第5話 悪女桃井さんの頼みごと
「何これ、すごーい」
葛切さんが驚嘆の声を上げる。
「あ、あんまり見ないで」
僕は自分の部屋のことを忘れていた。
他人からは理解されないものを詰め込んだ僕の部屋。
「漫画だらけだね。面白い」
あはははは、と葛切さんが笑う。
「しかも『小説家になろう』のコミカライズまである。ほんとに好きなんだねー」
「う、うん」
「端末には入れないんだ?」
「うん、紙の方がいいかなって」
「そうだよね、わたしも紙の方が好き。読んでいるって気になるもん」
「それは分からないけど」
小さい頃から読書といえば端末でするものだったので、僕にはその感覚が分からない。端末の方が読んでいるという気になる。でも、葛切さんの家は資産家だと言うし、マニアが好むような紙の本に小さい頃から触れてきたせいかもしれない。
「へえ、画集もあるんだ」
本棚の一画を指して言う。
窓際の本棚にはピカソやマチス、マグリットなんかの有名どころだったり日本人の画集を入れたりしていた。
「う、うん。漫画を読んでいるうちに絵も気になってきて」
「へえ、どんな画家が好きなの?」
僕は一つの画集を手にとった。
「この人。21世紀初頭の画家で大上夏樹さんって言って、若くしてもう死んじゃったんだけど…もう、百年も前にね。この人かなあ。井上直久さんとちょっと似ていてファンタジックなんだ。でも、男性的で。シュルレアリズムらしいんだけど」
「…ふうん」
「葛切さんは?」
うーんと葛切さんが少し考える。
「クールベかな!」
「クールベ?」
にこにこと葛切りさんが笑みを浮かべる。
「フランス人の画家ですっごいナルシストな人なの。自画像がたくさん残ってるんだよね。うわー、ナルシストすぎて引くなーって思うんだけど、なんか見た目がいいから許せちゃうっていうか」
それは絵が好きというより、その作家自体が好きなのでは。
でも、それはそれで葛切さんらしいような気もした。
「まあ、それは置いといて」
葛切さんがキリッと表情を変化させる。
顎に手を当てる。
「作戦会議をしようではないか、かすみくん」
「それはなんの真似なの、葛切さん」
「ミステリーで真っ先に殺される成金親父の真似」
どうりで分からない訳だった。
「さあ、わたしの灰色の脳細胞が輝きを増しておるぞ」
「う、うん…?」
「野中についてだけど」
「う、うん」
葛切さんがA4の紙にこれから起きるであろうイベントを時系列順に書いていく。綺麗な字だ。
大抵は例の海堂くんだったり、ほかの人だったりの恋愛関係のイベントで、中には葛切さんのイベントもあるようだったが、あまり野中くんは関係ないようだった。羅列されたイベントの中で野中くんの死亡だけ浮いている。
紙に書かれていることがこれから本当に起こることなら、野中くんは本当に足切りにされただけなんだろう。
「野中が殺されるまでに約二週間時間がある」
「結構時間がないんだね」
「そうだね。で、野中が最後の断末魔をあげるまでだけど」
「なんで言い換えたの葛切さん」
「うん、までだけど、このご時世、本当に殺人を犯すにはリスクが大きすぎると思うの」
それは確かにそうだ。
企業の情報を得るために殺すのも、物語をシナリオ通りに進めるためだけに進めるのもリスクが大きい。現代で人の死体が発見されたら、すぐさま犯人逮捕に繋がるに決まっている。物証を残さない犯行はない。それは現代では常識だ。しかも葛切さんの例の知人の小説では、野中の死体は必ず発見されるのだそうだ。死体なんて情報の宝庫じゃないか。
たかだか情報を得るためか、「ゲーム」を進めるために人生を棒に振るような行動を普通の人間は取らない。…神様に操られでもしない限りは。
「企業がいくら海堂の情報が欲しいからって普通は、人殺しはしない。ヤクザじゃないんだし。しかも、作中の企業は、それがきっかけで株価は大暴落、結果、海堂に買収されてる。野中が殺されるにはよっぽどの理由がなきゃいけないと思うんだ」
ヤクザってチンピラの亜種だろうか。その疑問を飲み込んで続きを促す。
「つまり?」
「この『世界』の秘密が関係しているんじゃないかな、とかわたしは思ってたりするよ」
勘だけどね、とにっこり葛切さんが笑う。
「わたしはこの世界が神様に作られたなんて思わない。概念でない神様なんていないもん。…でも、わたしは小説通りの名前と設定をもって今、ここにいる。人が死ぬかもしれない。それでも、人が動けば、必ず痕跡を残す。この状況はこのよくわかんない世界の謎を解き明かすいい機会なんだよ」
「うん」
「人助けもできるし、ね。かすみくん」
ついでのようにそう言ってお分かり?と今度もなんだか分からないモノマネをしてくれたのだった。
「実は小説の中では、瑣末なことだったからか、企業の名前自体は出ていなくて。でも、野中を襲うであろう企業の目星は大体ついているんだよね」
葛切さんは仕事が早かった。
夏休み終了直前になって慌てて宿題をする僕とは大違いだ。
「どうやって分かったの?」
「それはね、色んな人に聞いて回ったんだ。野中を殺そうとしているのは誰かって」
「嘘でしょ」
「うん、嘘だね」
どうやら教えてくれる気は無いらしい。
どうやって知ったのだろうか。
「で、その会社、日本化学コーポレーションって言うんだけど、一部では有名な官僚の天下り先らしいんだ。そして海堂コーポレーションのライバル企業でもある。もしかしたら日本政府も欲しがる情報を海堂はもっているのかもしれないね。その実態のしれない情報を」
「その会社が襲うかもしれないって、それって確かな情報なの?」
「100%とは言えないけど、総合的に考えてここである可能性が高い」
「う〜ん」
なんだか規模が大きすぎて現実味がない。
どう見ても、学園ラブコメの領域を凌駕している。
「で、その誰もが欲しがる情報が、ただの思わせぶりなブラフで、ガセだとした場合」
葛切さんがコピー紙にわかりやすく図を書いてくれる。ありうる可能性は四つ。
「ニセの情報を流した奴がこの世界の『神さま』だと考えられる。その場合、私たちはその出元を調べればいい」
すい、と矢印が描かれる。
「そうでない場合、情報がホンモノで、本当に価値のあるものだった場合ね。情報を『あえて』流した相手がいるかもしれないし、いないかもしれない。いたらそいつが『神様』だし、いなかった場合は、まあ、そういう偶然もあるのだと思うしかない。その時は別の方法を考えよう」
「でもさ、」
僕はある事に気がついた。
「その情報がガセで、その上で誰も発信元がいなかったら、どうするの?」
まるで煙のようにその情報が現れたんだとしたら。
つまり目に見えない存在、運命の導き手、いわゆるホンモノの神が存在した場合。その情報はただ、野中くんを殺すためだけに世界に誕生したんだと言うことになる。
葛切さんは、固まると、ゆっくりと「ないと思うけど」と言い、
「そしたら、そのふざけた未確認生物を殴りに行こう」
と締めた。
殴りに行くのか。
葛切さんはいや、生物じゃないのか、と首を傾げている。
僕は古典的なタコ足を持った火星人に殴りかかる葛切さんを想像した。
✴︎
教室の片隅の自分の机で目立たないように本を読んでたら、声がした。
「かすみくーん」
お願いがあるんだけど。続きを聞かなくても先に何が続くか分かった。
「お願いがあるんだけど」
桃井さんが両手を合わせて可愛らしくお願いする。
そういえば彼女も転生者なんだよなあ、そんな事を考える。
「かすみくん?」
桃井さんが小首を傾げる。
「あ、うん」
「ありがとう」
桃井さんが嬉しそうに笑った。
僕としては呼びかけられたから返事をしたつもりだったのだが、彼女は了承ととってしまったらしい。
「あのね」
桃井さんが内緒話をするように声を潜める。
今度はどんな雑用だろう。
「相談に乗ってほしいんだけど」
思っても見なかった言葉だった。
「放課後、空いてる?」
指定された通りに帰りの会が終わった30分後に教室に戻る。
中々の用心深さに、僕は葛切さんとの差を感じた。
日が暮れて薄暗い教室で桃井さんは手持ち無沙汰そうに佇んでいた。
「あ、かすみくん!」
桃井さんが僕に気がついて、にっこり笑う。
くるくるに巻かれた髪の毛が、彼女のマスコットキャラクターらしさを増長させている。可愛らしい。
べつにドッキリでも、からかっている訳でもないらしい。そう思ったが、判断するには早すぎると思い直す。
「桃井さん…相談って?」
「あ、あのね。かすみくんに頼みたいことがあって」
「う、うん」
桃井さんは心なしか潤んだ瞳で僕を見上げた。
「あのね、あたし、葛切さんに嫌われているみたいなの」
「え?」
「あと、それから『小説家になろう』って知ってる?」
縮んだ。
僕の寿命はこの瞬間、確実に縮んだ。
桃井さんは僕の顔をじっと見ていた。
ぱさり、大きな瞳が一回瞬きをする。
「やっぱり、かすみくんも知ってるんだね」
「え?なにが?」
僕の困惑と恐怖がそのまま声に出る。
しかし、それはそのまま何も知らないが故の困惑ともとれるわけで。
桃井さんがうまく勘違いしてくれることを僕は祈る。
「あのね」
桃井さんが悲しそうに僕に告げた。
「あたし、悪役令嬢役なの」
寿命なんて関係ない。
今、心臓が止まりそうだ。
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