第15話 世界の雛形

 家に帰って、端末ではなく旧式のパソコンを立ち上げた。古いのでくるくるとモーターが回転する音がして、まもなくホーム画面にたどり着く。

 桃井さんのお祖母さんに貰ったひよこの形をした記憶媒体を差し込む。


 僕が桃井さんのお祖母さんに挨拶した時、彼女は無言で空を見つめていた。

 それも当然だ。

 桃井さんはおばあさんのことを離人症だと言った。デジタル性のものだと。

 デジタル性離人症は、僕らの世紀に入って急激に増加してきた病気だった。デジタル性は、そのほかのものと症状が違う。

 まず、人々は自分の本体がパソコン画面の向こう側、ネット世界にこそあると感じるところから始まり、やがては現実世界にいる自分を全否定するまでに至る。その結果、初期は端末を必要としていたのが、末期にはなにも無くても自分の心の内にあるネットに籠るようになってしまうのだそうだ。この症状を罹患している人には弱視が多いのも特徴だった。

 患者にとっては、この世界は全く本物ではないのだ。

 本物でない世界で生きる必要はない。だから、患者の体は生きるのをやめるかのようにゆるゆると衰弱していき、やがては死に至る。

 僕らの祖父母世代に特に多い病気だ。

 桃井さんはデジタル性離人症にかかったこのおばあさんと一緒に暮らしている、らしい。


「おばあちゃあん、これおいしいよ」


 座卓の向かい側で、桃井さんがおばあさんの口元に和菓子を運ぶ。手慣れている。普段からきっとそのようにしているのだろう。

 僕に、


「こうしてくれるとおばあちゃん食べてくれるの」


 と笑った。


「…桃井さん。ご両親は今日はいないの?」


 不思議だった。

 どうして桃井さんが僕をおばあさんに紹介しようとしたのか。別にそれがイヤだというわけじゃない。だけど、対話が可能でない相手を僕に紹介するのはどうしてだろう。

 何かを企んでこうしている、という感じはしない。

 おばあさんは桃井さんにとって、とても大切な存在なのかもしれない。

 だとしたら、そんな大切な相手を僕に紹介する、その意味はなんだろう。


「親はここに住んでいないよぉ」

「そうなんだ」

「おばあちゃん、この子はねぇかすみくんって言うんだよぉ〜。あたしの敵なの」


 にこにこと桃井さんがおばあさんに話しかける。

 やはりお婆さんは答えない。

 そもそも桃井さんが、こんな風に他人に接する人なんだということが僕には意外だった。学校での彼女はいかに異性の目を引くかを考えているようで、自分の利益にならない人間は興味がないタイプだと思っていた。それはあくまで冷徹に計算された結果ではなく、まるで興味がないゆえに弱者が眼中にないのだと。

 でも、この彼女はそうではない。

 僕はあくまで彼女という人間の一面しか知らない。

 だから、僕の印象が間違っていたと言うことだろうか。そんなに僕の印象は間違っていただろうか。


「かすみくん、おばあちゃんはねえ、昔小説を書いていたんだよぉ〜」

「え?」


 桃井さんが表情の読めない顔でにこにこと笑っている。


「『小説家になろう』にも投稿していたみたい〜」

「…そうなんだ」


 僕に会わせたのはこのためだろうか。


「葛切かのってご存知ですか?」


 僕はおばあさんに向かって問いかけた。

 返事が返ってくるかは分からないけれど、もしかしたらと思ったのだ。

 しかし、案の定おばあさんは黙ったままだった。


「おばあちゃん?」


 でも、

 体の方は反応した。

 おばあさんの体が動いた。

 先ほどまで弛緩しきっていた体は、ゆるゆるとその腕を持ち上げる。

 腕が僕に向かって伸ばされる。

 僕が思わず手のひらを差し出すと、何か硬いものを握らされた。

 しかし、意思を持ったのは、それだけで、すぐにまた全身から緊張を解いてしまった。

 桃井さんがおばあちゃん、と優しく呼びかけているが、反応を示さない。

 僕は掌に収まっているものを確認した。


「これは?」


 小さな記憶媒体。

 いわゆるUSBメモリと呼ばれたものだ。小さなひよこの形をしている。

 桃井さんがテーブルの向こう側から身を乗り出して、僕の手元を覗き込む。


「あ〜、それおばあちゃんがいつも握っているやつだぁ。昔言っていた、お守りなんだって」

「僕がもらっちゃダメなやつなんじゃ」

「別にいいんじゃないのぉ。よかったね、かすみくん」


 桃井さんがクスクスと笑った。

 彼女は、これを僕に渡すために、自分の祖母と僕を合わせたのか?

 ひよこの、プラスチックの小さな瞳が僕を見つめていた。





「かすみくん、ホントに帰っちゃうの?」


 そうして、屋敷の出口まで見送りに来てくれた桃井さんは、まるで恋人同士の別れのような甘い言葉を吐いた。


「葛切をやめてあたしにしなよ。あの雌猫、よくないと思うなあ。かすみくん、連れて行かれちゃうよ」


 桃井さんの暴言をスルーして、僕はずっと気になっていたことを聞いた。


「桃井さん、君はだれ?」


 桃井さんが薄く微笑んでうそぶいた。


「かすみくんとなら寝てもいいと思ったんだけどなあ」


 それから、またね、と門扉が閉じられたのだった。



✳︎


 端末とは違う、画面という存在がチカチカと目に眩しい。道理で僕らの祖父母世代に視力矯正手術をしている人が多いわけだ。

 画面に表示されたフォルダをクリックすると、出てきたのはフォルダの内容ではなく、ひよこのキャラクターだった。デフォルメされた姿。フォルムも目もクリクリしている。そして、黄色い。

 一回動物園で見たひよこも確かにこんな感じだった。

 なるほど、容れ物と中身は同じものだったらしい。


「なんだろ、これ」


 カーソルでつんつんとクリックをした。


「なんだとは失礼だな、きみ!」


 甲高い声がパソコンのスピーカーから流れてくる。

 僕はびっくりした。

 どうして僕の声にレスポンスしているんだ。


「ふふふ。驚いたな。顔の非対称性の度合いが上がった」


 ひよこがひよこのくせにニヤニヤとした笑言い方をする。


「僕のことが見えている…?」


 なんということだ。


「ボクにだって目があるんだぞ」


 僕が使用しているパソコンには確かにカメラが付いている。

 それを指して目と言ったのだろう。たぶん。


「な、なに」


 僕らの祖父母の世代にすでにAIなんてあったのだろうか。まさかパソコンで見ることになるなんて。

 ひよこはスタートアップ画面を縦横無尽に駆け回っている。必要のない動きをする。こういうところは初期型のAIらしい。

 僕のつぶやきを質問と受け取ったらしい。

 目の前のひよこがレスポンスをする。


「ボクはヒナだよ」

「…ヒナ?」


 雛、だろうか。

 鳥の雛。

 捻りもなにも無い。そのままだ。


「きみはどこの会社のサービスなの?」


 僕の言葉にヒナがまた怒った。

 目が三角形になっている。


「ちっがーう。僕は独立したAIだよ。そりゃ、一時期流行った世界構築ゲームのキャラクターのプロトタイプと同じ造形をしているけど。でもこれだって、カオリさんがボクに与えてくれた姿だ。かわいいだろ」

「カオリさん?」

「知らないの? ボクのマスターじゃないか」

「苗字は…桃井?」

「もちろんそうだとも」

「じゃあ桃井さんのおばあさんなのかな…」

「なんだ、カオリさんには子孫がいるのか」


 キャラクターが大きく目を見開く。


「子供どころか、孫もいるけど…」

「なんとまあ、時間が過ぎてしまったことだ」


 人間でいうなら落ち込む、そんな仕草だ。丸まっている。


「ところでゲームってなんのこと?」


 僕の質問にヒナが一瞬にして立ち直り、ペラペラと語り出す。

 その姿は誇らしげだ。ヒナにとってショックだったであろうカオリさんに孫がいたという事実を引きずっていない。ショックを受け続けるほどの高度な処理をされていないのかもしれない。その場合、再度この話題を持ち出せば、ヒナは同じ度合いのショックを受けるのだろう。そういう風に作られているのだ。


「プレイヤーが神の視点で世界を構築していくんだ。初期設定や関わり方によって、世界の成り立ちは変わってくる。AIによって構築された世界。その世界では、そこに生きる人間も個々の個性を獲得する。もちろん、人間からそう見えるってだけだけど、それはまあそういうゲームだから。このゲームの面白い点は、似たような初期設定の世界を二つ作って、そこの住人をもう一方に転移させることも可能だったってところ。ね、面白いでしょ」


 それを面白いと感じているのはヒナだろうか、それとも「カオリさん」なんだろうか。


「きみは、語尾にピヨ、とかつけたりしないんだね」


 画面をまじまじと見つめてそんなことを呟いてしまう。

 僕の無神経な一言にヒナは怒り狂った。文字通り頭から湯気を出している。画面の中で。


「し、失礼だな、きみは!! そんな安易なことカオリさんがするわけないじゃないか。そもそもきみはだれなんだ」

「僕は、…その、カオリさんの孫のクラスメイトだよ」

「…」


 ヒナが黙り込んだ。

 僕の言葉に嘘がないか計測しているのだろう。


「桃井さんのお祖母さんがきみを僕に渡した。僕はだから、その意味を知りたい」


 やがて、結果が出たらしい。


「カオリさんはボクに託したんだ。彼女の持っているデータの全てを」


 僕にまるで宣託を下すように告げた。


「ボクは初期型のAIなんだ。つまり、全ての情報の入力は手作業で行われた。カオリさんが一つ一つのプログラムを編み上げて、ボクという存在を作った」

「どうしてそんなことを?」

「カオリさんは自分のアナログの器では、自分の人生の経験を全て記憶しきれないことに憤りを感じたんんだ。だからボクを作った。自分の性格を含めて、経験したこと、その感情を記憶するためにね。と言っても、ボクはボクで違う個人なんだぞ」

「どうしてわざわざ」

「なぜって、そりゃあ、アナログをいくらデジタルに組み替えても、それは決して本人にはならないからね。それが本人の持論だったんだよ。ところで、彼女は死んだのかい?」

「まだ、生きているよ」


 思わず苦笑する。

 こういうところはAIだ。

 何も知らない無邪気な子供みたいな、礼に欠いた振る舞いをする。

 それにしても、どうして桃井さんのお祖母さんは、これを僕に渡したのだろう。人生の全てを詰め込んだ記憶媒体。それを持っていていいのは、僕じゃない。

 僕は自分の記憶を手繰る。

 そんなに長くもない人生だけど、すべてを明確に、正確に思い出せるわけではない。泣きたくなるほど感動したことだってあったけれど、それだって記憶の中では時間がたつほど曖昧になってしまう。

 僕の大切な記憶。かずやや、葛切さんとの出会いを、その時に抱いた感情を、思いを、そのまま記憶できるのなら。

 少しだけ、ヒナを作った「カオリさん」の気持ちが分かる気もする。どんな記憶でも失うのは惜しいものなのかもしれない。


「ねえ、ヒナ」

「なんだい。カオリさんの孫のクラスメイト」


 苦笑でさらに唇がつり上がる。


「カオリさんの記憶を検索してくれないかな。キーワードは、そうだね…『乙女ゲームの平凡主人公に転生してしまった』それから、『葛切かの』」


 ヒナが目を白黒させ、やがて計算結果を吐き出した。


「 乙女ゲームの平凡主人公に転生してしまった 葛切かの 検索結果: 1作品」


 これが何を意味するかは明白だった。

 葛切さんの前世とこの世界は、僕らが思っていた以上に、強固なつながりを持っている。

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