第8話 僕の望み。僕の願い。
しん、と沈黙が落ちる。
僕は頭の中で疑問の渦が渦巻いていた。
「かずやくんが殺されたとすれば、」
先に口を開いたのは、葛切さんだった。
センシティブな話題に僕はしらずしらず体を硬直させる。
「それは野中の代わりである可能性が高い、とわたしは思う。彼が殺されることによって桃井のシナリオは順調に進んでいる。と、言うよりもシナリオを進ませるためのトリガーは誰かが死ぬことで案外野中じゃなくてもよかったのかも知れないね」
「え? どういうこと?」
「今日の海堂御曹司は順調に絶望の淵、とは言えないまでも顔色が悪いらしいし」
葛切さんははあ、とため息をついた。
「かすみくんが。わたしから逃げ回っているから。伝えられなかったけど」
「うっ」
「野中は生きているよ」
「え、でも学校に来ていないって」
「行かなかっただけだよ。死んでない」
「じゃあ、どこにいたの」
「うち」
「へ?」
「わたしの家。うちは安全だからね。本人が手の届く範囲にいなければ殺しようがないでしょ。そこで返り討ちにするつもりだったんだよ。やってきたやつを捕らえて、情報を聞き出そうとしていたの」
葛切さんの家は資産家だと。
いつか誰かに聞いたことを思い出す。もしかしたら護衛なんかがいるのかも知れない。
「誰もこなかったけどね」
葛切さんが眉根を寄せて遠くを見つめた。
誰もこなかった。
それがどう言うことかを聞こうとした時、葛切さんが、カフェの入り口をちらりと見た。
「来たみたい」
果たして入って来たのは、野中くんとどこかで見たことのある男の人だった。
「あ、こないだの」
そうだ。この間、葛切さんが車に乗り込んだのを見かけた時、隣にいたおじさんだ。
葛切さんがきょとんとした後、にやにやと笑い始めた。
「みてたなー」
「い、いや。たまたま」
「わたしのお父さんだよ」
「え」
似ていない。
葛切さんの美しさはお母さん譲りなんだろうか。
葛切さんは僕の疑問を鋭く読みとって教えてくれる。
「養子だからねー」
「そうなんだ」
僕はごめんと言いそうになってすんでのところでやめた。
葛切さんは気にしてなさそうだし、気にしてたとしても謝るようなことだろうか。
「駅まで送ってもらったんだけど、どうせならかすみくんに全部説明しようと思って戻って
来てもらったの」
葛切さんが手を振ると、こちらに気がついた二人が歩み寄ってきた。お父さんは葛切さんの隣に、野中くんは僕の隣にそれぞれ座る。
横をちらりと見る。やっぱり以前見かけた通り野中くんは大きかった。
葛切さんがお互いを紹介してくれる。
座る際に野中くんが僕に言う。
「あんたが俺を助けてくれたんだってな。ありがと」
ぶっきらぼうな言い方だった。
「お父さん、どうだった?」
葛切さんがお父さんに何かを尋ねる。
お父さんはいかつい見かけによらずにこにこと言う。
「そうだねえ。見つかったよ」
そうして、テーブルの上に一冊の封筒を置く。
「これが何なんだ? 大変だったんだぞ」
野中くんがふううとため息をついた。
「きみは何もしてなかったじゃないか」
快活にお父さんが笑った。
「いや、いつ人が来るかとヒヤヒヤしたわ。俺は前科者にはなりたくない」
「勝手についてきたくせに」
僕も覗き込む。
封筒の宛名は「山川和也」となっている。
「これは…?」
「送り主は海堂製薬になっているね」
「え」
慌てて裏返す。
確かにその通りになっている。しかも手書きではなく印字されている。
「今時郵便なんてものが機能していることに驚きを感じたよ」
お父さんがニコニコと笑った。
「これ、どこから持ってきたんですか?」
僕の質問に、お父さんはにこやかに答えた。どこか得体のしれない魔術師みたいだ。
「例の佐藤かずやくんという学生やらが君たちに送った住所にあったものだよ」
「え、でもそこは駐車場で」
封筒に印字された住所を見ると確かに僕の知っているかずやの住所になっている。
「たしかにあそこは駐車場だったんだけどねえ。どうやら住所不定の人たちに貸し出しているようでね、車中泊をする人のためなんかにそれぞれにポストを設置しているんだ。彼らのような人にとっては書類でも大切な連絡手段のようだね」
ちょっと見つけにくい場所にあったけどね、お父さんが笑う。
「あ…」
赤面する。
動揺して見落としたのだろう。
じゃあ、僕の送った年賀状は届いていたのだ。きっと。
「このおっさん、車にいたホームレスのおっさん叩き起こして佐藤のポストの場所聞き出した後、ポストに変な器具突っ込んで鍵開けやがったんだぜ」
葛切さんのお父さんは何のお仕事をしているのだろうか。
僕がチラチラと見ても、にこにこと笑っているだけだ。というか、この人はどこまで知っているんだろうか。
「へえ、手紙。あったんだ」
葛切さんが意外そうに言った。
「その佐藤くんという学生さんも自分が死ぬことになるとは思わなかったんだろうねえ。手紙が残っていたよ。とはいえ佐藤くん自身のポストは空だったけどね」
「何も残っていなかった。これを回収できたのは、その隣のホームレスのおっさんのポストに紛れていたからだ。このおっさん、他のポストまで物色したんだぜ。信じられるか」
それは…犯罪だ。いや、かずやのポストを開けた時点で犯罪だ。
「ん?」
葛切さんのお父さんが僕を見る。
ん、という一音に鋭さの全てが込められていたような気がする。
僕は悲鳴が出そうになるのをこらえた。口を手で抑える。
「娘から君たちはちゃんと秘密の守れる友達だと聞いているよ。正式な手順を踏んでいては時間がかかることもある。時は金なりだからね。安易な手段はよくないけどね。分かるかい?」
「そ、そうですね」
僕はぶんぶん頷いた。
なにも口に出していないのに考えていたことが見破られている。
葛切さんは澄ました顔でアイスティーを飲んだ。
もしかしなくてもこういう非現実的な人間がいるから、葛切さんは生きている実感が湧きにくいんじゃないかと、僕はそう思う。
「たぶん、だけど」
とんとグラスをテーブルに置く。
叩きつけるような、挑戦的な音がした。
それから、葛切さんが先を続けた。
「佐藤くんは野中の代わりに殺された。そして、佐藤くんは海堂となんらかの関わりがあった」
「というと?」
野中くんが尋ねる。
「スパイだったんじゃない、佐藤くん」
そうかもねえ、と呑気にお父さんが微笑んだ。
✴︎
「かずやが、かずやが…スパイだから殺されたってこと?」
思いがけない話に早口になる。
葛切さんが首を振った。
分からない、と言うことだろう。
「それは、これから調べていこう」
「そんな…」
かずやはスパイかもしれなくて。
あんな普通の高校生に、どこにでもいそうな高校生が、こんな変な話に関わっていたなんてことがあるのだろうか。
分からない。
「でもね、かすみくん」
鈴のような葛切さんの声が僕の注意を引きつける。
「このことごとく後手を打ったらしい今の状況でも分かることがあるよ」
「…それは?」
「野村が無事ってことは」
葛切さんがにんまり笑った。
「これは、大きな収穫だよ。誰とも知らない『神様』は、超人為的な力では人を殺せないという可能性を示しているから。排除するべき人間を突然の心臓麻痺、なんてことはできないわけ。つまり人間である可能性がある」
「野中くんを殺さないと言う、そう言う筋書きじゃないのならね」
そう補足したのは葛切さんのお父さんだった。
結局のところ、この話は堂々巡りなのだ。
「神様」の存在がいるのだと仮定して、その神様ができることと出来ないことの違いなんてそう分かりようがない。もしかしたら「神様」ができないように思えたことも、そういう風に見せようとした結果なのかもしれないのだから。
それでも、葛切さんは嬉しそうだった。
なにもかもが我慢ならない中、こういう小さなことさえもそこから脱出できる、突破口のように感じられるのかもしれない。
✴︎
「かの。ぼくたちはそろそろ行かなきゃいけない」
葛切さんに彼女のお父さんが促す。僕たち、とお父さん自身と野中くんを指す。
彼女は頷いて腰を上げた。僕もつられて立ち上がる。
みんなで入り口のレジまで移動する。財布を出そうとしたら、学生は大人に甘えなさい、とお父さんがみんなの分を払ってくれた。お礼を言って、店の外で会計が終わるのを待つ。
「いい天気だなあ」
葛切さんが太陽を見上げていう。
「すっかり忘れてたけど、もうすぐ夏だね」
気持ち良さそうに目を細めた。さながら日向ぼっこをするネコだ。
「これからどうするかなあ」
野村くんもそれにつられたのか大きな伸びをした。
「野村ももう家に帰ったら?たぶん、大丈夫でしょ」
野村くんは大げさに顔をしかめる。
「あのなあ、人が死んだばかりじゃねえか。最初はなんの冗談かと笑ってたのに、ホントに命があぶないじゃねえか。もう少し泊めてくれよ」
「大好きな桃井に殺されるなら本望だって言ってたじゃん」
「いや、よく考えたら命は大事にしなきゃいけない気がしてきた」
ぽんぽんと交わされる応酬。
「まあ、いいじゃないか。野村くんもう少しうちにいなさい」
出てきたお父さんの天の一声でその場が収集する。
「まったく…」
野中くんがぼやいて、首を左右に振った。
その時だった。
地面が揺れた。
「あ、地震だ」
小さな地震だった。
割とよくあることなので誰も気にしない。
予想した通り揺れはすぐに収まって、僕らはまた他愛もない話を再開した。
だから、葛切さんが倒れた時はびっくりした。
急に電源でも落ちた人形のように地面に倒れる。
とっさに一番近くにいた僕が抱きとめた。肩を抱きかかえる。
ふわりと花のような香りがする。
「く、葛切さん?」
引き摺り落とされそうになるのを、必死に抱えていたら、葛切さんのお父さんが葛切さんを抱え込み、カフェ前の椅子に横たわらせた。
おろおろと左右するだけの僕に対して、全く慌てた様子がない。
「この子は時折こんな風に貧血で倒れてしまうんだ。意識はすぐに戻るから心配しなくてもだいじょうぶだよ。車をここまで持ってくるからきみはここで娘とまっていてくれるかい?」
僕は頷いて、葛切さんが横たわるベンチのすぐ横で待機する。
「犬みたいだな」
野中くんが僕を見てボソリと言う。
「きみは一緒に来なさい」
お父さんは一言野中くんに声をかけると、くるりと車を探しに言った。
野中くんはなんで俺までと文句を言うが、まだ死にたくないだろう、と背中越しに返され、すごすごとお父さんについていったのだった。
お父さんがいっていた通りに、葛切りさんはすぐに目を覚ました。おそらく五分もたってない。
まるで人形に切れていたスイッチが入るみたいに、目が開く。
「あ、わたし…」
「葛切さん、まだ寝ていた方がいいよ」
起き上がろうとする葛切りさんを慌てて止めようとするが、葛切さんはいいからと体を起こした。体調を確認すると大丈夫だと言う。
「今日は、ごめん」
謝罪が口をついて出た。
今日だけじゃなくて、もっとたくさんのことを謝らなきゃいけないのは分かっているんだけど、とりあえず今日の分を謝る。
「いいよー、別に」
覚醒しきれていない、どこかとろんとした顔で葛切さんが言う。
僕はどうしても葛切さんに言いたいことがあった。
「あのね、聞いて欲しいんだ」
「なに?」
やはりどこか遠くを見つめる瞳で葛切さんが答える。
僕は先ほど葛切さんだったり、葛切さんのお父さんの話だったりを聴いている時に、胸に降りてきた考えを話す。
「僕はかずやを殺した犯人を捕まえたい。今まで役立たずだった。だからこそ、次こそはちゃんと役に立つから、僕を信頼してほしい。僕を仲間に入れて欲しい。…僕に、協力してほしい」
「…どうして?」
葛切さんは不思議そうに僕に問う。
「ここがなろう小説の世界に似ているから?」
僕は葛切さんをじっくりと見る。
遠くを見る彼女の横顔はどこかつまらなそうだった。
「確かに最初はそうだった。だけど、今日、何もしていないのに、野中くんは僕にお礼を言ってくれたんだ」
それに。
かずやも葛切さんも僕にぶつかれ、逃げるな、と言った。
僕は僕に対して誠実でいてくれた二人に対して、誠実でありたい。
その手始めに僕は自分のことを語る。今まで、どうせこんなことをしても無駄だと思っていた。
「…僕は、いじめられっ子に見えるけど、いじめられたこと、ないんだ」
僕はずっと思っていた。
どうせ誰も僕になんか興味がないと。
葛切さんもそうかもしれない。
話した結果、ドン引きされるかもしれない。今までだったら、きっとなるに違いないと思っていただろう。でも、葛切さんと出会ってから散々変なことが起こっている。だからというわけじゃないけど、試して見ないと答えはわからない。
きっと、そうだ。
散々僕を振り回したんだから、少しくらいしてくれてもいいんじゃないか、と責任転換もしてみる。
だから、話す。
「でも、小学校の高学年くらいからかな。僕はみんなについていけなくなったんだ」
葛切さんが不思議そうに、だけどこくりと頷いて無言で僕に先を促した。
「勉強とか、運動とかそういうのじゃなくて、いつの間にか、自分と周りとに隔たりができちゃって、それは、まるで、世界が僕だけをおいて時間の進みをはやめたみたいだった。僕は一人で、だれかに興味を持たれるようなこともなかった。僕はそんな自分のことを幸せだと思っていた。…世界には自分よりもっと不幸な人がいるって人が言うから、そんなものか、って」
僕にとって僕の家と家族は世界の全てだった。
僕の本棚で埋め尽くされた部屋に帰りたいという気持ちがないわけではないけれど、それはもっと先でいい。逃げたくない。生まれて初めてそう思う。
「でも、葛切さんと出会って気がついた」
「なにを?」
「僕はそれでも今まで生きているつもりだったけど、でも、そんな生き方は全然楽しくないって。僕は何かに挑戦したことがないし、何も成し遂げたこともない。僕は与えられるばかりで、何もないんだ」
そのことに気がついた途端、僕は怖くなった。
もしかして、僕は死ぬまでこんな曖昧な世界で生き続けて、死ぬ、最後の瞬間までなにも起きない静かな人生を歩むんじゃないかって。
「だから、僕は、もっと、生きたい」
後悔したくない。
誰かに叱られたからでも、強要されたからでもなく、自分自身がそう思う。
僕は拳を握りしめる。
これからなにをするのか、葛切さんがなにを目的として行動するつもりなのかもよく分からない。それでも僕は、彼女を信頼したい。僕がこんな風に考えるのは、葛切さんが僕に近づいてきてくれたからだ。彼女が僕を忌避しなかったからだ。
でも、それはきっかけで、それだけじゃなくて、僕は彼女と、それから僕自身と向き合いたいと願う。
僕はこれから葛切さんのことを知っていきたいし、僕という人間のことを葛切さんに知って欲しい。
「だから、だからこそ、今度こそちゃんとやりたい。逃げたくないんだ」
いつまでもお荷物が縋り付いているだけじゃ、恥ずかしい。
葛切さんがふわりと笑った。
乙女チックだけど、まさに桜が咲き誇るかのようだ。
儚いだけじゃない。大振りの枝をしならせている。
「いいね。かすみくん、最高にカッコいいよ」
「そんなこと言われたの、生まれて初めてだ」
からからと葛切さんが笑うと、愉快そうに続ける。
「かすみくんと放課後に会ったのは偶然だけど、前からかっこいいと思っていたよ。かすみくん、成績いいでしょ」
なんでそれを知っているのだろう。葛切さんが転校してきてからまだ定期テストは行われていないのに。中間さえまだだ。
僕の疑問を葛切さんが拾ってくれる。
「みんな、成績の話になるときみのことを話すんだよ」
「それは、まあ、他にすることもないし」
成績は確かに悪くはないけど、誇れるほどでもない。
どんなに勉強しても今まで一位になったこともないし。
頭の作りがいいわけでもないので、天才のように一瞬でいろんな情報を記憶したりはできないし、応用力もないからいろんな問題を繰り返し練習する必要がある。
「だからだよ。君はカッコいい」
愉快そうに葛切さんが声をあげた。
「それに、たとえ誰からも信頼されなくても、自分を信じ続けられる人間もね」
僕と目を合わせて葛切さんがニッコリと笑った。
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