で人形遊びするタイプではなさそうなのは、佐藤にとって幸いなのかもしれなかった。



 佐藤と比べて、葛切は異様だ。

 遠目に観察して、まず感じたのは違和感だった。

 人形のように完璧に整った顔。耳心地のいい柔らかい声。


 空いた教室に引っ張り込まれた時、目を剥いて疑わしげな佐藤とは裏腹に、葛切はすべてになんらかの確信があるようだった。

 その意図がどこにあるかは不明だが、質問は、なんらかの答えを得るためにされたもののようには思えなかった。その場その場に合わせて適当に喋っているように聞こえたが、実はなにか意味があるのかもしれない。

 彼女はその場その場で、『そうであるべき』行動をしているように思える。


 俺が転校してきてからしばらくして、校内で複数の男子生徒に接触をし始めたらしいが、これは『聞いていた通り』なので、そう驚きもしなかった。


 しかし、なにもかもを暴いてやるという言動とは裏腹に、その態度はまるで人形だ。表側の面を取り除こうとしてみれば、感情の起伏がよく分からない。不気味だった。



 そして、そんな葛切と佐藤が一緒にいて、強い拒否感を抱かないのが不思議だ。

 執着しているとはいえ、決して信奉している様子ではない。考える能力のない盲目な羊は、もっと感情的で、愚かに見えるものだ。

 …例えば、自分の父親のような。



 俺の父親は、仕事さえしていれば「家族」というものの形を維持していられると考える人間だ。


 金を稼ぐために仕事をして、その金を家族に配給するという形で、家族に貢献していると考えている。だから、わざわざコミュニケーションをとらなくても、金を入れているんだから構わないだろうと。

 「仕事があるから」という言い訳で全てのことから逃げられると考えている。


 幼い頃、なにかの用事で父親に連れられて会社に行ったことを覚えている。デスクにはピンボケした家族写真が飾られていた。父親の部下だという若い女性に「お父さんはねえ、いつもあなたたちの話をしてくれるのよ」と言われて思ったものだ。

 一体、俺や母のなんの話をしているのだろう、と。

 たぶん奴は、俺たちのなにも知らない。


 実際にその頭の中にあるのは、己の虚飾の欲であることを、家と外での態度の違いから、知っている。出世したところで、せいぜい給与の額が上がるだけだと思うのだが、それは何よりも父親にとっては大事なのだろう。


 それでも転校してまで、こんなことをする気になったのは、そんな父親を哀れに感じたからか。


 そして今のところ、狙いはうまく行っているようだ。

 葛切が自分から、俺に接触を図った。


「俺、案外スパイ向いてんのかもな。やれやれ」


 伸びをすると、肩からコキっといい音がした。

 それから慌てて図書室から出て行った佐藤を追いかける。


 自分にはまるで予測のつかない何かが、起ころうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る