第14話 攻めの初心者

 木造の屋根。

 なんの屋根かというと、塀の屋根である。

 大きな日本式の屋敷の前で僕は立ち尽くしている。

 中はどうなっているのか伺えない。視界を遮る塀は高く、長い。

 お金持ちだ。

 これぞお金持ち、な家だ。

 庶民は家を塀で囲ったりなんかしない。囲ってしまったら万が一変な人が中に侵入しても分からないし、そもそもそんなお金のかかることしない。だって庶民だもの。

 この家はそんな庶民の、見慣れているがゆえに生じる親しみやすさ、そんなものとは程遠い。明らかに一線を画している。

 こんなに大きい家に住んでいるとは思わなかった。

 呼び鈴を鳴らしてもいいものか。

 僕は先ほどから門扉の前で指を出したり引っ込めたりしていた。


「あれぇ、かすみくん、ウチの前で何してるのー?」


 女の子の声。


「桃井さん?」

「うん、そうだよ? ここ、あたしの家だし」


 いつの間にか真横から、私服の桃井さんが僕を覗き込んでいた。

 どこかに出かけていたのか短パンにシャツという非常に夏らしい格好だ。そしていつも通りの二つ結び。頭にはサングラスをかけている。

 もちろん、僕は彼女に会いに来たのだし、会いたかったのだけれど、まさか彼女の方から声を掛けられると思わなくて、困惑する。学校での彼女は、僕たちのことを絶対に許さないと言いたげな雰囲気だったのに。どうやって彼女に取り入ろうか考えていたから、拍子抜けだ。

 ちなみに葛切さんは、いいアイデアかもしれないと送り出してくれた。

 彼女が掛けていたピンク色のサングラスをひょいと持ち上げて、まじまじと僕を見つめる。


「もしかしてあたしに会いに来てくれた?」


 うふふ、といたずらっぽく笑う。


「あ。いや…、今日は」


 あまりにも気安い。


「話なら中で聞くよ。どうぞぉ。寄って行って?」

「い、いいの?」


 一瞬、入ったら戻れなくなるんじゃないだろうか、とヒヤリとする。


「もちろん。今日は葛切、さんはいないんだね。もしかしてヒミツにこっそり来たの?」

「いや、そんなことはないけど」


 葛切さんには昨日図書室でここにくることは話してある。

 だから今日この後、僕が突然行方不明になったりしても、彼女にだけは僕の居場所が分かるはずだ。少なくとも、なにが原因かは分かる。きっと辿れるはずだ。

 辿ってくれるよね、という一抹の不安は気のせいだ、きっと。


「じゃあ、あたしを探りに来たんだ。でも、会えてうれしいなあ」

「…」


 黙り込んだ僕に、桃井さんはくすくすと笑うと、僕が呼び鈴を押そうか押すまいか迷っていたがゆえに、閉ざされていた木の扉をあっさりと押し開けた。鍵はかかっていなかったらしい。


「どうぞぉー」


 外から見た通り、中も広大だ。日本庭園が広がっている。

 砂利敷の小道を僕は桃井さんについていく。

 なんの木だか分からないけど、よく手入れされたうねりくねった樹木。こういうのも盆栽っていうのだろうか。奥には池まで見える。このご時世になんて豪奢なんだろう。


「お、大きな家だね」

「まあ、家だけは。昔からの地主だからねー」


 二股に分かれる砂利道を僕らは真横に向かった。先にあるのは、もう片方の道の先にある建物とは違い、大きさは半分くらいで、小ぶりだ。それでも普通の家屋くらいのサイズはある。もしかして客を迎え入れるための建物なのだろうか。


「あっちに住んでいるの?」


 大きな方の建物を指差す。


「あっちは母屋だよ。かすみくん、意外と詮索好きなんだねー」


 桃井さんが僕をちらりと振り返る。

 その大きな鹿のような瞳は探るように、僕を掠め見た。


「ご、ごめん」

「ええー。なんで謝るのお」


 桃井さんが笑う。

 どこか面白がるような、それでいて咎めるような。いや、そう感じるのは、僕が後ろめたく感じているからだろう。

 建物内に通された。中は外側の見かけ通り、和風な造りになっているようだった。

 僕が家族と住んでいるマンションだって外国なんかでは見かけない様式で、それだって日本的とか和風だとか言えるんだろうけど、そういうのとは違う、古くから続く長い歴史を持っているのがすぐに分かる、そんな和風な場所だ。

 こんな場所に桃井さんは住んでいるのか。

 階段を昇る桃井さんに従いながら、呆然とそんなことを考えた。

 桃井さんが階段の一番近くの扉を開き、僕を中に招き入れる。


「いいよ、入って」


 ベットに腰を下ろした桃井さんが、入り口で躊躇した僕に声をかけた。


「…でも」

「入って」

「うん」


 強い言い方に流された僕は、のろのろ、そろそろと落ち着くなく歩を進める。

 てっきり客室に通されるかと思ったのだ。

 でも、室内に誂えてある家具はどう見てもそのためのものではない。寝台に、勉強机、本棚、そんな見慣れたものが置いてある。

 桃井さんの私室に僕は招待されたのだった。

 桃井さんが自分の隣をぽんと叩く。

 そこに座れってことなんだろう。

 つまり、彼女のベットの上だ。


「他に座る場所ないからあ」

「ゆ。床でいいよ」

「いいから早く座ってよ」


 押し切られて、僕は腰を下ろした。


「…」


 桃井さんはなんてことのないように毛先のチャックなんかしている。


「あ、あの」

「あ、飲み物とってくるね」


 意を決して口を開いたというのに、桃井さんはさっと立ち上がると部屋を出て行ってしまった。

 僕は、密かにため息をつく。

 ど、どうしよう。




 不安が僕の手を端末に伸ばさせる。

 誰からも連絡は来ていない。


「お待たせぇ」


 しばらくして桃井さんが戻ってきた。端末を制服のポケットにしまう。

 手に持つお盆の上には、コップが二つ。

 ベッドサイドテーブルにことん、とお盆ごと置かれる。

 そして、そのまま僕の隣に座る。

 手を伸ばし、コップの一つをはい、と桃井さんが手渡してくれた。


「はい、麦茶でよかった?」

「うん、ありがとう」


 喉が渇いていたのかもしれない。

 冷えた麦茶は美味しかった。

 一気に飲み干す。

 おいしいな、と思って、それから桃井さんが僕をじっと見ているのに気がついた。


「も、桃井さん?」

「なあに?」


 桃井さんがそっと近づいてくる。

 僕は慌てて彼女に言う。


「ち、近いよ」

「そうだねぇ」


 片手が僕の後頭部に、もう片方が僕の手の上に回された。

 彼女の顔がどんどん近づいてくる。


「も、ももいさ、」


 感情の読めない双眸がただまっすぐ僕を見つめている。

 このこ、目の色がこげ茶なんだな。

 葛切さんの夜空のようなどこか青みがかった濃い黒と、ちがうんだ。

 呆然とそんな場違いなことを思う。

 彼女の髪が、僕の制服に触れる感触がし、ついに、距離がなくなった。

 とっさに目を閉じる。

 彼女の唇が僕の唇に触れた。

 柔らかい感触。

 手の中にあった空のグラスが床に転がる。

 舌が、割り込んできた。

 思わず、閉じた目を開いた。

 桃井さんは、僕を、見ている。

 ぬめりを帯びたそれに、歯列がつうと撫でられる。

 背筋がぞわりと震える。

 ちゅ、と小さな音がして唇が吸われる。それから、彼女が僕から離れた。


「ねえ、いいこと、しよ」


 甘えるような、くすぐったい声音。

 吐息が僕の口元にかかる。


「な、なにするんだ!」


 僕は拘束を振りほどいて、慌てて後ずさった。

 壁際まで後退して、ベッドからずり落ちる。

 それでも同じように降りて近づいてくる彼女に、手でこれ以上近づかないで、と牽制する。

 それを見た桃井さんは、


「あはは、かすみくん、かわいい」


 お腹をかかえて笑った。

 なんでこの子はこんなに慣れているんだ?


「よ、よくないよ。こんなの」


 僕の言葉はまるで彼女に伝わらないらしい。


「なんでぇ?」


 と僕の脚の間で、上目遣いで首を傾げる。

 あまりにも可愛くて、まるで計算し尽くされている。


「だって、僕ら付き合ってないよ?!」

「そうなの?」

「そうだよ!」


 僕は立ち上がろうとして腰が抜けていることに気がついた。


「こ、こういうのは好きな人とするべきだよ」

「誰としたって、楽しいでしょー。高校生だもん、みんなしてるよ」

「僕としてもきっと後悔するよ! ちゃんと好きな人とすればよかったって」

「ええー、あたしの好きな人ってだれえ?」

「か、海堂くん、とか 。だいたい、話をするんじゃ、」

「でも、あたしは今、楽しいことがしたいの」

「…」


 桃井さんが目を瞬かせた。

 見た目がかわいいのに、宇宙人みたいだ。この子。

 まるで価値観が違うし、どれだけ言葉を砕いてもまるで伝わる気がしない。

 ていうか、なんでこんなことをしようとしているんだろうか。

 それも僕と。


「もし、僕を葛切さんから切り離したくてこんなことするなら」

「するなら?」


 桃井さんが艶やかに笑った。

 少女なのに、淫らだ。


「かすみくん、あたしと一緒にいてくれる? それとも、あたしを脅してる?」


 ゴクリと喉が鳴る。


「それは、すごく悲しいことだと思う」

「なにそれ、よく、わかんない」


 桃井さんがあっけらかんと言った。

 理解不能すぎて僕も少し落ち着いてきた。

 それにきっとそうだ。

 ここでそんな関係になっても、関係はあまりにも打算的で、悲しすぎる。

 そう思う。


「ともかく、僕は、そういうことはしない」

「意味わかんない」


 桃井さんはしばし無言になった後、不意に真顔になって僕を見上げた。


「じゃあ。おばあちゃんに会ってく?」


 ほんとに彼女は僕と同じ人間なんだろうか。

 いっそ本当に宇宙人だった方がましだったかもしれない。

 それなら最初から理解のできない相手だと分かっているから言葉を砕く必要がない。

 僕は今、ひどい顔をしているかもしれない。

 その、自覚はある。

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