第10話 僕の転換期
僕は何をすればいいんだろう。
決意表明をしたのはいいものの、明確な手段が打ち出せずにいる。
だって、よく考えたら大抵のことは葛切さんが考えているに違いない。だから、僕は僕にできることをしようと思うのだけど…。それが思いつかない。
自分の部屋でゴロゴロと寝転がりながら考えを巡らせると、だんだんと眠くなって来たので、学校に行くことにした。
土曜日だけど自習をする生徒のために図書室は開いている。
勉強道具と定期だけを持って家を出る。
日に日に増していく暑さに夏らしさを感じる。今までこんなに太陽を眩しく感じたことがあっただろうか。
そういえば僕らは特定の目的のために一時的に集結しているけど、それが終わったらどうなるんだろう。葛切さんは僕に話しかけてくれるのだろうか。
そんなことは気にしても仕方がないか。
「かすみくーん」
校門のところで後ろから呼び止められる。
背筋がぞわっとする。
恐る恐る振り返ると桃井さんが満面の笑みで僕に向かって駆け寄ってきている。
僕は逃げ出したい衝動に駆られる。なんだこれ、美少女恐怖症か。
「偶然だね。勉強しにきたの? 会えて嬉しいなあ」
僕から一メートルくらいの所で、止まった桃井さんがはあはあと胸に手を当てながら言う。
「う、うん。まあね」
僕はさりげなく昇降口の方に歩みを進める。
「あ、ちょっと待って」
「う、うん」
「頼みたいことがあるの」
ドクン。
胸が嫌な音を立てる。
今までは雑用を引き受けても、理不尽だと思ってもこんな風に感じたことがなかった。
それでも、僕は決めたのだ。自分の決定は自分でする。
「ご、ごめんね。桃井さん。もうそういうのは…」
こ、声が出せた。
頼りない声だけど、自分で声が出せたのだ。
「え?」
桃井さんの表情を見て固まった。
心底困ったような、悲しんでいるような顔をしている。
「え? なんで? 今まで手伝ってくれてたのに?」
「う、うん。こういうのは良くないと思うんだ」
「でも、今回だけでも」
「…」
「だめかな」
「…ごめんね。もう、しない」
やっぱり声は少し震えている。
「意味わかんない」
ぴしゃりと遮られる。怖い。
まるで僕の意見は一切受け付けない、そんな冷え冷えとした言い方だ。
「今まで手伝ってくれていたのに、なんで急にそういう冷たいこと言うの? 葛切さんになにを言われたの? かすみくん、そんなにいろんな意見に振り回されてばっかりだと友達、いなくなっちゃうよ。せっかくあたしが葛切さんからもかばっていてあげていたのに、あたしのこと、見捨てるの? かずやくんみたいにあたしも殺されるかもしれないのに」
涙声の桃井さんに、 僕はやっぱりそうだったんだな、とあることに思い至った。
「桃井さん気がついていたんだね。僕がクラスメイトたちにいやがらせされたこと」
僕が桃井さんに雑用を押し付けられるのを特権的だと勘違いした男子たちに僕は嫌がらせをされていた。
今も前の時も桃井さんは「葛切さんたちから」とまるで葛切さん以外に僕の敵がいるような言い方だった。気づいていたのだ、桃井さんも。
桃井さんが舌打ちをした。
それはあまりにも桃井さんらしくない行動だから、僕は彼女の顔を見た。
そして驚いた。普段片鱗さえも見せたことがないような厳しい表情をしている。
苛立ち混じりの声で僕を責め立てる。
「なにそれ、そんなの自分で反撃しないかすみくんが悪いんでしょ」
その通りだった。
でも、今、僕は桃井さんにやめてほしい、といえた。きっと次にクラスメイトに絡まれても拒否できる。
「その通りだね。だから、もう、やめるんだ」
自分にラクな道を選ぶことで、ずるずると時間を過ごしたりなんかしない。
それはもうやめだ。
葛切さんに、自分に、そう誓った。
胸がスッとした。
「な、なんで笑ってるのよ」
僕は、笑みを浮かべているらしい。僕の中に、いつの間にか余裕が生まれている。
反対に桃井さんはますますイライラを募らせたようで、声を上げた。
「なにそれ、意味わかんない! かすみくんみたいに、ネクラなくせに、そういうの超かっこわるい!ラクできるならすればいいじゃん」
「うるせえ、ブス」
突然、第三者の声が割って入って来た。
「野中くん…」
僕は呆気にとられて彼を見た。
野中くんはぼさぼさの髪を掻き毟ると、桃井さんを睨みつけた。
「朝からぎゃーぎゃーやかましいつうの」
「…もうお昼だよ」
「俺は起きたばっかなんだよ。だから朝だ」
ボソっと呟いたつもりが聞かれてしまい、慌てて口をつぐんだ。怖い。
「たつやくん…? 生きて…」
桃井さんがはっと気がついたように口を手で塞ぐが、その仕草が却って野中くんの中の何かを決定づけたようだった。
野中くんは、その大きな図体でずいっと桃井さんの前に立ちふさがる。頭二つ分以上大きい上に、横幅も大きい。
桃井さんもさすがに野中くんほどの巨漢になると怖気付くのか、圧倒されている。
「全部が全部あんたの思い通りになると思うなよ。俺は操り人形じゃねえ。覚えとけ、性格ブス」
「なっ」
「ぶすぶす、ぶーす」
これはひどい。
ところが、小学生みたいな煽りに桃井さんは真っ赤になった。
「あたしのこと好きだったくせに。そんなんだから真っ先に足切りされるのよ。あなたたちこそ覚えておきなさい」
そう言って一人だけさっさと先に行ってしまった。
野中くんは途端に静かになってその後ろ姿をじっと見つめた。
ところが、今度はずいと僕に詰め寄る。
「あんた」
「なっ、なに?」
「葛切からあんたが俺を助けたいって言われたからちゃんと助ける気になった、とかふざけたことを言われた」
「は、はあ」
「実際会ってみると、なんかなよなよしてるし、こんなのに助けられたのかって少しがっかりした」
それは、すみませんでしたというべきなのだろうか。
それとも怒って見せるべきなのだろうか。
「でも、あんた、意外とやるな」
野中くんがいたずら小僧のように笑う。
だからまあね、と僕も笑った。
✴︎
「転校する事にしたわ」
野中くんが僕に教えてくれた。
「この学校にいたらいつ意味わかんない理由で殺されてもおかしくないからな。死ぬくらいなら転校したほうがマシだ」
だから今日は学校に残したものを取りに来たのだという。校門の所に停車している車の中にご両親がいて、野中くんを待っているのだそうだ。
野中くんはこの学校に未練はないのだろうか。友だちや思い出をここに残していくことは平気なのだろうか。もちろん、命以上に優先させるべきものはないけど。
「友達も彼女も次の学校で見つけるさ」
そう言って野中くんが笑う。
その言葉通り、翌週になっても野中くんはこなかった。
一回だけ隣のクラスに行ったら、彼の荷物は何一つとして残っていなかった。
ほんの一瞬しか一緒にいなかった。
でも、少しだけ寂しく感じる。
みんないなくなってしまうな。
そう思った。
葛切さんの前世では、葛切さんの周りの人は今の僕よりもっと寂しかったに違いない。
無理だと知っていても一緒にいて欲しいとだって思ったんじゃないだろうか。葛切りさんは魅力的な人だ。僕だったら、そう思う。
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