第19話 まさかの裏切り

「どうして、ここに?」

「こっちが聞きたいなあ。かすみくん、授業が始まっても戻ってこないし、これはなんかあったに違いない!と思ったのだよ」


 乙女の勘!と鼻高々な葛切さんに、


「あ、そう」


 適当な返事を返す。

 少し躊躇うそぶりを見せたあと、実はさ、しんみりと葛切さんが切り出した。


「昼寝してたらかすみくんの夢を見たんだ」

「へ?」

「そう言ったら、信じられる?」

「なに言って…」

「冗談だよ」


 葛切さんが笑う。

 そこに割り込むのは、いかにもつまらなさそうなさくらちゃんだ。


「ちょっと、二人だけでいつまで会話してるのぉ」

「あ、ああ、ごめん」


 ええと、なんの話をしてたんだっけ?

 唐突な展開に頭の回転が最悪なまでにローな僕とは違い、さくらちゃんが繰り出す言葉はまるでカッターの刃のように鋭かった。


「ちょっと化け猫、かすみくんはあたしに会いに来たの。邪魔しないで」

「化け猫?」


 もしかして葛切さんのことだろうか。

 当の本人も気がついているだろうに、飄々としている。というか茶化し出した。


「えー、かすみくん。モテるー」


 ふざけてるのか、この人。


「ところで、化け猫ってだれのこと?」


 あ、食いついた。


「あんたしかいないじゃない」


 さくらちゃんが鼻をふんと鳴らした。


「化け猫のくせに。かすみくんのこと侍らせたりして」

「桃井百合の妹、桃井さくらさん」


 葛切さんは説明がなくても、さくらちゃんが誰だか知っていたらしい。

 興味深そうに彼女を見つめる。


「会うのはこれが初めてだと思うんだけど。わたしは君に何かしたっけ?」

「したわよ」


 さくらちゃんが葛切さんを睨みつけた。


「いいえ、今もしてる」

「君のお姉さんのこと?」


 葛切さんが首を傾げた。


「そんなことはどうでもいいのよ。…なの」

「え?」

「邪魔なの、あんた」


 それは、なんとも分かりやすい嫌悪だった。

 混ざりけなしの嫌悪だった。

 葛切さんは飄々としてるが、僕がこんな感情を向けられたら、まず間違いなくひるむ。混じり気がないぶん、純度が高く、攻撃力も高い。


「自分は全部持ってるくせに、あたしから全部奪おうとする。おねえちゃん同等のクズ」


 横目で葛切さんを伺うと、彼女は愉快そうな顔をしている。

 罵られてるのにこんな顔をしているなんて、本当に葛切さんはおかしい。


「桃井百合とわたしが同じくらい?」

「そうよ」


 なるほど、と葛切さんが何かに気がついたように満面の笑みを浮かべた。


「君かあ! 前から感じてた。桃井は性格が直情的なのに、行動が賢しい。君でしょ、『神様』との内通者!」

「だから、なに」


 『神』の言葉にさくらちゃんが、微笑んだ。まるでその言葉を口にするだけで、耳にするだけで、ご利益があるというように。恍惚としている。


「裏から手を回してるのは君、物語のあらすじを変えたのも君。まるで現場監督みたいに指揮をしている。自分の姉を裏から操って男を籠絡させているのはどうして?」

「そんなことも分からないの」


 そう言ってせせら笑う。

 葛切さんがウンウン、と頷いた。


「それが分からないんだよねえ。でも、あくまでわたしの勘だけど。男を籠絡させようとしているのは『神』でも、ヒロインはもともと君のためのものだったんじゃない? だってそっちの方が連携が取りやすいもの。それなのにどうして役割を姉にその場所を譲ったの?」


 さくらちゃんが笑う。


「壊すためよ。自分に気に食わないものを全部壊すため」

「そっかあ」


 葛切さんもますます笑みを深めた。なんだか本当に嬉しそうだ。もしかして、気に食わないものを壊す、というところにシンパシーを感じたのだろうか。だとしたら、こんなに嫌悪の感情をむき出しで向けられているのに、葛切さんの神経は図太い。やっぱり図太い。どうかしてる。

 僕のさくらちゃんによって齎された動揺は、葛切さんの相変わらずな態度に、平静を取り戻していく。

 それに反比例してさくらちゃんの機嫌は急降下し、吐き捨てた。


「ばっかみたい。そんな余裕のあるふりして、自分ばっかりなんでも知ってるふりして。ばっかみたい」

「そうかなあ」

「そう。それにあたし知ってるんだから。あなたの弱み」


 そして、さくらちゃんは挑むように僕を見た。

 その目が言っている。かすみくん、なんにも知らないんだよ、って。

 何かとんでもないことを言おうとしている、そんな気がした。


「アオイ」


 たった三文字。

 その言葉に葛切さんの表情が凍りつく。

 なんのことだろう。


「もしあたしの手の中にあると言ったら?」


 それはまごう事なく脅しだった。なんて高校生だろう。


「…どういうこと」


 葛切さんの声が揺れる。

 さっきまでの上機嫌と比べたら、それはもう天と地ほどの差もある。


「どこかにいるの?」


 どこにいる、とは、「アオイ」とは人の名前なのだろうか。


「葛切さん?」


 呼びかけるが、僕の声が彼女に届かない。

 彼女の顔は顔面蒼白になっていた。


「言ったでしょ。あたしの手の中だって」


 さくらちゃんが勝ち誇った。

 僕の胸がドクンと嫌な音を立てた。

 彼女にそんな顔をさせることができる人がいるなんて。


「葛切さん、誰のこと?」


 出来るだけ平静を装って聞く。

 『アオイ』という人物は一体誰なんだろう。

 彼女の姿が、僕を動揺させる。

 僕の疑問に答えたのはさくらちゃんだった。


「この女の大事な人。前世のすべて。それなのにかすみくんにまで手を出すんだから、ひどいよね。ビッチ」

「葛切さんの、大切な人…」

「いや…」


 何かを言いかけた葛切さんを遮り、ぴしゃりとさくらちゃんが言い放つ。


「否定すんの?」

「…」

「ほら。かすみくん」


 それでもまだこの人がいいの?、さくらちゃんがそう問いかけるように僕を見る。

 身のうちに巣食う、おぞましい感情が暴れだしそうだ。


 羨ましい。

 その誰かが。顔も知らない誰かが。こんな風に注意を向けてもらえるだなんて。だって、彼女がいなかったら、他の誰が僕に価値を見出してくれる?


 いや、そうじゃない。

 わかっていた癖に。理性的な人格の僕が、もう一人のままならない本能のままの僕に語りかける。

 拳を握りしめる。

 そう、これは分かっていたことだ。それに、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「葛切さん」


 彼女に呼びかける。

 今度は声に反応して、その視線が僕に向く。

 人形のような、夜の色をした瞳が。


「大丈夫だよ」


 なんの根拠もない言葉に、大きな瞳が瞬きをした。


「え?」

「大丈夫」


 僕の方を向いていても、どこか焦点の定まっていなかった葛切さんの視点が、ほんの一瞬、定まり、そしてまたどこかに去っていった。

 なにか言わなければ、と思ったのに、結局なんの意味もない願望めいた言葉しか出てこない。

 たくさんの物語を読んだくせに、気の利いたことを言えない自分の無能さが恨めしい。

 さくらちゃんが酷薄な笑いを浮かべる。


「最後に勝つのはあたし。だれも、なにも、何一つだって、譲らない。あたしは本気なの。そのためだったらなんでもする」

「そう」


 葛切さんは困ったような顔をした。


「『悪役令嬢』から降りて葛切かな。そして姿を消して。あたしのゲームにあんたはいらないの」

「そんな!…それじゃ」


  『神』は言っていた。ゲームをしなければ周囲の人間を殺す、と。

 さくらちゃんは、葛切さんに間接的に人を殺せ、と言っている。

 そんなことを葛切さんがするはずがない。


「するよ、でしょ」


 僕のそんな思いを見透かしたようにさくらちゃんが僕に言う。

 僕は愕然とした。

 葛切さんは、薄く笑った。


「分かった」

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