遊覧

第12話 猫系スパイ

 いっそ恐ろしいくらいに桃井さんは静かだった。

 てっきり報復されるんじゃないかと構えていた僕は本当に僕の選択は正しかったのかと動揺する。桃井さんは話しかけてこなくなり、従って僕に嫌がらせをしていたクラスメイトも僕にちょっかいを出さなくなった。

 これ以上ないぐらいの平穏。

 だからこそ恐ろしい。


「かすみくん、潜入と行こうではないか」


 ほら来た。

 葛切さんが僕を引っ張る。

 ジリジリと待ち構えるより、動いた方が安心する。

 今までこんな感情知らなかった。


「葛切さん、なにかあったの?」

「いいから、いいから」


 到着したのは左隣の教室だった。一組だ。


「葛切さん、なんでここに?」

「今日、転校生が来たんだって」

「へえ、そう」


 だからと言ってその転校生を冷やかしに来ることの何が潜入なのだろうか。


「む、なんかかすみくん冷たくない?」


 そんなつもりはなかったんだけど。


「…慣れてきたのかな」


 ははは、と苦笑すると葛切さんはむ、と口を膨らませた。

 綺麗な顔が崩れきっている。


「…たこ焼きみたいだよ」


 僕の言葉にしゅっ、と葛切さんの顔が元に戻った。


「…う、うそ」


 目を見開いてショックを受けている。

 やっぱり葛切さんはナルシストだ。


「あ、あの人かな」


 ペタペタと顔を触る葛切さんをよそに、クラスの様子を柱の陰からこっそり眺めていたら、女子に囲まれている生徒を見つけた。九割がた女子だが、男子も数人混じっている。あれが転校生だろう。彼は周囲からの質問にどこか気だるけに答えている。

 眠いのだろうか。やる気がないのだろうか。

 それともあれが、なろうでも有名な、いわゆる「猫系」男子だろうか。


「ねえ、あの物憂げな表情、なんか崇高な悩みを抱えてそう」


 クラスの隅っこで女子が声を潜めて話し合っている。声は潜めているけど、はしゃいでいるので僕の耳まで届いている。


「え、何それ」


 女子の片割れが問い返す。

 数少ない僕の顔見知りだった。


「秘密結社とか、悪の組織のメンバーとか、実はヴァンパイアとかすごい秘密を抱えていそう。あの遠くを見つめるような目は、きっとこの世界の悪を憂えているからだよ」


 内容が丸聞こえだ。

 聞いていた男子がこれだから女子は、と無言で顔を見合わせている。


「あるわけないじゃん」


 話しかけられた彼女の友人がバッサリと否定する。彼女はええー、でもー、渋っている。

 きっと、喋った彼女だって、意識の奥底ではそんなわけがないと分かっているに違いない。それでもそうであって欲しいという願望なのだろう。

 同じような繰り返しの毎日、この時代になっても採用されているクラス制という窮屈な檻。

 そんな中現れる「転校生」という異人は、退屈な日々のちょっとしたエッセンスになる。

 僕だって彼が秘密結社だの、なんだのの一員だとは思っていない。

 でも…、断言はできないのかもしれない。

 今までの数奇な経験が僕に考慮の余地を残す。

 葛切さんはどうなのだろう。


「男子高校生が家庭環境と進路と性欲以外で悩むことってあるもんかね」


 リアリストだ。こういう面においてはそうらしい。

 そして、やっぱり聞こえていたらしい。


「あ、桃井さんだ」


 奥の方で海堂くんと話し込んでいた桃井さんが、彼から離れると転校生に近寄っていく。桃井さんが近寄ると、その男子の周囲から蜘蛛の子を散らすようにさあ、と人がいなくなった。数人残っているのは男子だ。彼らは皆、一縷ののぞみに縋るような期待に満ちた眼差しをこっそりと桃井さんに向けている。

 けれど、案の定というべきか、桃井さんが転校生に話しかけた。


「あたし、ゆりっていうんだ。よろしくね洲崎くん」


 どうやら転校生の名前は洲崎というらしい。

 転校生の洲崎くんが何かをボソボソと喋った。桃井さんがそれに反応して可愛らしく笑う。

 その時。

 桃井さんが洲崎くんに向けていた視線を上にあげた。

 その視線が、こちらに向く。けれど、僕と目が合っているわけじゃない。

 僕の隣。見ているのは、葛切さんだ。

 その瞳が一瞬、憎悪を灯した。

 少なくとも僕にはそう見えた。

 けれど、それはほんの一瞬のことだったのだろう。

 桃井さんはまたすぐに、洲崎くんと楽しげにおしゃべりを再開した。

 いつの間にか消えていた周囲の雑音が戻った。


「く、葛切さん」


 僕は隣を見てギョッとした。

 葛切さんの横顔が、スウッと目を細めて冷笑を浮かべていたからだ。

 さっきの桃井さんが魚の怪だとしたら、こっちは化け猫だ。


「かすみくん、今日の放課後、空いてるよね?」


 化け猫が楽しそうに僕に問う。

 僕はひい、と返事をした。

 僕はついに幻覚が見えるようになったらしい。牙が見える。


「く、葛切さん…?」


 何事もなかったかのように葛切さんがくるりと僕に振り向いた。


「そういえばかすみくん、前髪切ったんだね」

「う、うん、まあね」 


 葛切さんが気が付いてくれたことが嬉しい。

 思わずにやにやしてしまう。葛切さんは不思議そうに首を傾げた。

 指で前髪に触れると、眉より上になった毛先がこそばゆい。


「…? 予定通り、いえ、予定とは違うけど、とにかく野中はこの学園から退場した。その事実に桃井はご満悦みたいね。彼女は予定通りに進めるのが好きなんだ、きっと」

「そうなのかもね」

「変な時期に、唐突にやってくる転校生をどう思う? しかも、イケメンが」

「どうって…」

「きみの好きな物語のセオリー的に」


 それなら確信を持って言える。


「何か裏がある」 


 葛切りさんがふう、とため息をつく。

 そして、ぴんと人差し指を立てた。


「そういうことだよ」


 にやにやと葛切さんが笑う。


「葛切さん、笑顔が悪役みたいだよ」


 僕は親切心から忠告しておいた。



✴︎

「洲崎くん」

「え、だれ…」


 放課後になった途端、葛切さんは素早く行動した。

 ちょっといいかなあ、そんな悪どい笑みで下駄箱で今まさに帰ろうとしていた須崎くんを、人目に付かないよう空き教室にずるずると引っ張り込んだ葛切さんは、彼の前に仁王立ちで立ちふさがった。腕まで組んでいる。

 なんでか知らないけど、ノリノリだ。主人公というより、まさに悪役として輝いている。満点だ。


「だれだよ、あんたら」


 怪訝そうに洲崎くんが片手を顎に当て、僕と葛切さんをじろじろと見る。


「葛切かな。隣のクラスの同級生だよ」


 自信満々に名乗った葛切さんに洲崎くんが、へえ、と唇の端を釣り上げた。

 なんだかニヒルな笑みだ。


「ああ、…あんたか」

「わたしのこと知ってるんだ?」

「知ってるよ」

「へえ」

「ワルモノ、だろ?」


 独特なアクセントで、洲崎くんが葛切さんの正体を告げた。


 沈黙。

 とはならなかった。そりゃそうだ。僕だって、なんとなくこの流れならなんか知っている人だろうな、くらい想像がつく。というより、この場合、ふた通りしかない。葛切さんの役割を知っているか、知らないかだ。

 ああ、こんな思考ができるあたり僕も耐性がついてきたらしい。

 それでも、場に漂う緊張感は感じる。


「で、あなたはだれなの?」


 葛切さんが軽い口調で問う。

 口調。この軽い口調ってある種の策略なんじゃないだろうか。まるで今自分が話している事柄がまるで単なる世間話と変わらない、というような錯覚を覚える。まあ、単に葛切さんの性格がそのまま現れているだけかもしれないけど。


「スパイ」


 気だるそうに、しかし堂々と洲崎くんはのたまった。


「…へえ」


 自分の喉から変な音が漏れた。

 スパイが出会って数分の他人に堂々と自分の正体をバラした。なんて口の軽いスパイなんだろう。ていうか、スパイって生きていてこんな普通に出会うものなんだろうか。そうか。

 スパイ。スパイ。

 葛切さんの昼間の発言が頭を過ぎる。


『男子高校生が家庭環境と進路と性欲以外で悩むことってあるもんかね』


 どうやら洲崎くんはこれらに該当しないらしい。

 教室で話していた女子の声も。


『秘密結社とか、悪の組織とか、実はヴァンパイアとかすごい秘密を抱えていそう』


 むしろ、こっちだ。

 もしかして、悪の組織から来たとか? 秘密結社?

 しかも、僕らは人を殺そうなんて言う悪の秘密結社めいたものを相手にしている。らしい。

 ぐるぐると頭の中でいろんな思考が駆け巡る。

 …いやいやまさか。

 ある考えが頭に、浮かぶ。そんなわけない、とは思うが、一応聞いて見ずにはいられない。


「ねえ。あの、もしかして、なんだけど」


 僕は初めて洲崎くんに声をかける。

 彼の瞳が僕に向いた。


「…もしかして、ヴァンパイアだったりする?」


 恐る恐るとなされた僕の問いかけに、洲崎くんは片眉をひょいと持ち上げると、


「はあ?」


 と驚愕と、軽蔑と、つまり、心底意味わからんと言った感情が「はあ」の一言に込められて放たれた。

 そりゃそうだ。


「…」

「…」

「…」


 頬が熱い。

 葛切さんが、こほんと咳払いをした。


「まあ、ともかく」


 仕切り直した。

 ありがとう。葛切さん。

 これで間の抜けた、このなんとも微妙な空気から逃れられる。作り出したのは僕だけど。


「どこのスパイなの?」


 流石にそれは言わないだろう、という僕の期待はちゃんと叶えられた。いまさらだけど、よかった。


「なんで言わなきゃいけない?」


 傲岸不遜に洲崎くんが言い放つ。

 彼からは余裕を感じる。


「むしろそこまで言っておいて言わないの?」


 葛切さんが呆れたように肩を竦めると、洲崎くんはとめんどくさそうにぼやいた。


「ああ、めんどくさい」


 どこかわざとらしい。と言うより大仰だ。

 よくピアニストが演奏中に大げさに身をくねらせるけど、それと似た大袈裟さがある。


「はあ?」

「いやね、隠す必要もないんだけども。こうやってうるさく根掘り葉掘り聞かれるいわれもないワケ。そもそも言ったところで俺に利益がないだろ」


 僕の隣にいる葛切さんは半眼になった。


「じゃあ、なんで話したのよ」

「隠すのもまた、めんどくさい」


 なんだろう。

 僕には洲崎くんがこうして情報を小出しにしている方が面倒になってしまうような気がするのだけど。


「俺はね、高校生なワケ。何が悲しくて、青春を赤の他人の監視に費やさなきゃいけないんだよ。でもね、周りの大人にとっちゃそんなことはどうでもいいんだ。使い途があるなら使ってやろうというのが、大人ってやつらしい」

「で?」

「しかし、俺としては大人の都合に一方的に振り回されるってのも腹が立つ。だから」


 にやり、と悪魔的な笑みを浮かべる。


「教えてください洲崎様っていうんならあんたらを助けてやらんでもない」


 うわ。

 めんどくさい人だ、この人。

 そう思った僕を誰が責められようか。


「二重スパイになるってこと?」


 動じない葛切さんは、単発入れずに聞く。


「ま、そいうこと」

「それが一番、洲崎の言うめんどくさい状況なんじゃないの?」

「いいんだよ。俺には俺の事情があるんだ」


 葛切さんは腕組みをしたまま、呆れたようにため息をついた。


「よくスパイに抜擢されたね」

「基準なんて俺も知るかよ」


 葛切さんは、ま、いいけど、と洲崎くんに告げた。


「で、なにを見返りに求めてるの?」

「そうだねえ」


 洲崎くんが顎を撫でる。


「俺はあんたらに情報を流す。その代わり、あんたらは俺があんたらの近くにいるのを許す。こうすりゃ、とりあえずは、俺がまんまとあんたらに取り入ったように見えるからな。こうすりゃ、俺の手間も省けるってもんだ。どうだ?」


 葛切さんはあっさりと承諾した。


「いいよ」

「そりゃどうも」


 これまたあっさりそれを受けて、洲崎くんはふああ、と大きなあくびをする。


「これで交渉成立ってわけだ」

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