第13話 クールベのいる世界線
「…海堂グループ?」
「そ。そこが俺を送り込んできたわけ」
「ふーん」
洲崎くんからその名前を聞いて、ま、そんなもんか、と言うように葛切さんが頷いた。
「で、あんたら、どんなことをしたら、世間の大手企業様に恨まれるワケ?」
その言葉に葛切さんが冷ややかに片眉を釣り上げた。
「洲崎、そんなことも知らされてないなんて、本当に下っ端なんだね」
実はそんなに情報持ってないんでしょ、と唇を尖らせた。
辛辣ゥ、と言いながらも、洲崎はケタケタ笑う。
何がおかしいのか腹まで抱えている。
この人、相当神経が太いのじゃないだろうか。
「さあな、前会長が亡くなったってバタバタしてたからそのせいかもな。細かい情報が降りてこなかった。女孔明死すってネットニュースでトップに出てただろ?」
そういえば、野中くんの転校と同時期に海堂の前会長が亡くなったってニュースがあったなとおもいだす。
「あのね、さっきも言ったけど、俺はただの高校生なワケ。なんの特技もない高校生なんてただの捨て駒も当然だろうが」
あ、今更契約不履行なんてダメだからね、と念を押すことも忘れない。
不意に洲崎くんが僕を見る。
「それにしても、あんた、なんて言ったっけ」
そういえば僕はまだ名乗ってなかった、あわてて自分の名前を告げる。
「か、かすみって言います」
「なんで敬語なの」
「…えと、別に」
まあ、いいけどさ、と洲崎くんが葛切さんに向き直る。
「葛切さん? なんかかすみと俺とじゃ態度違くない?」
「そんなことないけど」
葛切さんが素っ気なく、肩をすくめる。
「ほら。これから一緒に過ごそうって仲間にそれはないんじゃない?」
「仲間?」
「仲間だよ?」
それとも、と洲崎くんがにやああああ、と唇を釣り上げる。
なんとも表現しにくい小憎たらしい笑みだった。
「二人は恋人同士なワケ?」
ぼん、と顔から火が吹き出る思いがした。
僕は顔の火照りを抑えながらそっと横目で葛切さんをみる。
彼女は僕とは反対に絶対零度の眼差しをしていた。
僕の火照りはすぐさま引っ込んだ。それほど冷たい。
「あんたはカップルを囃し立てる小学生か。そんなわけないでしょ。君とかすみくんとで対応に差があるとすれば」
ずい、と洲崎君を睨みつける。
「君にかわいげがないから」
洲崎君はにやにやを崩さない。
「男にかわいげなんていらないでしょ」
「そう言うとこだよ! ふん、洲崎には分からないでしょーよ」
葛切さんがきっ、と僕に振り向く。
「かすみ君!」
「う、うん。なにかな」
葛切さんが僕に言い聞かせるように言った。
「かすみ君はかすみ君のままでいいんだからね!」
「う、うん。ありがとう」
なんだかよく分からないからとりあえず頷いておいた。
「ペットかよ」
洲崎君がボソって言っているのが聞こえる。
どういう意味だろう。
「あの、そんなつもりで葛切さんは言ったんじゃないと思うよ」
とりあえず否定をする。
そう言えば、うんうんと葛切さんは満面の笑みでなんども頷いた。
「あの、洲崎君」
僕は気になってたことを聞く。
洲崎君はにやにやの余韻を残したまま僕をみた。
「洲崎君は、何かしたいことがあるの?」
「え?」
「だって、大人に従うの、嫌なんでしょ?」
なにか、したいことがあるから。つまり、彼に目的か、夢があるから、大人に従えないのじゃないだろうか。
彼に夢があるのなら。
きっと、それは素敵なことに違いがない。
そう思ったのだ。
「なんか、目的に向かって突き進むって、素敵なことだな…って思って」
「…。……べつに」
そっけない返事だった。
それは先ほどまでの彼の態度と比べて、素っ気なさすぎる返事だった。
「洲崎君?」
「え、なに?」
戸惑う僕とは反対に、僕の肩越しに覗き込んだ葛切さんが何かを合点したらしく、途端にケラケラと笑い声をあげた。
「く、葛切さん?」
よくよく見るとそっぽを向いた耳のふちが赤い。
結局、うるさい、と完全にヘソを曲げた洲崎君が声を上げるまで、葛切さんは笑い続けたのだった。
✳︎
僕らは学校の図書室の奥まった場所にあるテーブルに腰を下ろし、向かいあって座っている。
なにをやっているかというと、宿題だ。高校生だもの。宿題くらい、ある。
というか、僕は今、宿題を片付けている。僕は。
葛切さんはくつろいでいる。
別に、僕が二人分やっているわけじゃない。
ただ、葛切さんはあっという間にやり終えたのだ。僕が遅いのだ。
こういうのは転生の特典だね、と上機嫌に笑ったあと、博物館のカタログなんかを読んでいる。面白いのだろうか。
もしかしたら、フォローされたのかもしれない。
端末に最後の質問の答えを書き込んだ。
丸記号が表示される。
AIによる判定だ。よっぽど日本語としての形態が崩れていない限り、答案の正否を判別してくれる。
「前の世界と同じ人間もいるんだよね? クールベは、いた?」
前に僕の部屋で話したクールベは、彼女の前の世界にも存在したのだろうか。
「いるよ。クールベだけじゃない。マネもモネもフロイトも、セザンヌも、みんないた」
宿題は終わった?と葛切さんが微笑む。
「これからどうするか、かすみくんと話し合いたいと思ってたんだ」
「葛切さんはどうするの?」
彼女はこれから「攻略対象者」を先に「攻略」していくと言う。なんとかなるでしょ、と笑っていた。僕は、ある考えを葛切さんに告げた。葛切さんは、ニッと笑って、いいんじゃない、と言う。
「く、葛切さんがもう調査したのは知ってるけど…」
「いいと思うよ。わたしとは違う発見が、かすみくんにあるかもしれないし」
「わかった」
僕はずっと気になっていたことを聞く。
「葛切さん、葛切さんは、この自体が人為的に引き起こされていると思ってる?」
神と名乗る存在に出会った今でも、彼女はそう思っているんだろうか。
かずやの葬式での出来事。
あれは僕の白昼夢じゃない。独りよがりな妄想でもない。僕と葛切さんとで確かに共有されている経験だ。僕らは確かにあれを、体験した。あれがなんなのかは分からない。でも、自身は神と名乗っていた。
あの神はどういう存在なんだろう。
まるで自らが人格、…いや、この場合は神格だろうか、そんなものを有しているかのようだった。神というものが存在するなら、僕には分からないけれど、それはもっと漠然としたものだと思っていた。それともあれは現象の集積が形になったものなんだろうか。
葛切さんが、僕の心の中をためらいをバッサリと否定する。
「思ってるよ。わたしの考える神ってああいうんじゃないもん」
もしかして、なんらかの宗教を信仰しているんだろうか。
「ま、わたしは神さまなんて、どれも信じてないけどね」
葛切さんがにっこり笑った。
「そう」
人間によって今回の出来事が引き起こされたのだとすれば。
それは当然、葛切さんの言う作品を知っている人間に限られる。人間は知らないことを下敷きにはできない。
「葛切さんが前に言っていた、ええと、『小説家になろう』に小説を投稿していたっていう男性、その人がこの一連の事件を引き起こしているっていう可能性はある?」
葛切さんがふっと笑った。
それが豪快で朗らかか、狩人か肉食獣みたいな攻撃的な笑いをする、葛切さんらしくない秘密めいた笑い方で、僕には少し意外だ。
「かすみくん、刑事さんみたいだね。でも、それはないかな。断言できる」
確かに言われてみれば、刑事みたいな言い方だったかもしれない。
「そっか。じゃあ、誰なんだろうね」
「うーん、そこそこ人気のあった作品とはいえ、所詮一サイトの作品に過ぎないからね。だから容疑者はせいぜい数万人から数十万人。作者の友人、読者…、どれだろう?」
「思い当たる人はいない?」
「うーん。作者の友達…が一番可能性があるのかな。異性で、とても仲の良かった。そんな人がいた」
だれと?
「でも、こんな風に再現する必要なんてないし、そもそも作品を内包するような世界を作り出すような知り合いなんて、いなかったはずなんだけどなあ。わかんないもんだね」
ははは、と葛切さんが照れ笑いを浮かべる。
「それなんだけど…、葛切さんは、まだ、ここが異世界だと思っている?」
僕の質問に葛切さんが慌てたように両手を顔の前まで持ってきて、否定のポーズをとる。
「思ってない。思ってない。ちゃんとここも自分の世界だと思っていますとも」
彼女の少しおどけたそぶりの弁解に、思っていた以上に自分が真剣な声音で話していたことに気がついた。慌てて、謝ろうとする。
「ご、ごめ…」
「ちゃんとわたしは生きているよ。ここにね」
葛切さんがしっかりと僕と目を合わせる。
彼女の夜空のような瞳に、僕の姿が映っている。
僕は、だらしなく惚けた顔をしている。
「そ、そういうんじゃないんだ」
首を振る。
「ん?」
葛切さんが首を傾げる。
「葛切さんは、確かに転生はしたのかもしれない。でも。同じ世界ということはない?」
考えていたことだった。
葛切さんはふとした拍子に元の世界のことを話してくれることがある。
どうやらその世界は、こことよく似た世界であるらしい。
地球という惑星。日本という国。
歴史もよく似たものだとか。
けれど、細部に違いがある。
街のあり方。
マニアだけが知っているような傍流の歴史。
それから、テクノロジー。
「葛切さんは、一回死んで、生まれ変わった。死んだ世界と同じ世界に。細かい差異があるのは、時間がその分進んで、失われたものや、逆に得たもの、訂正したものがあるから…、とか」
そうしたら、世界を跨ぐ必要はなくなり、従って、この世界にこの学校に異様な舞台を作った人間がいるという説明もつく。
ただ、葛切さんなら当然そんなことはもう考えているだろうから、こうして口に出すのは違う、ということの確認に過ぎない。
だから、僕は思ったのと違う反応に目を見開いた。
葛切さんは、目を見張っている。
「そっか。そっかあ」
「く、葛切さん?」
葛切さんは世紀の大発見だとでも言うようにピョンと跳ねた。
「かすみくんはすごいね」
「え、ええ」
顔を寄せられる。
「考えたこともなかったよ!」
「えええ!?」
目が爛々と輝いていた。
それから、頭の中で猛烈に考えが巡っているのか、顎に指を当ててブツブツいう。
「そっか。そっか。これなら納得のいくことがいくつもあるね。…なるほど。その可能性も探ってみるか」
彼女に問いかける。
「思いついたこと、なかったの?」
むしろ異世界なんていう突飛な話が出てくるより先に、真っ先に考えそうなことだと思ったんだけど。突飛なようでいて、葛切さんは結構リアリストだ。むしろ、異世界転生というとんでも発言を除けば、僕らの歳で、彼女以上に現実を見ている人を僕は他に知らない。そう思っていた。
葛切さんは釈然としない顔をして、頷いた。
「…そうだね。考えたこともなかった」
曇った表情。
いや、悔しいのだろうか。
しかし、何かを思いついたのか、途端にぱああ、と表情が晴れた。
「かすみくん、これはいいね!」
「なにが?」
「犯人はこの世界にいる! …かもしれない」
かもしれない、ってことは、いないかもしれないってことだ。
今まで、世界を跨いだ犯人探し、なんてあっただろうか。
ホームズだって、ポワロだって、こんな犯人探しはしたことがないに違いない。
規模の大きさに笑ってしまった。
気がついたら葛切さんも笑っている。
世界と、そのまたどこか別の世界が相手なのかもしれない。
「神」が紡ぐ流れに逆らっても、逆らわなくても何も変わらないかもしれない。
こんな薄気味悪くて、複雑怪奇なこと、嫌なら、考えなければいいだけだ。目を瞑ればいいだけだ。世界の、あの自称神の思い通りに、シナリオに沿えばいいだけだ。
なのに、葛切さんはそれに歯向い続ける。
ただ、気に食わない、という理由だけで。
葛切さんは変わり者だ。
変わっているなあ。
つくづくそう思う。
とても、愉快な気分だった。
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