第9話 かずやは死んだ。でも、かずやは僕らに語りかける。
「こ、この度はご愁傷様です」
僕は母に教わった通りの言葉を、受付で告げる。香典はすでにクラスの代表から連盟で手渡されているため、僕から直接手渡すことはない。周りの大人が手渡している中、僕だけ何も渡さないのは、何だか心許ない感じがする。制服でいることも。
かずやの通夜は彼の家族の菩提寺だという古びた木造の寺で行われた。
今時、木造の建物なんてほとんどない。
案の定、中は和風ながらも古さを感じさせない。外の古さは見せかけのものだったようだ。
待合室はとてもモダンだ。
革張りのソファーなんかが置いてあって、どこかホテルのロビーを思わせた。
式場へ続くだろう扉の横に目を惹く絵画が一枚、飾ってあった。白を基調とした絵で、どこか心を穏やかにさせる。この場所にふさわしい絵なのかもしれなかった。
どこか落ち着かない周囲とは違い、その絵の前で制服姿の女の子が一人立ち止まっている。後ろ姿からでも、彼女がその絵画を真剣に見つめているのがわかる。
「葛切さん」
背中に流された長い黒髪が揺れる。
彼女が、僕に振り向いた。
「これが、誰の絵か分かる?」
こんにちは、も何もなく彼女が僕に尋ねる。
彼女の後ろにある絵画と相まって、僕は一瞬自分が式場にいることを忘れた。
僕が首を横に振ると、
「君の好きな大上夏樹のものだよ」
「え?」
意外だった。
名の知れた彼の、このサイズの絵がここにあることもそうだし、ファンタジックな、けれど情熱的、あるいは暴力的と評される彼の絵と、これはかけ離れている。
「こういう絵も描く人だったんだよ。知ってた?」
彼女が薄く微笑んだ。
「こんにちは。かすみくん。今日は、とっても残念な日だね」
僕は気がついた。
彼女の目の縁が、ほんのり赤くなっている。
「葛切さん」
葛切さんがお手洗いに行くから先に行っていて、というので、一足先に式場に入る。
中は妙な煙の香りがした。きっとこれが線香の香りなのだろう。パルファンの方に慣れているせいで、こういう匂いはあまり馴染みがない。︎それは部屋の隅に取り付けられたディフュザーから放出されているみたいだった。
匂いと、視界に入ってくるものが違うだけで、まるで時代を遡っているのかのように感じてしまう。もちろん、そんなことはない。
出来るだけさりげなく、周囲を見回す。
同じクラスの生徒はだいたい出席しているようだった。
入口と反対側、衝立で仕切られている向こう側に棺があるらしい。かずやは事故だったと聞いた。もしかしたら、そういうことに対する配慮なのかもしれない。
クラスメイトが固まっているあたり、均等に並べられている座布団の一つに僕は着席した。
僕は誰とも会話をしない。
クラスメイトも誰も言葉を交わさない。
大人たちは静かな声で何かを話していて、その音だけが会場にひそひそと響いた。
すっと衣摺れの音が隣からする。
目線だけをちらりと向けると、葛切さんがいて、僕の膝を折って、真横に座ったところだった。
思わず彼女を見つめると、彼女は無言で頷いた。
僕も頷き返して、また前を見つめる。
やがて、かずやのお父さんらしき男性と、お母さんらしき中年の女性が衝立の向こう側から出てきて一番前の列に座った。続いて、お坊さんが着席し、やがて読経を始めた。
ちっとも意味がわからない。
僕はそう思った。
魂が輪廻の輪に還れるように、そんな祈りが込められていると、いつか母が言っていた。
でも、こんな意味の分からない呪文のようなもので、人は、人の魂は昇華されるものなんだろうか。かずやだって僕と同じ高校生だった。かずやにこんな呪文の意味がわかるとは思えない。こんなものに、こんな形式に一体なんの意味があるのか、僕は虚しくなった。これじゃきっとかずやも浮かばれない。
だけど、やがてそれが思い違いであることに気がついた。
すすり泣く音が聞こえたからだ。
僕の座っている位置よりだいぶ前。
親族席からだった。
泣き声は、やがて堪えきれなくなったように一際大きくなった。
僕の位置からでは誰が泣いているのか見えないけれど、誰だかわかった。
かずやのお母さんだ。
堪えるように一定のリズムでしゃくりあげている。
僕はそっと目を閉じた。
真っ暗な中、お経を読む僧侶の声と、かずやのお母さんの泣き声だけが聞こえる。
やがて僕の周りからも同じような調子の泣き声が聞こえた。どうやらクラスの女子が泣いているようだった。
僕は理解する。
葬式というのは、故人のためじゃない。
生きている人間のために必要なのだと。
僕が生まれて初めて参列した葬式は、密やかな泣き声がさざめきあう中、過ぎていった。
✴︎
式の後、長居をするなよ、という先生の注意を受けているクラスメイトたちはグズグズと居座ることはしなかった。出口の横でかずやの両親が一人一人に頭を下げている。
僕は葛切さんと並んで出口に向かう。
そうして、かずやの両親に頭を下げた。
「あの、あなたが…かすみくん?」
立ち去ろうとした僕らをかずやのお母さんの声が引き留めた。
僕は出来るだけ失礼のないようにもう一度お辞儀をする。
「はい、そうです」
「やっぱり。きてくれてありがとうね」
お母さんが涙のにじむ声で、僕にお礼を言った。
「いえ、…すみません」
かずやが、僕個人を僕として認識していた。普段ならば僕の胸を歓喜させただろうに、こんな場所でそれを知っても嬉しくなれない。もう、遅いのだ。
「あの子はよくあなたの話をしてくれたのよ。それなら、そっちの子は葛切さんね。…よかったらもう一度、最後に、あの子に挨拶をしてくれないかしら。きっと、喜ぶと思うの」
「もちろんです」
僕より先に葛切さんが答えた。
「御免なさいね。ありがとう」
お母さんが唇で微笑みの形を作る。空虚な笑みだった。
受付の人にあとは任せるわ、と声をかけ、かずやのお母さんとお父さんは会場内に戻っていく。
外に出て行こうとする人の流れに逆らい、僕らも中に戻って行く。外に行く人々がかずやの両親に頭を下げる。
葛切さんがかずやの両親に見られないよう隙をついて僕に耳打ちした。
「かずやくんってわたしとかすみくんが仲がいいってこと知ってたっけ?」
仲がいいという言葉に、葛切さんの顔を見つめるが、彼女はそんなのはどこ吹く風で何か考え込んでいた。
会場内にはまだまばらに人がいた。
その人々に頭を下げるかずやのお母さんとお父さんを見て思い出す。
そういえば。
かずやのお母さんやお父さんは、かずやが海堂のスパイである、と言うことを知っていたのだろうか。この姿を見ていると、とてもそうは思えない。まだ、かずやがスパイであったなんて決定的な証拠は上がってないわけだけど。
かずやのお母さんとお父さんは「御愁傷様」と声をかけた親族らしい中年のおじさんと一言、二言、言葉を交わすと僕らを、衝立の向こう側に連れて行く。
葬儀中は事故のせいで遺体が悲惨な状態だから、と衝立はそのままに式が進行された。
僕は久しぶりにかずやの顔を見た。
棺の中は花で埋め尽くされている。
かずやはまるで生きているようだった。
青白い顔や、かさかさに乾いた唇なんかは彼が死んでいることを示しているけれど、その程度の差で人は死んでいることになってしまうのか、とも僕は思うのだった。
改めてかずやに心の内で別れを告げる。
僕と葛切さんを脇でじっと見つめていたかずやの両親にも、小さくお辞儀をした。
「今日は来てくれてありがとう」
先ほどと同じ言葉をお母さんが言う。
「…」
なんて返せばいいのか分からない。
僕も辛いけど、この二人はもっと辛いだろう。
「今日は来てくれてありがとう」
お父さんも同じ言葉を言った。
「い、いえ…」
ようやく単語らしきものを絞り出す。
「ありがとう」
「ありがとう」
「会えて嬉しいわ」
「そう、会えて嬉しい」
「…え」
お父さんとお母さんはいつの間にか笑みを浮かべていた。
悲しい、とか、嬉しい、とかそう言う感情を一切排した形ばかりの笑みだ。
「ありがとう」
「ありがとう」
声がぼう、と反響する。それに囚われて明確な思考ができない。
僕はどう反応していいか分からず、思わず二人の顔をまじまじと見つめてしまって気が付いた。
この二人、ものすごく顔が似ている。
なんだか、気持ちが悪い。
そういえば、かずやは事故で死んだんじゃなかったっけ?
どうして、身体は無傷のままなんだ?
「ねえ、あなたたち、人間?」
隣にいた葛切さんが唐突に聞いた。
「く、葛切さん?! さすがに失礼だよ!」
僕は顔を寄せて小声で注意する。
でも、葛切さんは全く意に介していないようだ。
僕の言葉に不満そうに肩を竦めた。
「例えば、人と」
唐突に。
お母さんが言う。
「機械とを分かつものは何だろう」
口調が変わった。
お母さん、いやお母さんの形をしたものは、両手をピンと体の横で張り、まるでおもちゃの兵隊のような格好になった。お父さんも同様だ。
異様な光景に体が硬直する。
「え?」
掠れた声が出た。
「機会が人の形をもち、人のような活動をすれば、それはもう人間だと言えるんじゃないかね」
二人がまるで舞台上に立っているかのように、交互にセリフを読み上げる。
声高々に告げられるそれは、まさしくセリフだ。
「人間には心があると言うかい?」
「心とは脳や神経が作り出したもの。機械も同じくらいの精密さを持って同じ機能を作り出してしまえば、それはもう人間と変わらない」
「君たち生身の肉体を持った人間にしたってそうだ」
「自分たちが機械でないとどうして言える? 自分たちより高次元の人間が作り出した創造物ではないと、つまり、機械ではないと」
「そうだろう?」
声が変わった。
これはこの二人のものじゃない。
「なっ…」
自分の目が限界まで見開かれる。
かずやだ。
棺の中で横たわっていたはずのかずやが。いつの間に。
上半身を起こして、顔だけをこちらに向けている。歯をカタカタと鳴らした。
「やあ、初めまして」
かずやが言った。
そして両腕をかっ、かっと動かす奇妙な動きをした。
なんだろうと一瞬考えて気がついた。両腕を広げようとしているのに、体が硬くて動かないのだ。かずやの身体が死後硬直で固まっている、のかも、しれない。
何かの振動を感じた。
気がついた。
自分が震えているのだ。
頭の冷静な部分が理解するより前に、本能がこの状況を忌避している。
「あなた、…だれ?」
隣にいた葛切さんが一歩、前にでる。
表情からはなにを考えているのか読み取れない。
「神だよ」
金属質な気持ちの悪い声だった。
しゅこーとどこかから空気の漏れるような音も聞こえる。
葛切さんが小さな舌打ちをした。
「今回のゲーム。葛切かの。君は散々後手に回った。君らしくもない。おかげで、この若者は死んだ」
だれだこれは。
なんだこれは。
なにを言っているんだ、これは。
動悸がした。
人の命をなんとも思っていない言い草に眩暈を感じる。
そもそもこの状況が狂っている。
「殺したのは、あなたでしょ」
葛切さんの普段と変わらない調子が、その軽さが、僕をその場に引き戻した。普段は、反感を覚えているのに、こんな時に限って安心してしまう。
「さあ、次のゲームをしよう」
かずやが、自称神が、宣言した。
それは唐突で、かつ、一方的なもので、その言い草が、彼、あるいは彼女が、自分の意のままにならないことはないのだと知らしめているかのようだ。
「葛切かの。君の同級の桃井百合が、海堂家の息子、海堂龍之介を籠絡するのを防ぎたまえ」
「なぜ?」
イヤそうな声だった。
嫌悪が隠されることなく、込められている。
「君が自覚している通りに、それが君の役回りだからだ。辞退はない、葛切かの。君は導き手というものがことごとく嫌いなのかもしれないが、時には服従することを覚えなければならない」
「降りると言ったら?」
かずやがくくっ、と口から音を出す。
「また、人が死ぬ」
金属音。
それがだんだんと大きくなっていく。
「君の周りの人間を殺していこう。人が死ぬのは嫌いだろう? ゲーム内で人を殺しはしないが、君が降りれば人が死ぬ」
「どうしてこんなことをするの?」
冷静に葛切さんが尋ねる。
相手はぶるんぶるんと身体を揺らして笑っている。軟体動物。
「どうしてしてはいけない? 面白いのに」
「…狂ってる」
僕の口から勝手に溢れでた本音を、自称神が拾う。
ピタリと動きが止まった。
「佐藤かすみ」
「ヒッ」
仰け反る。
なんで僕の名前を知っているんだ。
「君には傍観者としての役割を与えよう。なんら能力のない人間が、興味本位で近づいてきた。愚か者にはこれくらいでちょうど良い。君の眼の前でなにが起きるか、見ているといい」
「ふざけないで」
ぴしゃりと撥ね付けたのは葛切さんだった。
「頼んでもいないのに人に肩書きをつけようなんて、大きなお世話だよ」
「これは恩恵だ。葛切かの」
「わたしは神を信じない」
「自分より上の存在を認めないと言うのは傲慢だな」
「傲慢、どっちが」
葛切さんが鼻で笑う。
長い黒髪をその手で払うと、言い切った。
「神ごときが人間様の言葉を話そうだなんていい度胸ね」
次の瞬間。
耳を劈くようなけたたましい音がした。
自称神が笑っているのだ。
さっきから笑う、という感情表現しか自称神はしていない。
それが、怖い。
この人は、嬉しいから笑っているんじゃない。
では、なぜ笑っているか。
分からない。
それが怖い。
「葛切かの。それはゲームに乗らないということか」
笑い声が言う。
「ゲームは、受ける。そして、受けたからには徹底的に潰してやる。悪趣味な遊びに人を参加させたことを後悔すればいい」
葛切さんが顔をしかめて返事をした。
その瞬間、くねくねとしていた自称神の動きのすべてが止まった。
きこきこきこ。
笑い声をあげる。
「いい。…これはいい! してみるがいい。もしできたならその暁には、褒美としてこの世界の秘密を教えよう」
そうして金属音で言い残すと、かずやの身体はパタリと倒れたのだった。
僕と葛切さんは無言で顔を見合わせる。
「……」
「どうしたの? 慣れない式で疲れさせてしまったかしら」
女の人の声がした。
口を動かしているのはかずやのお母さんの形をした何かだ。
「だいじょうぶかい?」
かずやのお父さんの形をした何かも一緒に僕らに問いかけた。
二人とも、「心配そうな顔」をしている。
いつの間にか、元の状態に戻っている。
ご両親だけじゃない。かずやもまるで何事もなかったかのように棺の中で眠っていた。
花の一輪すら乱れてはいない。
僕は身を固まらせる。
ところが葛切さんは違った。
彼女は顔を伏せ、肩を震わせたと思ったら、ぽたりと畳に雫が一粒落ちた。
それから聞いたこともないような悲しげな声を出した。
「…ええ。かずやくんが亡くなったのが本当に残念で。ごめんなさい、失礼します」
それだけ言うと、くるりと身を翻して衝立から出て行く。
僕は一人取り残された。
二人の視線が僕に向く。
「僕、彼女をなぐさめてきます」
彼女に比べるとぎこちない声で僕は告げる。
「ええ、佐藤くん」
心配そうな顔をしていた女の人が一転、にっこりと僕に告げた。
「彼女を慰めてあげてちょうだいね」
僕はじりじりと後退して、弔客の姿が見えるところまで来ると、早足で式場の外に向かった。
気持ち悪い。葛切さんはけっして小声で喋っていたわけじゃない。
どうして誰も気が付かなかったんだ。
寺を出ると、すぐに葛切さんに捕まった。
恐怖のあまり駅に向かって走り出そうとした僕の袖を、寺の塀にもたれかかっていた葛切さんの腕が捕まえたのだ。
「かすみくん、早かったね」
思わず叫び声をあげそうになった僕に、しれっと彼女が言うので、僕もただ一言、彼女に返した。
「葛切さん、女優になれるんじゃない?」
それから僕らは僕らは無言で歩いた。
ずっと蝉の鳴き声が聞こえていた。
やっと口を開いたのは、駅についてからだ。
彼女の考えごとの結論が出たらしい。
「なーにーあーれー」
葛切さんが素っ頓狂な声をあげる。
「何で交互に喋るの。きもっ。こわっ。」
そういって両腕で抱え込み、寒い、というように身体をさする。
ゾンビ、だとか、エクソシストだとかブツブツ言っている。
「まるで壊れたロボットみたいだったね」
僕も、最近見たロボットホラーを思い出した。
「なに。今時そんな技術があるの? こわ」
「どうだろう。完全な独立人口知能はまだ作れてないって聞いたけど」
僕も思い出して薄ら寒くなった。あれは映画さながらの光景だった。
イメージを頭の中から追い払う。
「葛切さん」
「なあに、かすみくん」
葛切さんが唇を突き出したまま、返事をする。
「これから、どうする?」
「そりゃあ、きまってるでしょ」
葛切さんは握りこぶしを作ると、目線の高さまで上げて見せた。
美人が睨むと怖い。しかも口元にはとびきり凶悪そうな微笑みが張り付いている。
「悪霊退散。世界の秘密なんて教えてもらうまでもなく、暴いてやる」
「ゲームは?」
「勝つ」
葛切さんがどこまでも強気だった。
「なんで笑ってるの?」
僕の顔を見て一気に気の抜けた顔になった葛切さんが不思議そうに僕に尋ねる。
僕はなんでもないよ、と首を横に振った。
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