第7話 喪失、それから姦通の罪
「えー、お前たちに話しておくことがある」
朝のホームルームで担任の大木先生が言いにくそうに僕たちに告げる。
僕は廊下側の自分の机で、先生の言葉をぼんやりと聞いていたが、その喋り方の険しさに意識が引っ張られた。
いつも気だるそうな先生だけど、今日はなんだか険しい顔をしている。
よく見たら目が赤いような気がする。
「隠していてもいずれ伝わってしまうだろうし、間違った伝わり方をするかもしれない。だから、その前に俺から伝える。すでにご家族の方からは許可を受けている」
嫌な予感がした。
ついに、来たのだろうか。
かずやが遅刻するのは割とある事とはいえ、今日はまだ葛切さんも来ていない。野中くんが学校にきたと言う話も聞かない。
最悪のことになるかもしれない、心構えをする。
「このクラスの一員である佐藤かずやが事故にあった。すぐに病院に運び込まれたそうだが今朝方なくなったそうだ」
「…え?」
喉がひゅう、と鳴った。
それは想像もななかったことだった。
たとえば、これが野中くんがだったらまだ予想できた。
だって野中くんが死ぬのは既定路線だった。
ショックだけど、さもありなんといったところだ。
だた命を救うのに失敗したというだけ。
でも、かずやが死んだってどういうことだろう。
クラス内でもすぐさまざわめきが起きる。
先生が静かに、と告げると、途端にしん、と静まり返った。みんなも訳が分からないんだろう。
僕もそうか、かずや死んだんだ、としか思わなかった。
「通夜は明後日の夜に行われるそうだ。行きたい者もいるだろう。詳細は追って説明する。以上だ」
それだけ言うと先生はよろよろと教室を出て行った。
先生も大変だな、僕は他人事のようにそう思った。
✴︎
かずやが死んじゃったんだから、ご家族に挨拶にいかなきゃ。
僕はそう考えた。普通に考えたら、こういう時こそ訪問を遠慮するべきだったんだろうけど、この時の僕の頭は働いていなかった。
こんな時なんだから授業を抜けても許されるだろう、そんな思考は働いた。
だから授業を抜け出して花屋に向かった。弔いの花を買うためだった。でも財布を忘れたことに気がついて、じゃあ花はまた今度でいいや、と切り替える。
妙にふわふわした気分だった。
そういえばかずやの家に行くのは初めてだ。
そんなことに気がついた。
僕の友達はかずやだけだけど、かずやの友達はたくさんいた。そういうことだ。
端末から年賀状を送るために送ってもらった住所を探し出す。
かずやは、こういう古い文化が好きな一面があった。だからなろう小説が好きな僕とも気があったのかもしれない。
そう言えば、はがきがきっかけだったな、と思い出す。
去年の今頃、一人、教室の片隅のいた僕にかずやは近づいてきたのだった。
「なあ、暑中見舞いのハガキ出すから住所教えてくれよ」
「…なにそれ」
暑中見舞いなんて今時誰も知らない。
そもそも住所だって生徒同士で交換する必要もないのだ。端末によるメッセージの送受信で事足りるのだから。だから、最初は端末のアドレスを指して住所と言ったのかと誤解したくらいだった。
何より、僕らが会話を交わしたのはそれが最初だった。
「なんだ、知らないの」
「…知らない」
「夏にハガキを友人たちに送り合うんだよ。元気ですか、生きてますかーってな」
「…? なんで、わざわざ紙を消費するようなことを」
そこまでしてようやく僕はかずやの言う住所が、住んでいる家の在り処を意味するのだと理解したのだった。
端末で事足りるんじゃ、とか、そもそも僕らは話をしたことがないよね、とか、そんな考えが胸の内に去来したけど、それを口にすることはできなかった。
そんなことを言って、彼に怒らせてしまうのではないかと怯えたからだ。怒らせて、嫌われるのが怖かった。僕に近く人間なんていなかった。たまたまやってきた彼に去られてしまうのが辛かった。
だから僕はそうして言われるがままに流されようとした。
「ま、知らないなら、じゃあいいや」
「え…」
「代わりに年賀状くれよ。いいだろ?」
戸惑って答えることの出来ない僕に、かずやは顔をひょうきんにしかめて体を仰け反らせた。
「うっそ、知らない?」
「いや、ね、年賀状は知ってるけど」
「じゃいいじゃん」
「…わかった」
こうして僕はいつの間にか、かずやと友人になったのだった。
かずやは僕に話しかけた。僕はよく話を聞いた。彼のよく回る舌に関心したものだ。
不思議なもので、かずやと話をすると、周りのクラスメイトたちも僕が存在しているということを認識していったようだった。
だから僕は、彼の家に行きたかった。
住所が指し示す場所は高校のすぐ近くだ。歩いて行っても十分もかからない。
「家の番号…18番」
僕はのろのろと街を歩いた。
いつまでもつかなきゃいいのに。そう思う。
でも、移動しているんだから目的地にはどうしたって着いてしまう。十分もつかないうちに古臭いアパートの前に到着する。
「え…?」
アパートに取り付けられているプレートを見て愕然とした。
「川崎ハイム(19)」と書いてある。その隣は駐車場だった。更にその隣にあるのは民家でそこは表札に17という数字が降られている。
つまり18番は駐車場だというわけだ。
かずやは駐車場に住んでいた。
「はは…、そんなわけあるか」
僕は思わず笑ってしまった。
頭をがしがしと掻くと、髪の毛が数本手に絡まって抜けた。汚らしい。
かずやは僕に住所を教えたくなかったに違いない。
僕がかずやに送った年賀状はここに届いたのだろうか。何もないこの場所に届いたその後、ハガキはどこに行ったのだろう。
「帰ろ」
僕は駅に向かって歩き始めた。
なんかもう、何もかもがどうでもよかった。
乙女ゲームも小説も、世界もどうでもいい。
これが僕の想像した世界だったとしても、どこか他の世界で僕の主の人格が目を覚ましたらかずやが死んだという事実もなくなるんだからちょうどいい。あれ、ちがう。これは葛切さんの話だ。
じゃあ、この世界はなんなんだろう。僕は可笑しさに笑った。
だから駅前で体調不良のはずの葛切さんを見かけた時も「あ、葛切さんだ」としか思わなかった。彼女はジーンズにTシャツという非常にラフな格好をしていた。髪の毛を後ろで一括りにしている。
車から降りて歩道側から運転席のだれかに話しかけたらしい。彼女が顔をあげる。
目があった。
彼女が運転席に声をかけ距離をとると、車は発進して行った。
「かすみくん」
葛切さんが僕に駆け寄ってくる。
「どうしたの? 体調わるい? 顔色悪いよ」
いつもの葛切さんだ。
「かずやが死んだんだって」
「友達から、聞いたよ」
葛切さんが言う。
「これも例のシナリオのせいなの?」
僕の質問に葛切さんが首を横に振る。
「分からない。でも、時期的にその可能性が高いと思う。野村の代わりに殺されたのかもしれない。でも、」
「…でも?」
ちらりと確認するように僕を見た後、先を続けた。
「よく分からないんだけど、佐藤くんを殺めてもなんの意味もないんだよね。だからおかしいんだよ」
「そうなんだ」
葛切さんの表情はびっくりするほど変化がない。
さすがに笑顔を浮かべたりはしてないけど、言葉には相変わらず軽さがつきまとう。
喋りながら僕を観察するようなところもある。
「…葛切さんは悲しくない?」
「たぶん、かすみくんよりは。わたしは、あんまり話したことがないから」
友達だったんだよねと言う。
うそだ。
僕は何回もかずやと葛切さんが話しているところを見たことがある。そんなに話していた相手がそんな扱いなら、僕は一体どうなるんだろう。
かずやにとっての僕が住所も教えないような相手だったように、葛切さんにとっても僕なんてなんでもないんだろう。
僕は逃げ去りたくなった。
けどそこに踏みとどまる。
「かずやは、かずやは葛切さんを庇っていたよ」
「…?どういうこと?」
思わず叫んでいた。
「葛切さんは最低だ。他人のことなんてなんとも思ってないんでしょ」
叫んで気がついた。
これは葛切さんじゃなくて僕のことじゃないかと。
他人と溶け込めなくて、いつも批判的な目で見ているのは僕の方だ。
「葛切さんは、他人事すぎるんだよ。ここは確かに異世界かもしれないけど、僕らはちゃんと生きているし、存在するんだ! なんでそんなに軽いんだ! だいたい、どうして神様を探すのに野中くんからなの? 桃井さんからだってよかったのに。人の命をなんだと思ってるんだ!」
でも、迸り出した言葉は止まらない。
「葛切さんなんて主人公じゃない! それに異世界に来たなんて間違っている! ここは、現実だよ」
言い切った。
ばちん。
しかし、その瞬間音がした。
それから自分の頬が熱を持ったことに気がついた。
殴られたのだ、葛切さんに、ようやく思い当たる。
「ふざけないで」
低い、低い声だった。
葛切さんが俯いている。
「かすみくんこそ、勝手なことを言わないで」
葛切さんはただ、底冷えのした瞳で僕を見つめていた。
鼻や眉間にしわを寄せたり、そんなわかりやすい感情の表出はない。でも、その瞳は確かに怒りをたたえている。
彼女はとんでもなく怒っている。
でも、同時に悲しんでいるようにも受け取れた。どうしてだろう。彼女は悲しみの感情を微塵も見せることもなく、でも、確かに悲しんでいるように見えるのだ。
僕は自分がとんでもないことをしたことを理解して血の気が引いた。
女の子に八つ当たりをしてしまった。
「ご、ごめん」
僕はさっきまで自分がしていたことを忘れて、慌てに慌てた。
✴︎
「だいたい、その話、おかしいよ」
駅横のカフェで葛切さんが、僕に言う。
テイッシュを渡してくれて、僕はそれでずぴーと鼻をかんだ。
僕は泣いた。みっともなくもいい年をして泣いた。
そうして、通りを歩く人があまりにも僕らを見るものだから避難したのだ。
「だって、わたしも同じ住所、もらってるもん。というか、今のクラスの人はみんな持っているんじゃないかな。学年の初日に配りまわってたよね」
ずぴー。
「え?」
「高校生になると、家に人を呼ばなくても街で遊ぶようになるから、バレなかったんだよ」
ずぴー。
「そんなよくわかんない嫌がらせなんてしないって」
ずぴー。
「かすみくんは被害意識が強すぎる」
ずぴー。
「大体、本当に駐車場だったの?」
ずぴゅう。
最後に大きな音を立てて、ようやく止まったようだった。
葛切さんはストローを加えてアイスティーを飲む。グラスの中でからころと氷の音がした。
「う、うん」
絶対にそうだと言い切れないのがいかにも僕らしい。情けない。
「場所、間違えてない?」
「うん、…たぶん」
「ちょっと待って、今、確認してきてもらうから…」
そう言って、葛切さんは端末に何かを書き込んだ。
そして、真顔で僕を睨む。
「それで?」
だん、とグラスをテーブルに置いた。
「え?」
「どうして最近わたしを避けていたわけ? 桃井がこっちをにやにや見ていたよ。ついにかすみくんは桃井のパシリに昇格したってわけ」
「ごめん…。断り切れなくて」
「ああいうのは一回図に乗るとさらに図々しくなるんだから」
「うん」
僕は心の底から申し訳ないと思った。
葛切さんを一度でも疑ったことに。たぶん、葛切さんは僕と話すようになってから、一度も嘘をつくようなことをしたことがなかったではないか。ずっと葛切さんのことばは真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐだった。
「葛切さんのこと、疑っていた」
はあ、と葛切さんがため息をつく。
「どうして…」
そこで何かに気がついたのか、背もたれにもたれかかって踏ん反り返った。
腕を組んだ葛切さんが僕に聞く。
「桃井になにを言われたのー」
僕はとうとう正直にすべての事を話した。
桃井さんに呼び出されたこと。彼女が「悪役」で葛切さんが「主人公」であるということ。スケッチブックを持ってくるように言われたこと。
すべてを話し終えるまで葛切さんはなにも言わずに黙って聞いてくれた。
「これは」
葛切さんがその綺麗な眉をひそめる。
「宣戦布告ってことかな」
桃井さんから葛切さんに。宣戦布告。
「桃井はわたしの性格からかすみくんに自分の素性を隠していないとふんでいた。現にわたしはきみにべらべらと自分の知っていることをしゃべっている。だからこそ自分はわたしが喋ったのと真逆のことをきみに告げたんだよ」
「でも、…なんのために」
「たぶん、きみを混乱させるため?」
そんなことをして何の意味があるのだろう。
「たとえば、だけど」
葛切さんが人差し指を立てる。
「桃井は野中殺しを成功させたかった。物語の中では野中が殺されることによって、彼女のハーレムの結束はより一層強まる。だから、生きてるか死ぬなら、死んだほうが彼女にとって都合がいい。それにきっと桃井はわたしを悪役に仕立てたいんだ思う」
「どうして?」
「なんかそんな執念を感じる」
「うーん。けど、実際に殺されたのはかずやだったじゃないか」
それも確定ではないけどねえ、葛切さんが前置きをして続ける。
「かずやくんが殺された理由はわからないけれど…、きっと君を混乱させることでわたしたちの関係の撹乱を狙ったんだよ。野中殺しの阻止を邪魔するために。現にきみはわたしに近寄らなくなった。口実はなんでもよかったんだよ。だいたい、スケッチブックに攻略方法なんか書いてあるわけないでしょうが。魔法でもなんでもないのに」
僕は自分のなさけなさに目眩がした。言われた通りだ。すこし考えれば分かったことなのに。いくら葛切さんでも人を殺そうという計画書を持ち歩くわけがないじゃないか。
僕はちゃんと考えるべきだった。
「なにを信じるかはかすみくんの自由だけどね」
葛切さんはポツリと言った。
僕は桃井さんに言われたことに踊らされて、自分で考えることを放棄していた。
それが桃井さんの狙いだったなら、効果抜群だったことになる。
「もしかしたら桃井はわたしが少なくとも人殺しを見過ごさないことを分かっていたのかも」
たとえここが現実じゃなかったとしても、そんな言葉を葛切さんは飲み込んだのだろう。
とうがらしを間違って食べてしまったかのように、顔をしかめている。
僕はあることに気がついた。
かずやが言っていたことを思い出したのだ。
「で、でも、桃井さんは葛切さんの性格をよく知らないんじゃないの。二人ってそんなに親しくないよね」
「そういえば話したことないや」
あっけらかんと葛切さんがいう。
もちろん、葛切さんが友達と会話しているのを聞いたりして性格を知ることはできるかもしれないけど、桃井さんはそんな不確定なこと、するだろうか。
あれは、なんか、もっと確信に満ちた口ぶりだった。それとも僕はカマをかけられたのだろうか。
「そういえば、ついでに言っておくけど、御曹司の家はともかく、桃井からは何も辿れなかったの。だからこそ、野中殺害はわたしにとっての、チャンスだったんだけど。…でも、だからと言って桃井もシロとは言えないんだよね。…うん?」
葛切さんが首をひねる。
「なんだか桃井は桃井で地に足がついていない。そして、確実に桃井は自分がプレーヤーであることを知っていて、それでいて、楽しんでいる。なにを知っているのかな…。情報が流れてる? 桃井も操られている?…いや、」
僕はなろう小説の定番を思い出した。
トラックに跳ねられた主人公は、転生する前になぞの空間で神さまから特殊な能力を授かる。
もしかして…。
僕と葛切さんの声がぴたりと重なった。
「神さまと通じている…?」
グラスに残っていた氷が、からん、と音を立てて崩れた。
✴︎
仕事終わりに眠気にふらつく頭を押さえながら、夕飯を買いにコンビニに寄る。
「天下の海堂だからって一体何様だよ。俺らをこき使いやがって」
コーヒーやらカップ麺やらを大量に買い込み、帰り道を歩く。カップ酒を開け、チビチビと飲む。
途中で公園に通りかかった。
俺も小さい頃はこんなところで無邪気に遊んでいたなあ、なんて感慨にふけって眺めていると、
「はぁーい。分かりましたー」
声がした。
近隣の高校の制服を着こなした、どこか小動物的なかわいい少女だ。
ブランコにのって誰かと会話している。
向こうは俺のことを通行人としか認識していないのだろう。存在自体にそれとも気がついていないのかもしれない。
あのくらいの年頃の子にとって世界の中心は自分なのだ。なんとなく、微笑ましい。
「でも、こっちの方が話しているって気分になるじゃないですか」
少女がクスクスと笑う。
俺ははっと気味の悪い事実に気がついた。
カップ酒の中身が勢い余って溢れる。
彼女は端末を持ってもいなければ、ワイヤレスのイヤホンで話しているわけでもなさそうなのだ。だとしたら、独り言をしゃべっているということになる。
そもそも高校生って、この時間帯公園にいないだろう。
見てはいけないものをみてしまったような薄気味悪さに背筋が震える。
俺はそそくさと足を早めた。
「じゃあ、また助言してね。『カミサマ』」
神さまと交信するやばい女子高生に出会ってしまった。
俺は内心慄きながら、はやく自分の布団にたどり着いきたいと切に願った。
彼女の方を向かないように、向かなくてもいいように、端末をチェックする。
ニュースに昼間に震度4の軽い地震が千葉であったと流れていた。そういえば仕事中に揺れたような気もする。まあ、その程度の地震なんてよくあることだ。
それよりも今は布団の方が大事だった。
地震も、気味の悪い少女もどうでもいい。
「ぴろりろりん。また一つ忍耐力が上がりました」
独り言なんて聞こえないったら聞こえない。
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